これは本当にお食事会なのか?
 乳白色の石の円卓に歩み寄りながら、おれは緊張で手足が強ばるのを感じていた。
「晩餐会っていうより、軍事会談に見えるんだけど」
 部屋にいたのは長男と三男で、彼等は二人とも当たり前のように制服姿だった。コンラッドがそうなのだから、その兄弟だって正装といえば軍服だ。だがそれぞれの制服は、デザインは同じだが色が違う。グウェンダルはくすみのないビリジアンで、ヴォルフラムは青の強い紺だった。部署ごとに色が異なることは多い。陸海空の区別もつけやすい。
 盆を持った給仕らしき男が、おれに深々と頭を下げる。だが長男も三男も、シャンパンらしきグラスを手にしたまま、挨拶のアの字もしてこない。きまずい雰囲気に耐えられなかったのは、やっぱりおれのほうだった。
「こ、こんばんは」
 ヴォルフラムが鼻で笑った。顔のいい人からの軽蔑は、攻撃力も三割増しだ。コンラッドがにこにこしながら間に入って、グウェンダルの背中に左手を置く。
「陛下、彼は俺の兄のフォンヴォルテール卿グウェンダル、それでこっちが」
 輝く金髪に指を突っ込むと、触るな、と振り払われる。
「……弟のフォンビーレフェルト卿ヴォルフラム。二人とも、ついこの間までは殿下と呼ばれる立場だったけど、今は閣下。もちろん陛下より数段格下だから、気軽に呼び捨てでかまいませんよ」
「ぼくに触るなッ」
 グウェンダルは黙ったままだったが、若いのはヒステリックにきゃんきゃん騒いだ。
「人間の指で触れるなと言っているだろう!? ぼくはお前を兄と思ったことなど、一度としてないからなッ」
「はいはい、わかったから飲み物をかけないでくれ。お前たちのと違って生地が白いから、染みになっちゃって大変なんだ」
 いかにも慣れているという様子で、次男は自分の兄弟から離れた。美少年、カラマワリだ。
「父親が違うってのは説明しましたよね。俺だけウェラー卿コンラートで、十貴族の一員じゃないのにもお気付きでしょう。俺の父親は素性も知れない旅人で、剣以外には何の取り柄もない人間だったんです」
 ヴォルフラムは不愉快そうな顔をしていた。グウェンダルは無関心だった。
「じゃあ、ハーフ? あ、ハーフとかダブルとか言わないのか。母親が魔族で、父親が……」
「人間です。薄茶の髪と目で、無一文の」
「そしてとってもいい男だったの」
 全員の視線が一斉に入り口に向かう。セクシークィーンが犯罪すれすれの扇情的な格好で微笑んでいた。へそまで届くかという切れ込み、脚線美丸見えのスリット、艶消し素材の黒のタイトなドレス。アクセサリーはひとつもなし、あたし自身が宝石よといわんばかりに。
 全裸の時以上に、フェロモン発散中だ。
「母上!」
「母上!?」
 三人のうち誰が叫んだにしろ、結局は三人の母親だ。百歳近い人たちの母親が、三十そこそこでいいのだろうか。
「三十……かける五……百五十……百五十歳前後かぁ」
 つまり自分はさっき、百五十歳前後のご婦人にときめいてしまったわけだ。年上好みにも程がある。
 母親はとりあえず、手近な息子に抱きついた。金の巻毛が優雅に広がる。
「久しぶりね、コンラート。ちょっと見ない間に父親に似て、ますます男前になったわね」
「母上こそ、いつにもまして麗《うるわ》しい」
「やぁん、そんなこと、他の娘《コ》みんなにも言ってるんでしょぉー」
 これが母と息子の会話かい。

 彼女は次々と息子を抱き締めたが、辛うじて親子に見えるのは三男のヴォルフラムのときだけで、長子であるグウェンダルにいたっては、年下だけど落ち着いた彼氏と年上でも甘え上手の彼女みたいだった。次男にこっそり訊いちゃったほどだ。
「再婚した夫の連れ子とか、そういう?」
「いいえ、俺たち三人とも、確かにあの女性から生まれてます」
「グウェン、あなたまた眉間にシワよってるわよ。そんなんじゃ女の子に敬遠されるじゃない。ああ、ヴォルフ! ヴォルフったら、もっと顔をよく見せてちょうだい。あぁら、相変わらずあたくしにそっくり。殿方が放っておかなくてよ」
「……母上、今朝お会いしたばかりです。それに男に好かれても嬉しくありません」
「そうなの? 男の子ってそういうものなの? これだから年頃の男の子の気持ちはよく判んないっていうのよねぇ。ああ、どうしてあたくしには女の子ができなかったのかしら。男の子なんてがさつなばかりで、すぐに母親を疎《うと》んじるんだからっ」
「そんなっ、ぼくは疎んじてなんていませんよ母上!」
「そーぉ? ほんとに?」
「本当ですとも!」
 バカ親子だ。
 だがクィーンの矛先《ほこさき》は、すぐにおれに向けられる。
「陛下ぁ」
「ひゃあ」
 あの魅惑的な肉体が、弱冠十五歳の平均的高校生に押しつけられる。顔の高さが同じ位置で、キスできそうなくらい近かった。ローズ系の唇が笑みを形づくる。
「湯殿でお会いしましたわね、あなたが新王陛下でしょう?」
「そ、そうですね」
「こんなに緊張して固くなっちゃって、ほんとに可愛らしい方。あなたみたいな方が新王だったらいいなって、あたくしずっと思ってたのよ」
「そうですね」固くなってるのは、あなたのボンキュッボンのファーストボンがおれの胸に当たっているからです。
「ね、ユーリ陛下。ユーリ陛下っておっしゃるんでしょ」
「そうですね」アルタの客みたいな受け答えしてる場合じゃないぞ。
「恋人は、いらして?」
「そこまでです!」
「やぁーん」
 妙にいろっぽい声を出しつつ、おふくろさんはおれから引き離された。ギュンターが照れとも怒りともつかない顔色で割って入る。
「新魔王陛下と恋に落ちるのはおやめください、上王陛下!」
「いやーねぇ、ギュンター。ひがみっぽい未亡人みたいに聞こえてよ」
「恨まれようとも罵られようともかまいません。とにかく私は、前魔王陛下が新魔王陛下を愛人に……いえ失礼、恋人にするというような不適切な関係を避けたいのです」
「前魔王? 誰が? この……彼女が?」
 セクシークィーンではなくて、本物の女王だったのか。黒いドレスの麗しき魔族(もしくは魔女)は、微笑んで白い手を差し出した。
「眞魔国へようこそ、ユーリ陛下。あなたの先代にあたる、フォンシュピッツヴェーグ?ツェツィーリエよ。あたくしが王位を退くと言ったから、陛下をお呼びすることになったの」
「じゃあおれはあなたのおかげで、うー、いや、えー、フォンシュピッツヴェーグ卿ツェ……えーとツェツィーリア? 違う? リ、エ?」
「ツェリって呼んで。ツェ、リ。お兄さまは考え直すようにっておっしゃるけど、恋愛も自由にできない生活なんてもううんざり!」
 ツェリ様、貴女のそんな理由のせいでおれは、まだ未成年なのに、魔王になれとかいわれてるんですね。目の前の細い指を握りながらおれは嘆いた。ああ、この白魚のような美しい指の持ち主が、あと百年くらい権力に執着してくれれば、おれは日本で平凡な人生を送り、不幸にも女房には先立たれたがその半年後の春の日に、ひとり息子や嫁やかわいい孫たちに見守られて、あの世に旅立つことができたのに。待てよ、あの世がここだったらどうしよう。そうすると今現在、おれは死んでいるということに……。
「どうなさったの、陛下?」
 明るい家族計画が、走馬灯のごとく浮かんでは消え、浮かんでは消え。


 こういう話がある。
 ある国で晩餐会に招かれた客人が、王や貴族の前でガチガチに緊張してしまい、本来なら指を洗うはずのボールの水を、間違えて一気に飲んでしまった。周りにいた貴族たちは「マナー知らずめ」と冷笑し、器で優雅に指を洗った。ところがただひとり王女様だけは、涼しい顔でフィンガーボールの水を飲み干したという。お客に恥をかかせないようにと。
 ボールといってもアメリカンフットボールの試合ではなくて、おもてなしとはこうあるべきだ! という心あたたまる逸話のことだ。
 もしこの水をぜんぶ飲んじゃったら、誰か優しい王女様になってくれるかな。
 銀器に注がれた水を見つめながら、おれは密かに溜息をついた。
 やめとこ。コンラッドくらいはつきあってくれそうな気もするが、長男と三男は絶望的だ。マダム?ツェリはどっちだか判らないけれど、何も無知を装ってまで、試すことでもないだろうし。
 おれは両手の指先を揃えて、慎重に小さめの器に浸した。と……。
「ええっ!?」
 他の連中はボールを両手で持って、中身を一気に飲み干している! しまった、道徳の教科書なんか真面目に読むんじゃなかった。コンラッドは飲まずに給仕に下げさせている。
「薄汚さを心得ているらしいな、酒で自らを清めるとは」
 隣に座ったヴォルフラムが悪意の直球勝負できた。ということはあれは酒だったのだ。だったらいいや、どうせアルコールは飲まねーもん。法律遵守のためではなく、希望の身長と心肺機能維持のために、おれは禁酒禁煙だった。
 ギュンターが円卓から離れたところで、給仕に何事か指示を出す。彼は魔王の近しい血族ではないので、眞王の晩餐の席にはつけない。したがってテーブルを囲むのは五人。席順は若いほうから時計まわり。
 新王おれさまユーリ陛下、ヴォルフラム元王太子殿下、コンラート元王太子殿下、グウェンダル元王太子殿下、先代魔王ツェツィーリエ現上王陛下。
 そういうわけでもっとも嫌われているヴォルフラムと、食事をしようにも気もそぞろ、なフェロモン女王に囲まれているのだ。ついこの間まで王子様だったのに、いきなり格下げになったのだから、ヴォルフラムがおれを憎む気持ちもよくわかる。無難に世襲制にしておけば、こんな厄介なことにはならなかったのに。
 江戸切子風のグラスに飲み物(多分また酒)が注がれ、給仕が軽くかがんで、機内食みたいに尋ねてくる。
「陛下、魚と肉……鳥類と哺乳類《ほにゅうるい》と爬虫類《はちゅうるい》と両棲類《りょうせいるい》の、どちらを」
 どちらを、って!? 確か昔ヤクルトに、ワニを食う選手がいた気もするけど、驚いてはいけない、これこそ国による食文化の違いだ。日本だってマムシは国民的人気食だ。マムシったって鰻《うなぎ》のことだけど。
「そっ、それじゃあ育ち盛りなんで、哺乳類を。いや待って、ちょっと待って。今夜の哺乳類はどんないいもんが入ってんの? いきのいい猿とか生まれたての子犬とか、そういうもんじゃありませんよねっ!?」
 イメージ映像、中国の食材市場。
「牛です」よかった。
「胃袋が八つ、角が五本の最高級品でございます」
「つのが五……もしや遺伝子操作とか、そういう……うう、じゃあ、その牛を」
 ハチノス、ミノ、ギノア、ヤン……だめだ、それ以上の胃袋はどうやっても思い出せない。コンソメの色とにおいをしたスープと、前菜らしき皿が運ばれてきた。おれはナイフと、フォークの代わりになるものを手に取った。くもりひとつなく磨かれた銀の、
「……懐かしいなー先割れスプーン。まあ合理的っちゃあ合理的だけど」
 小学校の給食じゃ、これ一本で二役だ。スープもオードブルもおまかせだ。
「それで、陛下、陛下はどんな国でお育ちになったの? あたくしたちの世界とは、どういうふうに違うのかしら」
 ツェツィーリエ前魔王?現上王陛下が、おれの右手をきゅっと握ってきた。元体育会系モテない男子高校生は、途端に体温が二度ばかり上がる。
「どっ、どうっていってモ、特に変わったとこもないつまんない世界デスが。ああでも、この国とはずいぶん違ってるデスよ。魔法を使える人もいないし、もっと科学が進歩してるし……」
「科学! 聞いたことあるわ。魔力や法力を持たない者でも遠くの敵を倒せる技術でしょう? 人間達の国ではそういう研究をしているらしいの。恐ろしいことよね、弓よりもっと遠くまで攻撃できる戦力なんて。そうなったとき人間達は、戦力協定を守るかしら」
 三男が冷たい目で母親に言った。
「奴等にそんな倫理観があるとは思えませんね」
「怖いこと言わないでちょうだい、ヴォルフラム。そんなことになったら、あたくしたちどうすればいいの」
「簡単なことです。魔術の制御をやめればいい。戦力の平等だの公正だのと、譲ってやるから人間どもがつけあがるんです」
「待って待って待って、科学ってそんなことのためにあるんじゃないですようっ! つまり、あの、えーと、面倒な掃除や洗濯を機械がやってくれるようにしたり、畑を耕すのも機械が一気にやってくれたり。要するに人間が楽に生活できるようにですね」
 ツェリ様が可愛らしく驚いてみせる。
「掃除や洗濯を面倒だと思ったことはないわ。だって掃除夫や洗濯女の仕事でしょう」
 女王様の暮らしがどんなだか、これまで考えてもみなかったよ。
「だっ、だから、その掃除係とか洗濯係の代わりに、機械がですねえ」
「そんなことしたら使用人たちの仕事がなくなってしまわない?」
「そうなったら、その人たちは工場で掃除機や洗濯機を作る仕事をするわけで……」
 人間が楽に生活できているのかどうか、よくわからなくなってきた。
「ね、それじゃ陛下、恋愛はどう? 異種間の恋愛とかどうなのかしらぁ。やっぱり障害や反対があると、恋はますます燃え上がるものなの?」
 異種間というのが、イマイチつかみきれない。彼女は魔族と人間のことを仄《ほの》めかしているのだろうが、日本人的にはどう変換すればいいのだろうか。国際結婚? それはもうフリーどころか憧れだし、かといって人間あんどチンパンジーというのも、滅多に恋には落ちないし。
「とにかく、とても遠い世界からいらしたのよね。王位を継いでくださって嬉しいわ。これでやっとお城から離れられる。あたくしずっと昔から、自由恋愛旅行に出るのが夢だったの」
 素敵でしょ、と指を握られて、おれはカクカクと首を動かす。
「す、素敵です」
 素敵なものが食卓に運ばれてきた。メインディッシュの肉類だ。自分の前には好意的にみればレアだといえないこともないような赤い肉。前女王の前には両棲類の丸……いや、姿焼き。その顔で、カエル喰《く》うのねセクシークィーン。一句詠んでみた。
「いきなり王になれなんて言われて、できるかどうかって不安もおありでしょうね。あたくしの時もそうだったの。ある日とつぜん使者がきて、あなたさまの魂が次代魔王陛下であらせられることが眞王言賜《しんおうげんし》により明らかとなりましたなぁんて。でもね陛下、そんなに深刻に考えてはだめ。難しいことはすべて周りの者がやってくれるし、あたくしの兄も息子達も、誠心誠意お仕えすると思うわ」
「母上!」
 鳥類にナイフを入れていたヴォルフラムが、咎めるような声で言う。
「ぼくはこいつに仕えるつもりなどありません! この男が新王に値する者かどうかもはっきりしないのに、ぼくには納得できませんねッ」
「あら、じゃああなたが王位を継いでくれるの、ヴォルフ?」
 彼は次にポテトらしき白い物体を掬《すく》い、それを皿に置いたままで首を振る。
「とんでもない。ぼくなどより兄上のほうが、はるかにその地位に相応《ふさわ》しい。兄上ならば愚かで卑劣な人間どもに目にもの見せてくれるでしょう」
 続いてワインかそれに似たアルコール類のグラスを手にとる。
 コンラッドはその隣で、聞いていないみたいな顔で魚類を口に運んでいる。末っ子にとっての兄上とは、口数の少ない長兄だけらしい。
「そうですよね、グウェンダル」
 再び鶏肉にナイフを。食べる順番が決まっているようだ。前女王が、可愛らしく首を傾げる。
「でもヴォルフラム、眞王のお言葉に背いてたてた王が、どういう結果を招いたか、あなたも知らないわけじゃないでしょ」
 どうやら神様的存在のお言葉どおりに行動しないと、恐ろしいことが起こるらしい。では、おれが魔王になるのを断った場合、恐ろしいことに見舞われるのはこの国や国民の皆さんなのか、それとも新参者のおれ自身なのか。
「当然、陛下もですよ」
「ぅえぇッ!?」
 見透かしたようにコンラッドが答えてしまった。
「なんだよそれー! おれは王様になりたいなんて思ったことも願ったことも頼んだこともないのに。それじゃほとんど脅迫じゃん」
「……やはりな」
 順番からして次は絶対にポテトにスプーンがいくだろうと、ヴォルフラムを横目でちらちら窺っていたおれは、グウェンダルの呟きに思わずそちらを向かされた。彼の短い一言に、侮りの響きがあったからだ。
「最初から、王になる気などないのだろう」
 グウェンダルは、ワイン用にしては頑丈すぎるグラスを手にしたままで、こちらの席を見もせずに続けた。彼の瞳の凍るような青には、小心者の日本人など映っていないのだ。
「双黒だろうが闇持つ者だろうが、そんなことはどうでもいい。こいつは魔王になりはしないからな。最初からそんな覚悟はないのさ。そうなんだろう、異界の客人?」
「えっ……って、確かに……」
 思わず肯定しかけた返事は、コンラッドの言葉に遮られる。
「この国にいらしてまだ二日だ。陛下ご自身も戸惑われている。無礼な憶測の物言いは、些《いささ》か傲慢に過ぎるんじゃないか、フォンヴォルテール卿」
「だがこれは逃れようもない現実だ。誰よりお前が知っていることだろう? 王としての責任を果たす気もない国頭《くにがしら》が、どんなに民の犠牲を生むか。陛下、もしも私の言葉どおりに、王として生きる覚悟をお持ちでないなら、今すぐ元の世界にお戻りください」
 もっとも魔王に相応しい容貌の男は、初めておれに冷たい笑みを向ける。
「魔族の代表として願うよ。民の期待が高まらぬうちに、我々の前から消えてくれ」
「おれだって……」
 還《かえ》れるもんなら帰りたいよ、と言いかけたのだが、自分の中のよくわからない何かが喉につかえて声を止めた。意地とかプライドとか強がりとか、そういう厄介な何からしい。
 気を取り直して赤い牛肉に立ち向かう。卓上ではまだ、新魔王バッシングが続いていた。
 攻撃側のグウェン、ヴォルフに対し、ツェリ様は中立で、コンラッドが孤軍奮闘している様子だ。
「そいつが本当に魔王の魂を持つのかどうかは判らないし、特に確かめたいとも思わない。どのみちすぐに帰る客だ。代理を探すほうが賢明だろう」
「彼は本物だよ、グウェン、本物だ」
「何故そう言い切れる?」
 視界にはレアステーキだけだったが、コンラッドが小さく笑うのは見えた。見えた、気がした。彼の背中と後頭部しか知らないときにも、やっぱり笑顔が見えたみたいに。
「俺がユーリを間違えるはずがない」
 余裕すら感じられる彼の一言に、ヒステリックにヴォルフラムがくってかかる。
「何の証拠があるっていうんだ!? 言葉が通じるとかそういう適当なことじゃ誤魔化されないからなっ! 髪だって染めているのかもしれないし、目だって……色つきの硝子《ガラス》片を被《かぶ》せるとか、姑息な方法がいくらでもあるだろう」
「お前を納得させられるような証拠は、あいにく俺には示せないな」
「だったらそんなこと断言するな! だいたい、もし万が一こいつが魔王の魂の持ち主だったとしてもだ、所詮、人間どものあいだに生まれた卑しい身分の小倅《こせがれ》じゃないか。そんな奴に我が国を任せるわけにはいかない。偉大なる魔族の歴史に傷がつくッ」
「ヴォルフラム、生まれに身分も卑しいもないよ。それは生きてゆく過程で、自分自身の行動によって決まるものだ。けれどお前がそんなにこだわるなら教えておく。陛下の御魂《みたま》はあちらの世界の魔王陛下に預けられ、そのお方が御自身の配下から、然《しか》るべき人物をお選びになった。それが陛下の御尊父だから、この世界のものじゃないとはいえ、魔族の血が流れているのは確かなんだ」
「ぅええっ!? まさか、親父が悪魔!?」
 悪魔、じゃなくて魔族。日本が記録的大不況に陥ってからというもの、銀行員は鬼とも悪魔とも呼ばれた。だがしかし、父親が本当に魔族だったなんて! 息子として今後、どのように接すればいいというのか。
「どんな顔して会えってんだよー、実の親父が魔族だなんて」
「いいんじゃないの、父君にしてみれば、実の息子が魔王なんだから」
 次男は涼しい顔。それもそうだ。そのほうが大変だ。
「けどなんでコンラッド、おれの親父のことまで知って……」
「たとえ父親が魔族だったとしてもだ! 母親はどうせ人間だろうが!」
 どうあっても攻撃の手を緩める気はないらしい。ヴォルフラムはぐいっと杯《さかずき》を呷《あお》り、麗しいからこそいっそう険しい眼差しをこちらに向ける。
「お前の身体には、半分しか魔族の血が流れていないわけだ。どうりでコンラートと話が合うはずだ、どちらも“もどき”だからな! 残りの半分は汚らわしい人間の血と肉、どこの馬の骨ともわからない、尻軽な女の血が流れてるんだろう? そんな奴にこの……」
 しまった、と思ったときにはもう遅かった。後悔はいつも先に立たない。十年間続けた野球をやめることになったのも、このカッとくる短気な性分のせいだ。小市民的な正義感が、どうしても抑えきれない一瞬がある。捕手としては致命的な欠点だ。人生的にも非常に不利だ。
 おれは目の前の美しい顔に、片道ビンタをくらわせていた。
 いいビンタだった。音も良かったし角度も良かった。当たりがよすぎてシングルヒットにはなったが、敵に与えたダメージは計り知れない。その証拠に、相手は茫然とこちらを見つめている。反撃態勢もとれていない。周囲は水をうったように静まり返り、打たれたヴォルフラムの左頬が赤く染まっている。左頬だけではない。右も、それに額も、白目も……。
 コンラッドが椅子を倒しながら立ち上がる。今度こそ顔色が変わっている。
「陛下っ、取り消して、今すぐ取り消してくださ……」
「やだね!」
 ツェリ様が、ゆっくりとナイフを皿に置く。ギュンターがつんのめりながら走ってくる。
「取り消すつもりも謝るつもりもおれにはねーかんなッ! こいつは言っちゃいけないことを言った、やっちゃいけないことをやったんだ! バカにしようが悪口言おうが、おれのことなら構わねぇよ! だけど他人の母親のことをっ、見たことも会ったこともないくせに尻軽とは何だ!? どこの馬の骨とはどういうこった!? 馬の骨と人とで子供が生まれるか!? おれのおふくろは人間だよ、どっからどう見ても人間だよ。お前に言わせりゃ汚らわしい血の流れてる人間だよ! お前ナニサマのつもりだ? 人間が汚らわしいってどーいうこと? お前のおふくろがそういうふうに言われたら、息子としてはどう思う!? ああ、謝んねーかんなっ」
 テンパっちゃうといつもこう、ベイスターズなみのマシンガン抗議。ギュンターを制して、おれは続けた。
「絶対に取り消さない! それでも顔が綺麗だから、グーじゃなくてパーで我慢したんだぜ」
「絶対に、取り消すつもりはないっておっしゃるのね?」
 おれが頷くのを確かめてから、ツェリ様は胸の前でぱんと手を叩いた。
「すてき、求婚成立ねっ」
 きゅうこん?

 埋めておくとチューリップとか咲くアレですか。
「ほぉらね、ヴォルフラム、あたくしの言ったとおりでしょ? こんなに美しくなっちゃったら、殿方が放っておかなくてよ、って」
 両手の指をくっつけたまま、小躍りしそうな喜びようだ。
 とのがた、というのは……おれか!?
「陛下はとっても可愛らしいから、ちょっと妬ける気もするけど。でもしかたないわ、愛する息子のためですものね」
「ちょっと待って、落ち着いて、いや、誰かおれを落ち着かせて。何が起こってるか教えてくれる? またおれどういうマナー違反やっちゃったのか、誰か解りやすく教えてくれるっ!?」
 おれ贔屓《びいき》の教育係は、がっくりと俯《うつむ》いた。あちゃー……という感じだ。
「……作法違反はなさってません。それどころか最近じゃ貴族間でも使われていないような、古式ゆかしく伝統に則《のっと》った方法で、陛下は彼に求婚されたんですよ」
「求婚、というのは、まさか」
「結婚を申し込んだんです」
 結婚!? 十八歳になっていないと、異性との婚姻は許されないぞ日本男児。婚約という形なら問題ないが、それ以前にヴォルフラムは、おれと異性関係にはないだろう。
「けけけ、結婚!? 男と男が!? しかもおれから求婚して!? いったいいつ、おれが求婚を」
「相手の左頬を平手で打つのは、貴族間では求婚の行為です。そして打たれた者が右頬も差し出せば、願いを受け入れるという返事になる」
「うわぁッ、そんなバカなっ! けっ、けどッ、男同士、おっとこどーしだしぃッ!」
「珍しいことではありません」
 なんてこった、母親を侮辱した男にこっちから求婚!? 咲いたのはチューリップでもヒヤシンスでもなくて、ビッグカップルの恋の花。もしかするとビッグどころか、ロイヤルカップル誕生なのか!?
 ギュンターがスンスン泣いている。嬉し涙かどうかは考えたくもない。
「へ、陛下っ、このわたくしに何のお言葉もなく、突然の御求婚とはあんまりで……いいえ、喜ぶべきことなのでしょうね。これで陛下も国王として、この国に落ち着いてくださることでしょう……」
「誰か男同士で変だとか言ってくれよーっ!」
「こんな屈辱的なことが許せるものかッ!」
 ようやく自分を取り戻したらしいヴォルフラムが叫ぶ。右頬を差し出す様子はない。
「しょーがないだろーッ!? 殴るときはグーパンにしろなんてこと、誰も説明してくんなかったんだからさっ」
「黙れっ! こんな辱《はずかし》めを受けたのは生まれて初めてだっ」
「へえー、そうなの。そりゃずいぶんと恵まれた人生送ってきたもんだねっ。おれなんかポジションとられた後輩に靴下洗っといてって言われたときとか、チーム一の鈍足にスチール決められたときのがよっぽど屈辱的だったね! 八十年も生きてきて、他人の過ちのひとつも許せないなん……」
 結婚を申し込まれて興奮したのか、ヴォルフラムは卓上を腕で払った。皿やグラスが床に落ち、銀のナイフがおれの足元で跳ねる。
「うわっ、とぉ、あっぶねーなぁ。ごはんに当たるなよ、ごはんにィ」
「陛下、拾っては……」
 おれはしゃがんで、鶏肉の脂《あぶら》で少し曇ったナイフを拾った。
「拾ったな?」
 ありゃ?
 座ったまま周囲を見回すと、コンラッドとギュンターが途方に暮れたような表情でうな垂れていて、落とした本人の美少年は、怒りにひきつりつつ薄笑いを浮かべていた。
「拾ったな。よし、時刻は明日の正午だ。武器と方法はお前に選ばせてやる。なにしろ戦場に出たこともなければ、馬にさえ満足に乗れない腰抜けだからな。せめて得意な武具を使って、死ぬ気でぼくに挑むがいい」
「な、なにを?」
「覚悟しておけ、ずたずたにしてやる」
 そこまで言って冷酷に笑うと、彼は母と長兄に食事の途中で席を立つ非礼を詫びてから出ていってしまった。およそ役に立っていない教育係が、ためいき混じりに肩を落とす。
「求婚なさったと思えば、すぐさま決闘をお受けになる。陛下、陛下のお気持ちの変わりようには、私、ついてゆけません」
「決闘? を、申し込まれたの? おれが!?」
「故意にナイフを落とすのは、決闘を申し込むという無言の行為で、それを向けられた相手が拾うのは、受けて立つという返事になるのです」
「決闘!? ねえ、じゃあおれもし負けたら、や、多分負けるけど、し、死んじゃうのか!? うっかりたまたま親切にナイフを拾ったくらいで、あいつに撃たれて死んじゃうの!?」
 おれの貧相な想像力では、砂埃の舞う西部の荒野で十歩進んだら振り向いて撃ち合う、マカロニウェスタンの早撃ちガンマンしか浮かんでこなかった。
 大丈夫ですよ、いまどき決闘で命を落とす者は滅多におりませんからとか、ヴォルフラムが思いつきもしないような奇をてらった武器で相手を驚かすってのはどうだろうとか、いっそのこと可愛らしい着ぐるみであいつの戦意を喪失させるって手は? とか言い合って、新王陛下を慰める「おれ派」の二人を眺めながら、すっかり言葉少なになっていたグウェンダルとツェリ様は、互いのグラスを空にしてから話し始めた。
「以前から感情を制御できない奴ではあったが……まさかここまで直情的だとは」
「そうよねぇ、いくらなんでもいきなり決闘を申し込むとは思わなかったわ」
 あの求婚行為がうっかりであることは、冷静になればすぐに気付く。おれはいわゆる異世界育ちで、右も左もわからない帰国子女だ。魔族の、それも貴族限定のしきたりなんて正しく身についているはずがない。
「でも、あの子のせいだけではないのよね」
「どういうことです?」
 グウェンが横目で聞き返している。
 いやな予感がする。母親がこういう含み笑いを見せるときは、だいたい何か隠してるんだ。
「あのねぇ、うふふ、陛下の髪から、あたくしの美香蘭《びこうらん》のかおりがしたの。洗髪水《せんぱつすい》に混ぜたものを、湯殿に置いたままにしていたのよ。きっと効能もご存じないまま、髪を洗うのに使われたのねっ」
「その、効能というのは」
「薬術師に頼んで作らせた、魔族にしか効かない貴重なものよ。その香りをはなつ者に少しでも好意をもっているなら、いっそう情熱的で大胆になるようにって」
「つまり媚薬《びやく》とか、惚れ薬とかいうやつですか」
「やぁね、そんなぞんざいな言い方」
 好意を持つものはより大胆に。では逆に、もともと悪意を抱いている場合は? 僅《わず》かに眉を寄せてグウェンダルは、給仕に酒を注ぐよう合図する。
「嫌っていれば、より険悪に……ヴォルフラムが逆上するわけだ。母上、そういうことは早めに教えておいてやるべきなのでは」
「あらどぉしてぇ? ヴォルフは怒ってる顔がいちばんかわいいのよー? 自分の息子のかわいらしい様子を見たいと思わない母親がいて?」
「……いいえ」
「そうだわ! あなたもアニシナと二人の時に試してみたらどう?」
「……まだ生命《いのち》が惜しいので……」
 ラジオから流れる英語放送みたいに、おれは茫然《ぼうぜん》と会話を聞いていた。
 悪意を抱くものはより険悪に。好意を持つものは、より大胆に。
 なるほど、それで先程から、ギュンターが目を潤ませているわけだ。