土曜日に商店街の花屋で、ばらの花とトルコききょうを買いました。それぞれ二本づつ、頼んだのですが、店のおじさんがおまけをしてくれて3本づつ入れてくれました
こうして、ばらの花を自ら買って、自ら飾る機会がこれまでの人生で殆どないに等しかったのですが、何故か最近、真っ赤なばらが無性に欲しくなり、買いました。
リビングに二本、キッチンに1本、玄関に二本、トイレに一本…。部屋が一気に明るくなりました。そして、このばらの花を見ていると、本当に花も生きているんだなと感覚的に感じるものがあります。このばらの気高さや主張するような佇まいは、何だか圧倒されます。まるで本当に”私、美しいでしょ”と主張しているかのように見事に咲き誇っています。軽々しく触れるのも何だか…と思うほど、ばらの美しさに圧倒されています。だからこそ、この花が枯れるのは、とても恐いし、切ない気がします。今更ですが…。
母親が、切花があまり好きではないと言っていたのが何だかよく分かる気がしました![]()
ばらの花と言えば、もう一つ好きなばらの花があります。それは、くるりの”ばらの花”という曲です。この曲にももしかしたらそんなばらの美しさ、切なさみたいな思いが込められているのかな。この曲を聴きながら、ばらの花を見ていると心地良いけど、切ないそんな気分になります
ね。
そんなこんなで、ふと今日、感じた心に残る優しい風景。クリスマスが近づいてきたので、もしかしたらふと本当にこんなにふと思い出すんだと自分でもびっくりしました。その風景は、私が茅ヶ崎に住んでいた頃、これが不思議と何歳頃の出来事か明確に思い出せないのですが、母と車に乗って、辻堂か、藤沢の海岸の近くのケンタッキーフライドチキンに行ったのですね。たしか、冬の雨の日だったと思います。そのケンタッキーのお店で、家族の分のチキンや、ポテトやクッキーをたくさん頼んで、待っている間、ぼんやりとほの明るい優しいオレンジ色の灯りの中、すごく心地よく座りながら、チキンがが出来上がるのを待っていた場面。です。外の空気も潮風に包まれ、優しい風が吹いていました。
本当にささやかで他愛のない心の中の思い出の風景なのになぜこんなに優しく温かい気持ちになれるのか不思議なものです。こういう気持ちって人が生きていく中で味わえる凄く大事な宝物のようなものだと思います。お金で買えないですからね
恋愛をしたり、何かを成し遂げたり、乗り越えたり、音楽を聴いたり、ふとした時間の流れの中だったり、そういう幸せの感覚がふと訪れるのではないかなって思います。
凄く抽象的な文章になりましたが、そういう感覚を思い出した今日でした。


