常に清潔に保たれた純白のシーツ。
私の腕から伸びる点滴のチューブ。
バタバタと看護師さんが走り回る音。
時折聞こえてくる誰かの泣き叫ぶ声。
それもこれも全部、日常茶飯事。
入院当初は不快に感じたアルコールの匂いも、今ではすっかりお馴染みの匂いに感じる。
あれだけ毎日が憂鬱だった学校に、今では早く行きたいとですら思う。
ああ、入院生活ってほんとに退屈。
定期的に行われる看護師さんの健康観察と血圧チェックももう慣れすぎて、聞かれる前に答えてしまうほどだ。
森「今日もぐっすり寝れました。」
看「うん。」
森「ご飯も全部食べました。」
看「うん。」
森「トイレも問題ないです。」
看「OK、じゃあまた来ますね。」
なんて事務的な会話を交わして、1日に3回しかない会話の内の1回が終了。
森「はぁ、暇……」
私の両親は共働きで、お見舞いに来てくれることなんてほぼない。
だから看護師さんとの会話が唯一なんだけど、世間話なんて悠長なことはできない。
ああ、今日も暇な1日が始まるんか。
森「みんな元気かなぁ。」
私の病気は別に不治の病とかではない。
治療法もちゃんと確立してる病気。
ただ、完治するのには時間がかかるらしい。
看「田村さんには今日からこの病室に移っていただくことになります。」
田「分かりました。」
新しい人かな。
ここの病室に来るってことは、もう手術を終えた人かもしれない。
……ま、ここに来たからって安泰ってわけじゃないんだけどね。
看「もし何かあれば、すぐにナースコールしてくださいね。」
田「はい。」
看「じゃあまた来ますね。」
看護師さんが出ていくと同時に、隣のベッドに腰掛けている田村さんに声をかける。
森「あのー。」
田「はい?」
振り向いた顔はすごく美人さんで。
私が田村さんに抱いた第一印象は
" 可愛い " だった。
森「私、森田ひかるって言います。」
田「え?ああ……」
森「よかったら、お名前聞いてもいいですか?」
田「田村保乃です。」
森「田村さん、よろしくお願いします。」
田「こちらこそ。」
森「田村さんっておいくつなんですか?」
田「えーと、今年で21。」
森「えっそうなんですか?同い年かと。」
田「ははは笑 別にタメ口でいいで笑」
…田村さんって笑顔が素敵な人だな。
灰色だった私の日常に、少し彩りが加わったような気がした。
確かあの会話が1ヶ月前だっけ。
1ヶ月もあれば、何となくその人のことは掴めるもので。
森「ねえ保乃ちゃん。」
田「んー?」
そういえば、いつの間にか呼び名も田村さんから保乃ちゃんに変わったし。
じゃなくて。
この1ヶ月、私もそうだけど、保乃ちゃんの家族がお見舞いに来ているのを見たことが無かった。
森「保乃ちゃんって兄弟いるの?何人家族?」
田「………家族はいーひん。」
森「え?……あ、ごめ」
田「家族なんて。」
いつもニコニコしていた保乃ちゃんが、こんなに怖い顔をするなんて知らなかった。
田「おらんほうが楽やで。」
森「………」
田「1人なら心配かけることもないし、悲しませることもないし。」
森「………」
田「死んだって……迷惑かからんし。」
森「そんなこと…」
田「ひぃちゃんだってそうやろ?」
森「え?」
田「写真。」
保乃ちゃんは私が入院当初からずっと飾ってある写真立てを見て、ふっと笑った。
田「そういえば、ひぃちゃんのご両親も見たことないなぁ。」
森「……共働きだから…」
田「ほんまに?」
森「…………」
田「共働きっていうのを言い訳にしてるだけちゃうん?」
森「………やめて。」
田「ほんとは愛されてないだけで。」
森「っ、違う!!!」
思わず声を荒らげてしまう。
場に気まずい沈黙が満ちた。
田「………ごめん、言い過ぎた。」
森「………」
田「まあ、保乃は本気やけどな。」
森「は、?」
田「このまま……誰にも知られることなく死んじゃいたい。」
森「…………」
いつも私に見せてくれるあの笑顔の裏に、こんな一面が隠れていたなんて気が付かなかった。
保乃ちゃんは到底1ヶ月じゃ見抜けないような、深い闇を抱えていた。
森「はぁ………」
あの気まずい空気に耐えられる訳もなく、行く宛てもなくブラブラする。
話し相手になってくれそうな看護師さんは生憎忙しそうだし。
テレビはつまんないのばっかりだし。
それでも1時間ほど病院を散歩して、そろそろ疲れてきた頃に病室へ戻った。
きっと保乃ちゃんも寝ているだろう、と思っていたのに。
看「田村さん、大丈夫だからね。」
森「え?」
看護師さんの少し焦ったような声と、保乃ちゃんらしき呻き声が聞こえてきた。
急いで入ってみても、カーテンが締め切られていて中の様子は分からなかった。
それでも、保乃ちゃんの苦しそうな声で何となく状況は分かる。
田「うぅ……ゲホゲホッ…はぁ、」
看「落ち着いて。」
そういえば保乃ちゃんって何の病気なんだろ。
結構酷いのかな……
しばらくすると看護師さんが2人出てきた。
看1「田村さんそろそろかもね……」
看2「うん……先生とご家族に連絡しよっか。」
看1「それが……田村さんのおばあさん、田村さんが入院されてからちょっと後に癌で亡くなってらして……」
看2「ご家族いないのね……こんなに若いのに可哀想……」
看1「とりあえず、先生に相談してみる。」
……ここに来たから、勝手に保乃ちゃんも大したことないって思ってた。
でも、私なんかよりももっと色んなことを背負ってるんだ。
今まで同部屋の人だろうが隣人だろうが、そこまで深く関わることはなかった。
けど、なぜか保乃ちゃんには不思議な縁を感じてしまった。
カーテン越しに声をかける。
森「保乃、ちゃん?」
田「………なに?」
かろうじて聞こえるぐらいの弱々しい声が返ってくる。
森「手伝って欲しいことあったら、何でも言ってね……」
田「………うん、ありがとう…」
森「…………」
田「…………」
森「……保乃ちゃんってさ。」
田「…うん。」
森「誰かと付き合ったこと、あるの?」
田「……ふふっ、何で急にそんなこと笑」
森「や、気になってさ。」
田「うーん、付き合ったことなんてないなぁ。」
森「うそ、そんなに可愛いのに?」
田「なんかなぁ、『好き』っていう感情が分からんねん。」
森「そっか……」
田「…………ひぃちゃん。」
森「………」
田「保乃な、癌やねん。」
半ば予想していた病気だが、それでもやっぱり改めて告げられると来るものがある。
森「癌……」
田「うん。前までは症状も落ち着いてたんやけど……今日は吐いちゃって。体中が痛いし、力入らんし。」
あ……だから最近寝たっきりだったんだ…
田「はは、どんどん死に近づいてる。」
森「やだ……」
田「……ひぃちゃんには関係ないから大丈夫やって。」
森「関係なくない!!」
田「…………」
森「保乃ちゃんがいなくなるなんて……嫌。」
田「………ひぃちゃん。」
森「ねえ保乃ちゃん、死なないでよ……」
とめどなく溢れる涙を拭って、やっと気付いた。
私は、保乃ちゃんのことが好き。
好きで、好きでたまらないんだ。
こんなにも誰かを想うことは初めてだった。
田「………ふふ笑」
森「……ねえ、なんで笑うのさ…」
田「んーん……『好き』ってこんな簡単なことやったんやなって思って。」
森「え、?」
田「なあひぃちゃん……こっち来て…」
呼ばれるがままに、保乃ちゃんの元へ向かう。
そーっとカーテンを開ければ、保乃ちゃんは初めて会った時みたいにベッドに腰掛けていた。
田「ごめん……座ったままやけど、許してな。」
森「ううん、全然。」
窓から差し込む夕日が保乃ちゃんの病室をオレンジ色に染める。
いつもは私より背の高い保乃ちゃんを見下ろすのは、なんだか不思議な感覚だった。
保乃ちゃんが私の背中に手を回して、そっと顔をうずめた。
田「……こんなに誰かを好きになったんは…初めて。」
森「………保乃ちゃん…」
田「遅くなっちゃったけど……保乃と、付き合ってくれますか、?」
森「うんっ…」
田「………はは、もっと早くひぃちゃんと出会えてたらよかったなぁ……」
森「……ほの、ちゃん……うう、」
田「……泣かんといてよ…笑」
森「保乃ちゃんだって泣いてるじゃん…」
田「うるさい……」
私のお腹に顔をうずめたっきり、顔をあげない保乃ちゃん。
森「ねえ、保乃ちゃん……」
田「ん?」
保乃ちゃんが顔をあげると同時に、顔を近づける。
近かったような、遠かったような彼女の存在を確かめるように、唇を重ねる。
保乃ちゃんのものか私のものか分からないけど
初めてのキスは涙の味がした。
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私も入院したことあるんですけど、毎朝の血圧チェックが割と好きでした。
続きます。