かれが言っているのは、本当は、こういうことなのだ。「左様です……左様です……かしこまりました」

受話器を置くと、汗ばんだ顔を若干てらつかせながら、ぼくらのところにやってきて、ぼくらから固い麦藁帽

子を受け取った。

「奥様は客間でお待ちです!」と叫ぶと、不必要にも、アンティーク 時計客間の方向を指し示した。こうも暑いと、余計な身振

りなど、人並みに生命力をたたえている人間にとっては侮辱にも等しい。

窓の日よけが程よく室内に影を作っているその部屋は、暗く、涼しかった。巨大な寝椅子に寝そべっているデ

イジーとジョーダンは、まるで銀の偶像のようで、ぶんぶんと小気味よい音を立てる扇風機が起こす風ではた

めく、自分たちの白い服を抑えこんでいた。

「動けたもんじゃない」と2人揃って言った。

ジョーダンは、日に焼けた肌を上塗りするように白粉をはたかれた指先を、しばらくぼくの指に預けていた。

「で、かのアスリート、ミスター?トーマス?ブキャナンは?」とぼくは訊ねた。

と、かれの、無愛想な、くぐもったしわがれ声が、ホールの電話のところから聞こえてきた。

ギャツビーは、深紅の絨毯の真中に立って、魅入られたような眼差しであたりを見まわした。そんなかれを眺

めていたデイジーが笑い声を上げた。甘やかな、心を湧き立たせるような笑い声を。と、その胸元から白粉の

粉がほうっと立ち昇った。

「噂では」とジョーダンが言う。「いま電話の向こうにいるのがトムの女なんだって」

ぼくらは沈黙した。ホールから聞こえてくる声が苛立ちを含んで調子を高める。「じゃあいい。結局のところ

、あの車はおまえに売らないことにする……是が非でもおまえに売らなきゃならんという義理があるわけじゃ

あないからな……こんなことでランチの邪魔をしてくれたんだ、一切我慢してやるものか!」

「受話器を置いての一人芝居よ」とデイジーが皮肉った。

「いや、そうじゃない」とぼくはデイジーに向かって言った。「あれは正真正銘の取引なんだ。たまたま知っ

てるんだけどね」

トムが部屋の扉を大きく開き、少しの間、戸口に立ちふさがった。それからあわただしく室内に入ってくる。

「ミスター?ギャツビー!」かれは嫌悪をうまいこと隠しながら大きくて平べったい手をギャツビーにさしだし

た。「お会いできてうれしく思います。……ニック……」

「冷たい飲み物を作ってきてよ」とデイジーが叫んだ。

トムが部屋を出たところで、デイジーは立ち上がってギャツビーのところまで行き、かれの頭を下に引き寄せ

、唇を重ねた。

「分かってるでしょうけど、わたし、あなたのこと愛してる」とつぶやくように言う。

「レディの前ってことを忘れてるんじゃない?」とジョーダンが言った。

デイジーは疑わしげにあたりを見わたした。

「あなたもニックにキスしたら?」

「そんなはしたないことを言うもんじゃありません!」

「知ったことですか!」と言うと、デイジーは暖炉の煉瓦の上でクロッグダンスをはじめた。それからこの暑

さを思いだしてばつが悪そうに寝椅子に座りなおしたところにちょうど、こざっぱりとした身なりの子守女が

、小さな子どもを伴って部屋に入ってきた。

「大切な、かけがえのないあなた」とデイジーは口ずさむように言いながら、両腕をさしのばした。「おいで

、あなたを愛するママのところに」

その子は子守女の手を離すと、一気に部屋を横切り、気恥ずかしそうなようすで母親のドレスにすがりついた



「大切な、かけがえのないあなた! 黄色い髪にママの白粉がくっつかなかった? ほら立って、みなさんに

はじめましてって言ってごらん」

ギャツビーとぼくは身をかがめて、しぶしぶ差し出されてきた小さな手を握った。握手がすむと、ギャツビー

はその子をひどく意外そうに見つめていた。それまで、子どもの存在などギャツビーの念頭にはまったくなか

ったのだと思う。

「わたし、ランチの前に服を替えたの」とせかされたようにデイジーのほうに向き直って言った。

「それはね、ママがあなたをみなさんにお見せしたかったからよ」と言って、皺が一筋走っている小さな首に

顔を埋めた。「あなたは夢よ。何にも替えがたいちっちゃな夢」

「うん」と母親の言葉を落ちついて受け入れる。「ジョーダンおばさまも白いドレスに着替えたの」

「ママのお友達のこと、気に入ってくれた?」デイジーは周囲を見まわし、その結果、ギャツビーと顔を見合

わせることになった。「立派なひとたちだと思わない?」

「パパはどこ?」

「この子、父親には似てないのよ」とデイジーが説明する。「わたしに似てる。髪の色も、顔かたちもわたし

譲りね」

デイジーは寝椅子に座り直した。電波時計 腕時計子守女が前に一歩踏み出し、手を差し出した。

「いきましょう、パミーお嬢さま」

「バイバイ、スイートハート!」

一度、後ろ髪引かれるような眼差しで振りかえると、しつけのよいその子は子守女に手を引かれて部屋から出

て行った。と、トムが、目一杯入れられた氷がからからと音を立てている4杯のジン?リッキー(ジンのソーダ

割りにライムを沈めたカクテル)を背後に従え、入ってきた。

ギャツビーが自分の分のグラスをとりあげた。

「これは確かに涼しそうですね」と緊張の色もあらわに言う。

ぼくらは時間をかけ、むさぼるようにそれを飲んだ。

「どこで読んだか忘れてしまったが、太陽は年々熱くなっているらしいね」と、トムが陽気に言った。「その

うち地球はそのうち太陽に飲みこまれて――いや、ちょっと待て――反対だ――太陽は年々冷たくなってるん

だ」

それからギャツビーに向かって提案する。「外においでになりませんか、見ていただきたいところがありまし

て」

ぼくはかれらと一緒にベランダに出た。熱気に凪いだ緑色の海峡を、小さな手漕船が1艘、風を求めて海へと向

かい、ゆっくりと進んでいく。ギャツビーはちょっとの間それを目で追い、やがて、片手をあげて湾の向こう

を指し示した。

「私はあなたがたのちょうど真向かいに住んでおります」

「そうなりますね」

ぼくらはバラの花壇から熱のこもった芝生へ、そこからさらに海岸沿いに並ぶ、真夏の草深いごみ捨て場へと

視線を走らせた。ゆっくりと、ボートの白いウイングが青く涼しげな空の最果てに向かい動いていく。その先

の波打つ海には祝福された島々とが所狭しと詰めこまれている。

「あれはいい運動になりますよ」とトムはうなずきながら言った。「1時間ほどあいつと外に出てきたいもので

す」

ぼくらは、熱気払いに暗くされているダイニング?ルームでランチをとり、どこか神経質な陽気さを振りまきな

がら、よく冷えたエールを飲み交わした。

「今日の午後はわたしたち、どう過ごそう?」とデイジーの悲鳴に近い声。「それから明日も、これからの30

年間ずっと」

「よしてよ、鬱っぽいのは」とジョーダン。「秋になって過ごしやすくなればいつだって新しい日々の再スタ

ートを切れるんだから」

「だってこんなに暑いんだもん」といまにも泣き出しそうなようすだ。「それに、何もかもがこんがらがっち

ゃって。みんなでニューヨークに行こう!」

デイジーの声は暑さと激しく戦いながら、ついにはそれを打ち負かし、無意味な発言を形あるものに変えてみ

せた。

「馬小屋をガレージに仕立てた話は聞いたことがありますが」とトムがギャツビーに言っていた。「ガレージ

を馬小屋に仕立てたのはぼくが初めてでしょうね」

「ニューヨークに行きたいのはだれ?」デイジーがなおも言っている。ギャツビーの視線がふとデイジーに向

けられた。「ああ」デイジーは叫ぶように言った。「あなた、涼しそうね」

2人の視線がぶつかり、その場にいるほかの誰をも忘れたかのように、お互いをじっと見つめあう。デイジーは

無理に視線を引き剥がし、テーブルに目を落とした。

「あなたはいつだって涼しそう」と、デイジーはくりかえした。

デイジーはギャツビーに愛を告げていたのだ。トムもそう見た。かれは愕然とした。口をほんの少し開き、ギ

ャツビーを見やり、それからデイジーをかえりみた。遠い昔に知っていた人物だということにやっと気づいた

といった感じで。

「あなた、あの広告の人そっくりね」とデイジーは無邪気に先をつづけた。「ご存知でしょ、あの広告の人―

―」

「わかった!」とトムが慌てて話に割りこんだ。「いま心底ニューヨークに行きたくなったよ。さあ――みん

なで街に出ようぜ!」

かれは立ち上がった。その瞳がギャツビーと自分の妻の間をせわしなく行き来する。誰一人として動かない。

「行こう!」かれの冷静さに一筋ひびが入った。「どうしたんだよ、いったい? 街に行くってんなら、出か

けようじゃないか」

自制の努力に震える手でグラスを口元に運び、エールの残りをあおった。デイジーの声が、ぼくらを熱しあが

った砂利道のドライブに向かって立たせることになった。

「いますぐ行こうって言うの?」デイジーは反対した。「このままで? まず、煙草を吸いたい人が吸ってか

らにしないの?」

「みんな、ランチの間ずっと吸ってたじゃないか」

「ねえ、楽しくやりましょうよ」とすがるような声。「暑すぎるんだもの、ばたばたするのはいや」

かれは答えを返さなかった。

「我侭なんだから」とデイジー。「行こう、ジョーダン」

女たちは2階にあがって出かける準備をはじめた。その間、ぼくら3人の男性陣は、熱い敷石を足元でじゃりじ

ゃりいわせながら、それが終わるのを待っていた。弓なりになった銀色の月がはやくも西の空に浮かんでいた

。ギャツビーが口を開き、それから気を変えたようだったが、それより早く、トムがギャツビーにけげんな顔

を向けた。

「馬小屋があるのはこの界隈ですか?」かれは苦労しいしいそう言った。

「500メートルほど道を下ったところに」

「成程」

間。

「街に行こうだなんて理解できんね」とトムが荒々しい口調で吐き捨てた。「女の頭の中にはこの手のたわご

とがぎっしり詰まってて――」

「なにか飲み物を持っていく?」デイジーが階上の窓から呼びかけた。

「おれがウイスキーを取ってこよう」とトムが返す。それから家の中に入っていった。

ギャツビーが緊張した顔でぼくに向き直った。

「ミスター?ブキャナンの家では私からは何も言えません、親友」

「デイジーの声にはあからさまなところがあるからね」とぼくは述べた。「あれには目一杯――」ぼくは言い

よどんだ。

「あの人の声は金に満ちているのですよ」と不意にギャツビーが言った。

それだ。ぼくはそれまで理解していなかった。金に満ちている――すなわち、そこから沸き立ってはそこに落

ち入る尽きることのない魅力、その涼しげな鈴めいた音色、そのシンバルのような歌声……高き純白の宮殿に

住まう王女、黄金の娘……

トムがタオルに包んだクォート?ボトルを手に家から出てきた。その後ろに、デイジーとジョーダンが続いた。

金属的な光沢を放つ服をまとい、薄手のケープを腕にかけている。

「私の車に全員乗せて行きましょうか」とギャツビーが提案した。熱しあがった緑色のシートを手で触って確

かめる。「日陰に入れておくべきでしたね」

「ギアのシフトは普通のやつですか」と、トムが聞く。

「ええ」

「じゃあ、あなたはぼくのクーペをお使いになって、ぼくにあなたの車を街まで運転させませんか」

その提案はギャツビーの意に添うものではなかった。

「ガソリンが余り入っていないと思うんですが」とかれはトムの提案に反対した。

「ガソリンはたっぷり入ってるじゃないですか」とトムはぶっきらぼうに言った。ガソリンのゲージを見てい

る。「もし切れたときはドラッグストアに止めればいいんですし。最近はドラッグストアでなんでも買えます

よ」

このどう考えても的を外した発言に、沈黙がつづいた。デイジーが眉をひそめてトムを見やった。なんともは

っきりしない表情、であると同時に、はっきりと見覚えがあり、おぼろながらにもそれと分かる表情をして、

ギャツビーを見た。それはまるで、言葉での描写しか聞いたことのないような表情だった。

「さあデイジー」とトムが、手でデイジーをギャツビーの車のほうに押しやりながら言った。「おれがこのサ

ーカス?ワゴンで連れてってやるよ」

そう言ってドアを開けたが、デイジーはかれの腕の中から逃れでた。

「あなたはジョーダンとニックを連れていって。クーペでついてくるから」

デイジーはギャツビーに歩み寄り、かれの上着を片手で触った。ジョーダンとトムとぼくとは、ギャツビーの

車の前部座席に乗りこんだ。トムが不慣れなギアを慎重に入れ、ぼくらは耐えがたい熱気の中に飛び出した。

後に残された2人は視界から消え去った。

「気づいていたのか?」

「何に?」

かれは、ぼくとジョーダンがことのすべてを知っていたことを見抜き、ぼくに鋭い眼差しを送ってきた。

「おれのことをとんだ間抜けだと思ってるんだろう、違うか?」とかれは言い出した。「ひょっとしたらそう

かもしれん。でもな、おれには――第二の視点とでも言おうか、そういうものがあってだな、ときどき、それ

がおれに今から何をすべきか、教えてくれるんだよ。もしかしたら信じてもらえんかもしれんが、それでも科

学的に言って――」

かれは間をとった。目下の事情がかれを支配し、空理空論の奈落に飛びいる寸前のかれを引きもどした。

「おれはあいつのことをちょっと調べてみた」と、かれは話をつづけた。「あまり深いところまではさぐれな

かったがね。だっておれには――」

「つまり、霊媒(medium には「霊媒」と「中程度」の意味がある)のところに行ったってわけ?」ジョーダン

がふざけてそう訊ねた。

「なんだって?」かれは、笑いだしたぼくらをわけがわからずに見つめた。「霊媒?」

「ギャツビーのことで」

「ギャツビーのことで? まさか、霊媒に会ってどうするんだ。おれが言ってるのは、あいつの過去をちょっ

と調べてみたってことなんだよ」

「そしてあなたはかれがオックスフォードの卒業生だと言うことを知りました」とジョーダンが続きを代弁す

る。

「オックスフォードの卒業生ね!」そんなことがあるかと言わんばかりの口調だ。「いやはや、死ぬほどあり

えそうな話だよ。ピンクのスーツを着てるくらいだからな」

「それでもオックスフォードの卒業生ってことには変わりない」

「ニュー?メキシコのオックスフォードとかな」とトムは馬鹿にしたように言う。「なんにせよ、そういう代物

に決まってる」

「ねえ、トム。もしあなたがそんな俗物だったのなら、なんであのひとをランチに呼んだりしたのよ?」とジ

ョーダンは癇に障ったようすで絡んだ。

「デイジーが呼んだんだ。結婚前からの知り合いらしい――どこで知り合ったんだか見当もつかんがね!」

ぼくら全員はエールの酔いからさめてゆき、苛立ちはじめた。それに気づいたぼくらは、しばらく黙ったまま

ドライブを続けた。そのうち、T.J. エクルバーグ博士のぼやけた瞳が道路の向こうに見えてきた。ぼくはガソ

リンについてのギャツビーの警告を思い出した。

「街に着くまで十分保つ」とトム。

「でもそこにリペアガレージがあるじゃない」とジョーダン。「この暑さの中で立往生なんて、わたし嫌よ」

トムはいらだたしげに両方のブレーキをかけた。ぼくらはウィルソンの看板の下の、埃っぽい位置へと出し抜

けに滑りこんだ。少し遅れて経営者が家具の陰から出てきて、虚ろな瞳でぼくらの車を見つめた。

「ガソリンだ!」とトムが怒鳴りつける。「なんのために車を停めたと思ってる――景色を眺めるためだとで

もいうのか?」

「具合が悪いんです」とウィルソンはぴくりとも動かずに言った。「今日一日、ずっと具合が悪いんですよ」

「何があったっていうんだよ」

「すっかり参ってしまいました」

「じゃあ、自分でやろうか? 電話してきたときはなんともないみたいだったじゃないか」

大儀そうに、もたれかかっていた戸口から体を起こし、日陰から出てきたウィルソンは、息をはあはあ言わせ

ながら、タンクのキャップをねじ開けた。太陽の下、その顔色は緑色に見えた。

「ランチのお邪魔をするつもりはなかったんです。ただ、ひどく金が要りようになったものですから、昔のお

車をどうなさるおつもりだろうと思いまして」

「こいつは気に入らないか?」とトムは訊ねた。「先週買ったやつだ」

「黄色のいい車ですね」と苦しげにタンクのハンドルを操りながら、言う。

「買う気はないか?」

「ビッグ?チャンスですね」とウィルソンは弱々しい笑顔を作った。「でも無理です。あっちのほうだったらい

くらか儲かるんですが」

「いったい何に金が要るんだ、そんな急に?」

「私はここに長居しすぎました。ここを出たくなりました。私も、妻も、西部に行きたいんです」

「奥さんが!」と、トムははっとして叫んだ。

「あれはもう10年もそんなことを言ってるんですよ」かれは手で目元に影を作りつつ、ポンプにもたれかかっ

てしばらく休んだ。「あれはここを出ますよ、本人の意思に関係なくね。私はあれを連れていきます」

クーペが砂埃を立てて通りすぎて行った。誰かが手を振っているのが一瞬だけ見えた。

「いくらだ?」とトムが険しい口調で尋ねた。

「ここ2日、どうも様子がおかしいと思いましてね。それでここを出ようと思ったわけでして。それで、お車の

ことであなたを煩わせてしまったわけです」

「いくらだ?」

「1ドル20セントで」