道の駅 なかがわ | 北海道応援のブログ

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旭川在住の管理人が北海道の情報を、自分の足で現地に赴き、見て食べて感じ書いています。
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2016年度の修正を(5月まで終了、4月分を修正中)現在行っております。

住所 中川郡中川町字誉498番地1
TEL 01656-7-2683
開館時間 9時~17時  レストラン11時~13時30分
定休日 年末年始(12月30日~1月4日)

中川町

中川の由来は、天塩川の中流にあることに由来する。
誉の由来は、アイヌ語の「ポン・ピラ」(小さい・崖)で、もとは「西原野」と呼ばれていた部落を、1940(昭和15)年の字名改正時に「誉」とし、1947(昭和22)年の行政区の設定に伴って西原野を「誉一」・「誉ニ」としたものである。かつてこの西原野(道の駅なかがわの裏手あたりを指す)には誉平市街地があり、中川町発祥の地でもあったが、新市街地として1920(大正9)年対岸のポンピラ新市街地に区画割りが行われ移っていった。これは1922(大正11)年11月に鉄道が開通することからである。
国道40号線沿いの中川市街地入り口にある。

中川町は、上川地方最北部に位置する町で、中世代白亜紀(約8000万年前)の地層が広く分布している中川町は、明治期よりアンモナイト等の化石が多数発掘され、「化石の里」として町おこしをしている。

宗谷本線の天塩中川駅から約1.6kmほど、国道40号線沿いにあり道の駅入り口にはアンモナイトの化石がある。すぐそばには一級河川の天塩川が流れている。メイン施設はセンターハウスで、開駅は2003(平成15)年4月。管理運営は有限会社 匠舎(しょうや)が行っている。
玄関ホールを入った正面には、天井より吊り下げた鉄製フードの暖炉があり、冬期間には訪れる人を暖かく出迎えてくれる。
暖炉の隣は木のパズルや絵本が並んだキッズコーナーやマッサージ機、地域情報コーナーなどもある。
地場産品コーナーでは、地元で生産されているソーセージ(ギョウジャニンニク入り)が一番人気だそうだ。
他にもギョウジャニンニクパウダー、ハスカップジャム、竹の子の瓶詰め、レトルトとうもろこし、木炭製品、陶芸品など地域ブランド商品が並ぶ。
レストランでは、中川町加工センターのロースカツを使用した、カツ丼やカツ定食、カツカレーが人気で、特製チャーシューを使用したラーメンなども人気だという。

中川は、天塩川の中流にあることに由来し、1906(明治39)年4月「中川村」(現在の音威子府村を含む)の名称誕生した際に中川郡の中川をとって「中川村」としたほうが分かりやすいということから中川となった。当時は大富の渡船場付近にアイヌの部落があった。このアイヌ部落には高木某が住んでいて渡船守をしていた。この西原野(誉(ポンピラ))地区は中川町発祥の地で、アイヌ語の「ポン・ピラ」(小さい・崖)といい神社やお寺があり高台となっている。天塩川に面した所が崖のように崩れていたことからアイヌの民はこの地を「ポンピラ」と呼んだのではないだろうか。1869(明治2)年8月蝦夷を改め北海道と名づけ開拓使を設置。11国86郡を設定し、天塩国に上川・中川・利尻・天塩・苫前・焼尻の6郡を定め水戸藩が支配する。1871(明治4)年8月天塩・上川・中川一帯は水戸藩から開拓使に引き継がれる。1872(明治5)年10月宗谷支庁中主典佐藤正克らが天塩川を遡り上川郡と中川郡の調査をし、天塩川の水源や北見、石狩国へ抜ける道を探査するため越年調査をし、闢幽日記を著した。1880(明治13)年3月増毛、留萌、苫前、上川、中川6郡を管轄する、留萌外5郡役所が開庁しその治下に入る。1881(明治14)年留萌外5郡役所が増毛に移り、増毛郡役所が開庁しその治下に入る。1897(明治30)年6月上川郡に剣淵、士別、多寄、上名寄の4村を加える。中川郡に下名寄村を加える。10月中川・天塩の御料地1万1121haを官有地から編入する。中川・上川郡は増毛支庁に所属する。1900(明治33)年中川・天塩両郡御料地の1万1121haが北海道庁から引き渡しを受ける。中川御料地の区画測量に着手する。1901(明治34)年4月天塩国中川郡(下名寄村)を増毛支庁から分離し、上川支庁に編入し「剣淵外4ヶ村戸長役場」となる。貝瀬権八と畦内安次郎がトートマナイ(遠富内(現・大富))に入地する。1902(明治35)年三吉清一が入植する。このとき貝瀬権八と畦内安治郎が住んでおりあとはアイヌしか居なかったとある。1903(明治36)年11月御料地貸付開始される。宮内省御料局札幌支庁臨時天塩派出所を誉平(現・中川町誉)に設置し、この年をもって中川町の開基とする。1906(明治39)年4月「中川村」(現在の音威子府村を含む)の名称誕生。9月誉平(現・誉)に簡易教育所設置する。この年に古川西蔵と竹田徳松が現・国道40号近く中川橋付近に御料地を借受けし入植した。1908(明治41)年仮定県道天塩線(現・国道40号線)が中川村に敷設される。この年ポンピラ地区の区画が貸出され、15戸が借受ける。1909(明治42)年5月誉平、安平志内、遠富内の各簡易教育所が、尋常小学校に昇格する。1910(明治43)年9月中川神社として小祠が建立される。天照大御神を祀った。天北教会と称したキリスト教会もあった。
 1912(大正元)年4月中川村に戸長役場が開庁する。1913(大正2)年10月ホロムイ(現・神路)、チラシナイ(現・富和)に渡船場開設する。1914(大正3)年ポンピラ地区2回目の宅地貸付行い7戸が借受ける。この頃岡田芳太郎が旅館(尾張屋旅館)を経営する。1919(大正8)年4月二級町村制が施行され「中川村役場」となる。中川神社の拝殿を建立し札幌神社の神霊を合祀する。。1920(大正9)年誉平、佐久両市街の区画測量が行われる。1922(大正11)年11月天塩線の音威子府~誉平間が開業し、筬島駅、神路駅、佐久駅、誉平駅を新設する。この年以降アイヌは名寄の内淵に集団移住させられる。1923(大正12)年役場庁舎が新市街に移転し、新市街地に集落が出来ていく。 11月手塩線の誉平~問寒別間が延伸開業し、宇戸内駅(現・歌内駅)、問寒別駅を新設する。
 1934(昭和9)年3月中川神社の本殿・拝殿・社務所を建立し、11月村社への昇格を承認される。1940(昭和15)年5月天塩川治水工事が着工する。1941(昭和16)年1月村内字名改正により14字名となる。1946(昭和21)年12月中川市街に初めて電灯がつく。1950(昭和25)年11月役場庁舎が改築される。1951(昭和26)年誉平から天塩中川に駅名を変更する。1953(昭和28)年中川市街簡易水道が完成する。 天塩川切り替え工事完了。1959(昭和34)年4月中川左岸築堤工事着工する。1961(昭和36)年国道40号音威子府~中川間の改良工事着工する。1964(昭和39)年5月町制が施行される。1967(昭和42)年9月国営開拓パイロット事業基本計画樹立地域の指定を受ける。国道40号線音威子府~中川間舗装工事が完了する。1970(昭和45)年9月国営開拓パイロット事業が着工する。1973(昭和48)年5月中川町保健センター(現・ポンピラアクアリズイング)がオープンする。6月「中川商業高等学校」が北海道に移管される。1974(昭和49)年クビナガリュウ化石が発見される。1977(昭和52)年役場庁舎が移転する。郷土資料館が開館する。
 1991(平成3)年2体目のクビナガリュウ化石が発見される。1993(平成5)年新保養施設「ポンピラアクアリズイング」がオープンする。1996(平成8)年オートキャンプ場「ナポートパーク」がオープンする。2002(平成14)年中川町エコミュージアムセンター「エコールなかがわ」がオープンする。2003(平成15)年「道の駅なかがわ」がオープンする。中川町100周年記念式典が挙行。