今日のノマド&パレオドクターの格言
     「物事を無視することを学ぶのは、心の平穏のための、偉大な道しるべになる

$ノマドドクター・ヒロのブログ



今日も生保患者さんの診察オンパレードでした。
これから「アベノミクス」でこのような人たちの生活費もなくなりますね。
大変な世の中になりそうです・・・


さて、昨日の続きです。
私のはかない記憶からです。
いずれ日本は国家破綻して、中国との戦争に引きずり込まれる可能性が高いので、
戦後が辿った道を整理しておくのもよいかも知れません。

さて、大親分は父親がヤクザで母親はかたぎの方だったようです。
戦後、韓国人が大きな顔をして日本人をいじめていた時期に、大親分は父親は、刀で数人を切り殺したようです。

すぐに出所できたということですから、戦後の混乱時期は大混乱状態だったのですね。

そんな環境ですから、大親分は中学卒業後、地元の組に丁稚奉公に行くことになったようです。

その地元の組を見切り、大阪、東京に向かいます。

そこでギャング活動を繰り返しているところに、山口組5代目と中野組長らと知り合うことになったようです。

今でもそうですが、その当時もヤクは、北朝鮮から密輸されています。

そのヤクの取引情報を山口組5代目たちが事前に入手し、大親分がそこを一人で襲撃することを何度も行い、資金をためたようです。

このとき、取引の現金は山口組5代目たちがせしめ、ヤクのみを大親分に分配するというとりわけをしていたようです。

大親分がは現金を得るためにはヤクをまた現金化しなければならないため大変だったと仰っていました。汚れ仕事を任されたうえに、一番おいしいところは5代目たちに分け与えていたのです。

それ以降は、山口組5代目は唯一大親分に頭が上がらない関係になったようです。

不思議なことに大親分は、組を形成することはなく、ずっと一人でギャングをしていたようです。組を大阪にかまえたのは、解散するわずか数年前。それもいい加減に組を構えて山口組の杯を正式に受けるよう何度も最高幹部から勧められていましたが、ずっと断っていたといいます。

やはり人のマネイジメントは大変だからでしょうか?
私もこの考えは分かる気がします。

大阪での武勇伝はドラマみたいなものがたくさんありました。

組をたちあげたころ、数人でその当時一番大きな大阪のドヤ街の組に殴り込みに行きました。子分たちは組長のところまでたどりつけず、全員射殺。大親分のみが組長の部屋までたどり着きました。

そこでは組長の後ろに十数名の子分がピストルを持って待機していました。

「こら~。お前ら。打ってみぃ。こいつの命は俺がもらった。」

といって発砲すると、皆怖気づいて誰ひとりと引き金を引けなかったようです。
やはり、いざこのような場面になると、相手の迫力に負けるのですね。
ドラマのような話でした。

そうこうするうちに、サイレン音が・・・・・・

警察の登場で、敵対する組長と一緒に逃げる羽目になったようです。

うまく逃げ切ったようですが、その後、この敵対する組長は大親分のシマには一切手を出さないようになったようです。

う~ん。まだまだ記憶が整理されていない・・・・・・