かつて、ライブドアがニッポン放送にTOBをかけていた頃に議論になっていた話題だが、今回はまた違う支店で取り上げている記事がある。

大王製紙は誰のものか
大王製紙前会長の井川意高容疑者が会社法の特別背任容疑で逮捕された。大王製紙の関連会社から、のべ100億円余りの融資を受け、これをほとんどカジノなど個人的な用途に使ったという。借りた金を返すのは人として常識だが、父親に借金の存在が知れ、叱られるまでは返済をしなかった。常識外れも甚だしいが、歴史をひもとくと井川容疑者が借金を返さなくてもよい時代が存在していたことが分かる。

この記事の筆者は紀元前の欧州、というかなり極端な環境を事例に取り上げているが、「感覚としてはそういうものだろう」という事だろう。そこに違和感を感じない訳ではなく、むしろ共感をしたのはここのくだりだ:
まだ、会社は自分のものだと考える王様気分が抜け切れていないのだろう。

そう、オーナー企業にありがちな「自分が興した会社なのだから自分のもの」という感覚だ。これには何段階かあると思う。
1)自分、あるいはファミリーで株式の100%を持っている。だから会社は自分のもの
2)自分、あるいはファミリーで株式の67%以上持っている。誰にも拒否権はないので会社は自分のもの。
3)自分、あるいはファミリーで株式の51%以上持っている。過半数を持っているので会社は自分のもの。
4)自分、あるいはファミリーで株式の34%以上持っていて、株主総会の重要議決事項の拒否権を持っている。だから会社は自分のもの。
5)自分、あるいはファミリーで筆頭株主である。だから会社は自分のもの。
6)筆頭株主ではもはやないが、会社は自分が興したし、自分がいないと会社として成り立たない。だから会社は自分のもの。

さて、1)のケースであっても、銀行から借り入れがある場合には当然、銀行への責任はあるし、企業である以上は従業員や地域社会への責任もある。オーナー経営者でもそこの自覚をしっかり持っている方が多いのも事実。
株式の大半を保有していたとしても、少数株主の不利益の上に会社を私物化しては行けないのは当然の事だ。公開企業であればなおの事だ。
会社を私物化する経営者で問題になるのは株式の議決権の比率に関係なく「自分がいなければ会社として成り立たない。だから少々の役得があってもいい」という感覚を持たれてしまった時だ。