ダークサイドな自分がいる悩み
アメブロで書きすぎたのか少々、ケンカになったようだ。でも、わたし自身はケンカも、ディベートも嫌いじゃない比較的、ケンカを売る傾向にあるのかもしれない。そのキャラクターが嫌いと思う人も過去にはいたが、その「自分の意見をもつキャラクター」というのを受け入れてもらえた誰か(旦那)がいるから、安心して「ダークサイドな自分」を表現しているのかもしれない。「空気読めませんね」はい。読みません。空気読んで何になる?同調や同感だけが、その問題をクリアできるとは限らない。「空気読んで」というのは、一昔前のように感じる。10年くらい前は流行ったな。でもそれが、問題の解決かどうかと問われると、そうではない。と思う。問題が、問題であるうちに、しっかり問題提起をしないと何も解決はされない。前にはいかない。「これこれこういうことが問題なのではないですか?」と正論をぶつけるのはぶつけられた人にとっては、きっと嫌だろうね。だって、目をつぶってはいけない正論がそこにあるから。ダークサイドな自分は、人を苦しめることがあるかもしれない。でも、その苦は、「そういう問題かもよ?」と問題定義しているだけであって、誹謗中傷でははく、斜め上での「励まし」だと思ってやっていた。それが「ダークサイドで嫌な奴」ととらえてしまってはそれまでだし、そういう苦も含めて、何もごとも前に進むことは必要だと思う。最近はその、「ダークサイドな自分」が露骨にみえてしまうことも、自分の中では悩みではあったでもだって・・そういう接続詞を多く使っている自分がいることも自覚していた。「ダークサイドな意見」「否定意見をあえていう」というタイトルの日記は相手を傷つけたかもしれないけども、そういうことを言ってくれる人っていうのも、世の中には必要だと思う。たぶん、多少、嫌われるでしょうね。たぶん、女子の群れからはハブられるでしょうね。「あなた!人の気持ちがわからないの?」って言われるでしょうね。だから何なんでしょう?その人がそもそも解決したい問題は、同調や同感が増えることによって、解決するのであろうか?増やしたいのは、インスタグラムの「いいね」ではないと思う。https://twitter.com/otera2020/status/1273402585693601792【お寺の掲示板のTwitter】増やしたいのは、「自分が幸せ」で増やしたいのは、「自分の夢への実現」で別に増えなくてもいいのは、アクセス(足跡)で・・・夢の実現は、夢の実現を直視しない限り、難しいでも、直視するのは難しい。でも、直視するがゆえに「苦」があることを自覚して「苦」があるがゆえに、それを乗り越えたときに夢が叶う。ダークサイドばかり嘆いている自分がいることもわかっている。わかっているから、自分にとっては「苦」なのかもね。きっと、もうちょいその「苦」とぶつかったら、ダークサイドな自分で悩むこともなくなるのかもしれない。(同感や同調が単純に「いいね」って思えるのかもしれない)人生は成長だ。自分もがんばろう!・・・なんかもっと、緩い言葉で表現できるといいなぁ・・・