
出発前の空白の時間、ひとりふらっと港にやってきました。ねぶたの家 ワ・ラッセの開館は9時。ここにはねぶたに係る諸々の展示があるのです。

青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」この近くには、あの「津軽海峡冬景色」の歌碑があり、歌が流れるはずです。遠い日、確か昭和34年(1959)だったと記憶しているのですが、国鉄青森駅と乗船口がつながっているように近かった記憶。船の名前は憶えていませんが連絡船に乗りました。数日後帰りの船は台風に会い欠航、函館でひと夜過ごしたことが思い出されます。

ねぶた祭り見学に立ち寄った「にっぽん丸(2.2万トン)」が見えています。祭りを堪能されたお客さんは500人ぐらいか。祭り期間中にはいくつかのクルーズ船が立ち寄るそうです。


2014年に訪ねたとき写したものです。今年もここに4体のねぶたが飾られるのです。ワ・ラッセにお聞きしてみました。ここに展示されて、1年間生き延びる作品は、ねぶた大賞と知事賞そしてNTTねぶたグループと青森自衛隊ねぶた協賛会の4作品だそうです。この4作品以外のものは、多分取り壊されるでしょうとのお返事が返ってきました。それはそうでしょう。大きすぎて保存場所がないでしょう。


そして、このようにズラッと作者と作品が紹介されています。

もう椅子を並べて夜の部の観覧席の準備が始まっているのでした。


田代平湿原入り口近くにこの記念碑がありました。「第四中隊之碑」1902年(明治35年)雪中行軍の演習中に210名中199名が遭難死亡するという痛ましい事件。1977年(昭和52) 高倉健、北大路欣也、加山雄三らが出演した映画「八甲田山」で広く世に知れ渡った事件だったのかもしれない。この地に走ってくる途中、道路際に「第一露営地」「第二露営地」という当時の露営地跡の標識が立っていました。第一と第二の間は、徒歩でわずか10分の距離だという。八甲田山という山の中の行軍だったと思っていたのに、「こんなところ」でと、当時の行軍の過酷さを思い知らされます。

「中隊之碑」から少し離れた小高い丘の上にこれ「後藤房之助伍長の像」があるのです。直立したまま仮死状態で発見されたという後藤房之介。捜索隊が発見しやすいように雪中に立っていたとのこと。有名なお話のようだ。残念ながら逆光でどんなお姿かよく見えません。

像の台座にはめ込まれていました。「歩兵第五聯隊第二大隊遭難記念碑」としてあります。文面にはひらがながひと字もありません。この歴史的出来事が何であったのか、その史実が読み取れません。願わくば、国語の勉強をしたひと誰もが読める第二プレートを近くに埋め込んでほしいものだ。これでは、無念の死を遂げた第二大隊の皆さんも悲しむのでは。