昨日の博多阪急百貨店でのライブを
ご覧になった方は
ご存知だと思いますが
大学院卒業とともに
愛知県で社会人になる
Fun'sdのHIROこと
前谷 寛(まえたに ひろし)くんが
Funs’dを卒業することになりました。
彼の就職が決まってから
どんな風に
彼を送り出すのか
ずっと考えてきました。
(株)ノーメイク創業20年
これまでたくさんの卒業生を
送り出してきました。
嬉しい別れも
悲しい別れも
悔しい別れも・・・・・。
10代の男の子たちのユニット結成
私にとっては
これまで経験したことのない領域の
仕事でした。
彼らを理解し、指導することは
当初は 至難でした。
今となっては
笑い話のような
彼が、引き起こす出来事に苦戦する私。
いえいえ 今でも
まだ 次々に 笑い話は
起こっていますが・・・・。
その苦戦する私=(株)ノーメイクと
彼らのパイプ役になってくれたのは
HIROでした。
いつも前向きなその姿勢と
そして 彼の笑顔に
みんなが 救われてきました。
社長がSHUNさんに
HIROの卒業の曲を
作ってほしいとお願いし
そして
SHUNさんから
その曲を受け取ったのが
1月でした。
できあがったその日に
社長の車の中で
その曲 HIROMAWARIを
聴きました。
HIROが いなくなるなんて
信じられないし
今は、まだ 考えたくないね。
っと二人で車の中で
涙しました。
そして、
Fun'sdのメンバーに
聴かせたのは2月。
HIROが 卒論で忙しくて
絶対に (株)ノーメイクに来ない
っとわかっている夜に
発表しました。
私たちの予想通りに
いえ、このブログを読んでくださっている
みなさまの予想通りに
歌詞カードを読んだだけで
いや
「今から、HIROの卒業ソングを聴かせます」
と 言っただけで
AKIRAは 泣き始めました。
JUNYAも・・・。そして他のメンバーも。
ただ、あの時は AKIRANの号泣が
あまりにも 号泣
すぎて
ちょっと みんな 曲に浸れなかったのも
事実です。
それから、
HIROが 絶対に事務所に来ない日に
練習をする日々。
なあんにも知らないHIROから
メンバーのだれかに
「今日、練習する?」
なんて メールが入ろうものなら
予定変更。
この数日は、
Fun'sdの練習時間を
HIROには ちょっと遅らせて報告。
でも、もし、HIROが
予定より早くきちゃったら大変
ということで
スタジオのドアに鍵をかけ
「ガチャ」って音がしたら
みんなで さっと 別のことを
していたかのように・・・・。
という緊急事態への準備も万端に
練習しました。
音響のCD制作も
いつもなら HIROがやるのだけれど
これは AKIRAが やり
そして
当日のスケジュールも
HIROには サプライズが
書いていないものを渡し、
色紙への寄せ書きも
みんな
こそこそ 書いて
いつも しろうくんのお世話で
会場にお越しになれない
HIROのお母様にも
是非、ライブをみていただきたくて
ユーストリームの
アドレスを AKIRAママから
HIROのお母様に 前夜に
伝えて頂き、
もし、AKIRAが
HIROへの手紙を
号泣して 読めなくなってしまったら
どうするかの
段取りも考え、
いや、いや、
どきどき ハラハラでした。
でも
会場で
ユーストリーム画像の向こうで
ご覧になってくださっている方の
温かいまなざしと声援のおかげで
(メルママは VTR撮影をしながら
うるうる涙が こぼれてましたね)
無事、
(株)ノーメイクらしく
HIROを送りだせました。
みなさま
本当にありがとうございました。
彼が、迷っているとき
いえ、本当は 迷っていたのではなく
彼は すでに 自分でいつも
答えを出していました。
その声をきけたことが
私にとっては 大きな経験でもありました。
彼にアドバイスをしながら
でも 彼から学ぶことの方が
ずっと ずっと 多かったと思います。
本当に
素直で
心優しく
どんなことも前向きで
笑顔のHIRO。
そんな風に彼を育てられた
彼のご両親を 私は
とても尊敬しています。
HIRO 卒業おめでとう
そして
これからも よろしく・・・。
博多阪急百貨店のライブは
下記アドレスで 今でもご覧になれます。
http://www.ustream.tv/recorded/13470944
HIROMAWARI
ぜひ、聴いてください。
みなさま
本当に ありがとうございました。