帰りの日を迎えました。ホテル最上階6Fから港を眺めています。 

 その最上階のこのお部屋。ブログのNO9で「後日お知らせする」としていた外から見た四つの窓の部屋への入り口の扉がこちら。スイートルーム「エレガンテ」天皇皇后さまがお泊りになられたお部屋だ。昨夜夕食の時お聞きした。当夜の調理場の様子を。ここには書きませんが、やはりなるほど「ふむふむ」でした。 

 

 

 9:30発、福江港で乗船したお客さんで九州商船のジェットフォイルは、ほぼ満席でした。 

 途中上五島町の奈良尾港を経由して、まもなく長崎港 到着は11:20 。私はここで皆さんと「さよなら」するのでした。

 せっかくこの地まで来たからと、長崎の街歩きとしました。ほぼ40年正確には39年ぶりの訪問。その記憶はほとんど遠い霞のかなた。長崎駅前発、手っ取り早い定観バスとするのでした。 

 バス停の隣の案内板には、諸々の施設のご案内。まず原爆資料館から観光スタートでした。

 

1571年、ポルトガル船の来航により、歴史の幕を開けた長崎・・・云々と書き、1945年歴史を刻んだ坂の街に原子爆弾が・・・

 

 そのわずかに残された堂壁を復元したものかどうかは知りません。残念ながらこの浦上天主堂は、バスから遠くに眺めただけで立ち寄りませんでしたので、現在の姿を知ることはできませんでした。

 この大きさが実物かどうか知りませんが、4トントラック5200台分のダイナマイトがで一度に爆発した場合に相当した。と書いてあります。 

 被害の惨状パネルや遺品が並びます。 

 

 

 永井博士の写真の前には、博士が記した2枚の色紙「平和を」と「如己愛人」そして博士夫人が愛用していたという「ロザリオの鎖」 奥さんは爆心地から500mの自宅で被爆し、大学から博士が駆け付けた時には、姿はなく、焼け跡に遺骨とロザリオが残されていた・・・と書いてあります。

 

 白血病に侵された博士の如己堂での執筆の様子や親子の語らいなどの写真が飾られていました。 

 

 資料館の出入り口には、平和を願う千羽鶴がいっぱい。