フィリピンのトリオ。ラテン系の曲をレストランなどで折に触れて演奏しています。

 

 もうほとんどの方が帰られた昼のレストラン。夜になれば700円のビールなどを「ひるのみ優待」として500円で提供してくれます。

 どこの島だろう。沖縄本島なのかな。Googleさんに聞いてみればよかったのに、失敗の巻きになってしまった。

 

 沖縄本島にやってきた。船は伊江島との間を走ります。この島には思い出がある。沖縄戦を戦った父親のことだ。戦いの話はあまり聞かなかった。でも、砲弾の中を長いこと逃避行を続けた話の中には、この伊江島の話はアメリカ軍の軍艦が海面に無数に散らばる話と一緒によく出てきた。そして、村人にいっぱい助けてもらったことも。最後は捕虜生活、米兵と一緒に写った写真なども持ち帰っていた。兵士も民間人も、多くの人たちが戦争の犠牲になった。もし、父親もそれらの人たちと同じで帰国できなかったら、私の人生はどうなっていただろう。との想いは常に持ち合わせて生きてきた。晩年、父親は自分の歴史を求め、お世話になった人たちに会いたいといって、よく沖縄を訪ねていた。「こんな人が来ました」なんて記事が沖縄の新聞に載っているのを見せてもらった。役場なども訪ね歩いたようですから、たぶんその筋の方が送ってくださったのでしょう。いずれも、もう遠くなった記憶の中なんです。私にもう10年の生をもらえたら、何の介護を受けることもなく92歳で逝った「おやじ」の歳には追い付くことができるんですが、さてどうなることやら。いずれにしても、彼の一生の中に沖縄は大きなスペースを占めていたことでしょう。沖縄での戦中戦後を一冊の本にまとめて自費出版までしたのですから。

 沖縄美ら海水族館は、沖縄復帰記念事業として1975(昭和50)に開催された沖縄海洋博覧会の折、ここに水族館があった。二代目が現在の水族館だという。「美ら」とは「ちゅら」と読み「美しい」とか「綺麗」を意するという。その隣に本部町というのが見えている。ここには後日立ち寄り、今帰仁村などを訪ねる予定です。

 伊江島。まっ平らみたいな島に尖った山172mの城山がなんとも特徴的。風力発電機が4基見えていた。この島の見える辺りを父親は逃げ回っていたのかとちと感慨深くもなる。

 どの辺なのか分かりませんが、本島の北部地方だろうか。

 ホテルらしきが2棟見えている瀬底島。

 そのホテルをズームしてみた。手前のビーチの白さは格別だ。ホテルのプライベートビーチかな。コロナ過がまだまだ続いている環境の中で、こんなおっきなホテル大丈夫なんでしょうか。

 伊江島から3時間ほど走っきた。緑のポコッとしたの、これ、島としてカウントしてるのでしょうか。

 島の連なりが見えてきた。慶良間諸島に入ったようだ。

 

 

 どうやらこの諸島、島は10個ほどあるようだ。船は、今ここを走ってる。

 陽は西に傾いてきた。明朝はようやく目的地の宮古島だ。