楽屋に入った瞬間、明らかに空気が重いのが分かった。
それと同時に、これから私がどんな目に遭うかが分かってしまった。


……ついに来たかぁ…


これから起こるであろうことにげんなりしつつも、この空気感を醸し出しているであろう張本人がどこにいるか視線を巡らせる。

彼女はこんな時には決まって部屋の隅っこで丸まっているから、見つけ出すのは簡単だった。



「美穂ー?」


「……とし、さん。」



あちゃー、やっぱり

……さっきのフワちゃんのものまねの所から危惧はしてたんだけどなぁ。


思ってたより効いてそうだし

なんなら過去最高かも



「うう〜…、私なんてどうでもいいんです……私なんて……」


「美穂……大丈夫だから、ね?」



普段は楽屋でも元気いっぱいの美穂だけど、こうなってしまうと中々手がかかる。

何を言っても心に響かないようで、とにかく励ます難易度が高すぎる。



えーと、だから………メンタルブレイク?
そう、メンタルブレイクしちゃうんだよ。

3か月に1回ぐらいの頻度でこんな感じにメンタルブレイクするんだよ、美穂は。



「としさん……」


「ああ、はいはい…」



子供みたいな目で訴えかける美穂を安心させるようにぎゅっと抱きしめる。

メンタルブレイクしてる美穂はいくらか精神年齢も若返るようで、こうやって子供っぽい言動を度々繰り返すことが判明した。


………別に幼い美穂が嫌って訳じゃないんだよ。じゃないんだけどさ。


周りのメンバーに鋭い目線を送ってみても、誰一人して目を合わせようとしない。





そうなんだよ!


なんでか知らないけどさ、メンタルブレイク期の美穂の世話はとしちゃん担当になってたんだよ。

はっきり面と向かって「お世話よろしく」とか言われたわけじゃないけど、みんなの様子を見てたら分かる。

きっと第1回メンタルブレイクの時にお世話したのがいけなかったんだろう。


や、別に後悔はしてないんだけど。


………もうちょっと手伝ってくれてもいいんじゃない?みんなー?


せめてもの救いはなっちょがちょくちょくティッシュとかを持ってきてくれるところだけど、『基本的には私が世話する』という認識は変わらないままだった。



なんて愚痴が頭を駆け巡っていて、美穂のことが疎かになっていたのかもしれない。

腕の中で美穂がもぞもぞと動いた。



「としさん、ちゃんと私のこと見てください……」


「えっ?あ、ごめんごめん。」


「むぅ……」



美穂って、敏感なのかな


物事に敏感すぎるが故に、他者の些細なことにも気がつくし、表を返せばそれだけ傷つきやすいということでもある。

美穂はいつだって良くも悪くも直球。

そんな彼女の性格もあり、実は人よりも少し心が脆いのかもしれない。


そう考えるとなんだか腕の中に収まっているこの後輩が、酷く儚い存在に思えた。


私にぴったりと身を寄せる美穂に、出来るだけ優しい声を心がけながら声をかける。



「美穂。」


「…なんですか?」


「私のこと好き?」


「好きです、大好きです。」


「あっ、そ、そう……///」



思ってるよりストレートに言われて、ちょっと顔が熱くなる。


……いつもならここで美穂にイジられるところだけど、この状態の美穂はそんなことをする余裕もないようで。



自惚れているわけじゃないけど、美穂は私のことが大好きだ。

だからある意味、美穂のメンタルサポーターとしては適任なのかもしれない。



「……気を取り直して、美穂。」


「…はい。」


「なんか私にやって欲しいことある?」


「…え?」


「今ならなんでも言うこと聞いたげる。」


「ほんとですか?」



これぞ、『としちゃんで吊る作戦』

まあ内容は名前の通りだけど。
私なんかで吊れるのかも分かんないけど。


私としては一刻も早く元通りになって欲しいわけで。
可能性のあるものは試しておきたいわけですよ。



「うん、別に先輩とか気にしなくていいからね。」


「……ほんとになんでもいいんですか?」


「まあ、死ねとか言われても困るけどさ。」


「それは流石にしないですけど……」



あ、ちょっと笑ってくれた。

なんかやっぱり美穂の笑顔って見てて安心するなぁ。



「うーん……」


「ふふ、貴重だよ?としちゃんがこんなこと言うの。」


「分かってますよ……じゃ、決めました。」


「ん、何?」


「キスしてください。」


「…………は?」



予想だにもしなかった解答に、思考が停止する。一瞬なんてものじゃなくて、動きがぴたっと止まってしまった感じ。


 " キスしてください " 


その一言が頭の中で延々と木霊し続ける。


え、キスってあれだよね?

聞き間違いじゃないよね?

っていうかしていいの?


なんて男子中学生みたいなことを考えていたら、「あのー…」と美穂が恐る恐る声を掛けてきた。



「なんかすいません……嫌ですよね、私なんかに……」


「や!する!するよ!」



危ない、また落ち込ませてしまったら本末転倒というものだろう。



……ああもう!
こうなったらやるしかないよね

それが美穂の望みなんだし



「……もうちょっと奥行って…」



とはいえメンバーに見られるのも恥ずかしいから、美穂に物陰に行くよう促す。

美穂を庇うように、楽屋のワイワイと賑わう声に背を向ける。


目の前の美穂は私と対して身長は変わらないというのに、どこか小さく、弱々しいように思えた。


彼女の頬にそっと手を添える。



「としさん……」



その端麗な顔にゆっくりと顔を近づけていく。


私を真っ直ぐに見据える彼女の瞳に映る私の姿が大きくなる。


至近距離で零れる吐息が頬にかかってくすぐったい。



「ん……」



合わせた唇は驚くほど熱かった。



一瞬のキスだったのに、美穂の唇の感触がずっと残り続けている。



「………恥ず…」



今や顔は火を吹いてるんじゃないかと錯覚しそうになるほど熱くて、それは美穂も同じらしかった。

手で赤く染まった顔を隠すようにしている様を見る限り、恐らくメンタルブレイク期は終わりを迎えたのだろう。


死ぬほど恥ずかしいけど、まあ結果オーライか。



「………めっちゃ恥ずかしかった…///」


「すいません、変なこと言っちゃって///」


「んーん、大丈夫。」


「でも…としさんのお陰で元気出ました。
ありがとうございます、いつも。」


「ふふ、気にしないで。」


「それで……その………」


「どうしたの?」



何かを言いたげにもじもじしている美穂。


こんな時、私がもっと敏感であればこんなに恥ずかしい思いをしないのかもしれない。



「……また、キスしてほしいです。」


「んえっ?」


「あっ、いやっ違います!!また落ち込んじゃったらってことです!///」


「え?あ、ああ……」



それも中々のお願いだけどね。

………でも



「嫌……ですか?」


「……っ、」



ずるいよ、その顔は。

そんな顔されちゃ、断れるわけないじゃん。



「別に……いいよ。いくらでも。」





その後。

3か月に1回のキスじゃまるで足りなくなったのは、言うまでもない話。




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おしまい。