社会生活の中で、仕事で周りに相談することは、とても大切なことはよく理解しています。

しかし、プライベートで自分や家族にとって深刻なことを、
家族以外の人に相談するのは、私はあまり好きではありません。

それはこんなトラウマがあるからです。

私が高校3年の時、父が職場の先輩に私の進路について軽い気持ちで相談したところ、

その先輩は、私の進路に具体的に口を出してきました。

その先輩には二人の息子さんがいて、二人とも大学を卒業して、家を継がずに出てしまったことをあげ、

父に「後を継がせるなら息子を大学へ行かすな」
「息子を⚪⚪という工場を受けさせろ」
などと、会社名、職種まで支持してきました。

厳しい先輩だったようで、父は先輩の言うことには歯向かえず、

私の意志は関係なく、父は先輩の言う通りに動いてしまった。

私が家出覚悟で家を飛び出すまで、それは続いた。
一歩間違えたら、家族の縁も切れるところまでいきました。

私はその時強く思いました。

相手も選ばず下手に相談してしまうと、
片寄った考えに基づき、不利益な縛りを押し付けれたり・・・さらに自分自身が発してしまった言葉にも縛られたりもする。

だから、私は反面教師にしてプライベートの大切な事は、基本的に、家族の中で決めるようにしている。

それとは逆に友人や仲間などから、深刻な相談された時は、

無責任な同調はせず、

その人にとって最良であると思うことを、個人的な意見として(押し付けずに)伝えるように心がけています・・たとえ相手の意に沿わないことでも。

それによって友人に嫌われても仕方がない、いつか解ってくれる・・・思うことにしています。

そんなことから私は、プライベートでの深刻な相談は、
安易にすることも、
受けることも、
心を削ることなってしまいそうで苦手です。


追伸
いろんなことがあったけど、父のことは尊敬しているし、感謝している。ただ少し不器用だっただけ。
そんな父が山から抜いてきて我が家の畑に植えたムラサキシキブが今年も綺麗に色付きました。

35年~32年前、私の大学時代は、工学部であり、一度社会人を経験してからの入学であったため、真面目一徹で遊ぶ気にならなかったこともあって
女性とは接点がありませんでした。

そんな私が大学卒業後に入社した会社の同期だった妻の第一印象は、お嬢様大学を卒業していてプライドが高そうで、私なんて相手にしてくれないだろうな・・・と勝手に思っていました。

ところが話をしてみると、とても喜作で優しくて、謙虚な子でしたた。

付き合い始めてからも、とても優しく思いやりのある性格はそのままでしたが、
謙虚で優しい中にも、一本しっかりした芯をもっている子だと思いました。

結婚してからも、家族と仲良くしてくれて家が明るくなりました。

母との嫁姑関係も良くて、結婚して29年になりますが、妻からも、母からも愚痴を聞いたことは一度もなく、いつも仲良く友達のように話をしてくれています。

私とは、子育てなどで意見が対立することはありますが、意見を戦わせることは必要なことですよね。

妻と始めて出会ってから32年になりますが、今も優しくて、懐が深くて、いつも明るく振る舞ってくれる妻に感謝しかありません。

私も、息子達も、そして母もとても幸福です。

私は高校生の時、柔道部でありながら、長距離走には結構自信がありました。

高校2年生の時、校内のマラソン大会で学年で5位に入り、全校集会で賞状を貰ったことが自分の中ではとても自信になっていました。

そんな私も、高校3年になりました。
大学進学を強く望んでいたのに全く取り合ってもらえず、父が決めた会社に就職することになってしまいました。
自分の意志が全く通らない中、人生の希望を失い腐りそうになっていました。


そんな時、マラソン大会という目標が私を支えてくれました。

このマラソン大会は、自分を表現できる最期の機会になるかもしれない・・・私はそんなことを秘かに思いながら、
毎日5キロ以上、真剣に走って自主トレをしました。

練習を続けて何ヵ月か経ち、2年生の時とは比べ物にならないほど早く走れるようになっていました。

学年で一位を秘かに狙っていた私は・・「いけるぞ」と闘志を燃やしていました。

しかし、マラソン大会まであと少し・・・というある日のホームルームで、担任の先生の口から、
「マラソン大会は事情により中止となりました」
という言葉が聞こえてきたと同時に、
周りの生徒から「やったー!」と大歓声がわき起こった。

そのとき私は、頭が真っ白になり、続いて涙が出るほど悔しい思いを噛み殺して下を向いた・・・
この時の悔しい気持ちは今も忘れられないほどです。

納得できない私は、一人で体育教官室に行き「努力したものがバカをみるような教育でいいのか」と抗議しました。

体育の主任の先生は、
「マラソン大会をやりたくない生徒が多いことに乗っかって、学校がやる気のない決断をしてしまった・・情けないことです。本当に申し訳ない」
と、謝ってくれました。
私は、その体育主任の先生の誠意ある言葉を受け入れて、その場を去りました。

高校時代のこんなちっぽけな経験でも、ずっと悔しい思いは消えませんでした。

今、コロナ禍でオリンピックを目指した選手達は、これまで苦しかったんだろうな・・・
頑張った選手達の顔を見ていると、力を出しきれて、己を表現できて良かったな。
と思ってしまいます。