徳川泰平の世もようやく動揺を見せ始めた頃のことである。
みちのくの山里に天狗の出没がしきりと伝えられた。
噂によると、天狗は時たま、夜の間に里にやって来ては、鶏や作物、稀には牛までもかっさらって行き、立ち去った後には必ず、鼻や目が大きくて、見慣れないなりをした童子の木彫りが残されていた、という。
また、冬の夜には、積もった雪の上に長い長い足跡を残し去る、ということであった。
その姿を見た者は誰もいない、といわれていたが、ある夜、マタギの治兵衛という老人が、天狗に出会ったと、這う這うの態で山から帰ってきたことがあった。
治兵衛の話によると、獲物を深追いしてしまい、すっかり道を失って途方に暮れていた時、天狗の姿を見たのだという。
それは身の丈七尺(2メートル余り)もあって、長い杖を操りながら、雪の上をするすると滑って行ったそうだ。木立の中に隠れていた、治兵衛のすぐそばを通り過ぎた時に垣間見たところでは、全身、毛に覆われていて、頭からは金色の毛が垂れ下がり、真っ赤な顔は、あの木彫りと同じように大きな目をむき、大きな鼻が突き出ていた、という。
治兵衛はそれから三日三晩寝込んでしまい、すっかり衰弱して一カ月後に亡くなってしまった。
以来、天狗の姿は治兵衛の話のままに、人々の口から口へと伝えられ、その姿を見たら、たたりがあるといわれるようになった。
人々は、木彫りが残されていたところには、小さな祠(ほこら)を作ってそれを丁重にまつっておいたが、そうしておくと、そこには二度と天狗がやって来ないといわれていた。
そんな訳で、次第にこの木彫りの童子は魔除けのように考えられ、ありがたがられるようになっていった。(つづく)