
駅前には何もありません。次の写真のバスに女性の一団、日傘を手にした台湾からのお客さん。この場所が海外からのお客さんの観光箇所になっていたとはびっくり。帰る頃には日本のお客さんのバスも1台やって来ましたが。開聞岳だったら他に眺めるところはあるだろうに、やはり「最南端の駅」に誘惑されるのでしょうか。台湾の方がこの駅を見に来るなんて、どうも理解しがたい。


指宿温泉に宿を取って、薩摩半島丸印のところをぐるりと廻ったのは1978年(昭和53)もう遠い思い出ですが、次の写真は忘れられません。

知覧特攻平和会館。爆弾を装着した飛行機もろとも敵艦に体当たりする。誰がこんなむごい戦法を考え出したのでしょう。壁面は亡くなられた方々の遺影でいっぱい。他に遺書や手紙・遺品などが展示されているのです。

昭和20年(1945)水深35mから引き上げられたという零式戦闘機。これらの戦闘機に搭乗した二十歳前後の若者が帰らぬ人となったのです。広島・長崎の原爆資料館もそうですが、戦争の悲惨さと空しさ、そして悲しみを思い知らされる平和会館なのです。


ハウスやマルチが白く輝く農地の向こうの小山は何だろう。

ホームの隣に停車している「なのはな」これも観光列車でしょうか。車掌さんに聞いてみました。鹿児島と山川間を結ぶ快速列車とのこと。

錦江湾に沿って列車は走りました。やはり目につくのは桜島。