バンコクで迷子になった騒動記から始めた「タイ農業視察」の小文は如何でしたか? とりあえず小括を行って,このカテゴリーを閉じようと思います。

私がタイを訪れたのは今回が2回目です。手帳を調べると,前回の訪問は1998年7月12-16日でした。ドーンムアン空港の北にある卸売市場の調査のために,U先生ら九州地域の農産物流通研究者との調査旅行でした。調査はバンコク市内のホテルと中央官庁や卸売市場との往復で,観光もないハードなものでした。そして当時は,アジア通貨危機の直後ということもあり,建築途中で放棄された高層ビルを多く見かけました。

7年ぶりのタイ・バンコクは大きな変貌を遂げていました。高速道路は3階建てになり,スカイトレインや地下鉄が整備され,市内の渋滞はやや緩和されているように感じました。なによりも,市民のダイナミズムを感じました。バンコクの夜は歌舞伎町や渋谷・センター街を超える賑わいといかがわしさがありました。

旅行中,N大のI先生から,調査は見て,聴いて,触って,においを感じなければならないと説教されました。確かにバンコクの町を観光バスで走るだけでは分からない,川のドブくさいにおい,パクチー(香草)のにおいが漂っています。パクチーとレモングラスと生姜はタイ料理に欠かせないもので,これらのにおいがダメな人はタイを好きになれないでしょう。

今回の視察の目玉だった,FTA/EPAの日タイ交渉の影響に関するヒアリングが出来なかったのは残念でした。しかし,北から南までバスだけで1000キロメートル以上を移動しました。短期間でこれだけ盛りだくさんの内容を勉強できたことはとても幸せでした。コーディネーターのY先生に感謝しなければなりません。

日本人が毎日食べている食品の多くを海外に依存しています。でも,それを生産し,選別・調製し,加工している人達の姿をこれまで私は思い描くことは出来ませんでした。今回,枝豆の生産者,冷凍加工企業,無農薬バナナの生産者,その農協役職員など多くの人と出会うことが出来ました。彼らは「日本人」のために,一生懸命これらの食べものを作ってくれているのです。これにはとても感激しました。

このように,食料自給と農産物輸入が厳しく対立するのではなく,うまい調和または共生の方法もあるのではないかと感じた旅でした。たぶん,この思いは「金持ちニッポン人」の身勝手な考えかもしれません。「食料自給第一」信者だった私には,とても新鮮な旅となりました。