久「生田さん、無理しない方がいいですって。」
生「大丈夫、大丈夫。」
久「でも、」
さっきまで顔色を悪くしていたとは思えないほどのスピードで歩く生田さんに、やや小走りになりがらもピッタリと追随する。
私が何か言えば、秒で生田さんが言い返し、それに負けじと私もすぐに言い返す、の繰り返しだ。
まるで私たちが歩くスピードみたいに、テンポよく会話が進んでいく。
生「ほんとに大丈夫だから。」
久「でも、さっきすごいしんどそうでした。」
生「気のせいだって。」
久「じゃあ何でそんなに汗かいてるんですか。」
生「…まあ、いつものコンディションじゃないのは確かだけどさ。」
久「じゃあ、」
生「でも、別にライブに出るくらい大したことないって。」
久「生田さん!」
生「それに、ファンの人を裏切るようなことはしたくないから。」
久「その心意気は素敵ですけど、…っはあ、」
本当にこの人が体調を崩しているのかも不安になってくるほど歩くのが速い。
小走りとはいえ流石に疲れてきて、少し息を整えた。
久「……素敵ですけど、体調を崩したら元も子もないじゃないですか、」
生「だから、大丈夫だって。
久保ちゃんどうしたの?そんなに引き下がらないの珍しいじゃん。」
なんて言っておちゃらける生田さん。
確かに私もトイレに行っていなかったら、生田さんの体調不良にすら気づかなかったかもしれない。
それほど、リハ室での生田さんの"演技"は完璧だった。
久「……私、悪気はなかったんですけど、見ちゃったんです。生田さんがトイレで苦しそうにしてるの。」
生「………」
生田さんは感情が読み取れない、何ともいえない表情を浮かべていた。
それでもスピードを落とすことなく歩き続けているあたり、生田さんの意思が揺らいだわけではなさそうだ。
久「生田さん、お願いですから……」
生「大丈夫だって、久保ちゃん。」
振り返った生田さんは満面の笑みを浮かべていた。ニコッ、なんて擬音が似合いそうな、太陽みたいに眩しい笑顔。
いつもファンの方にも、スタッフさんにも、私たちメンバーにも振りまいてくれる、その素敵な笑顔。
私にはその笑顔が、素なのか"演技"なのかがわからなかった。
生「人はね、限界だと思ってからもうちょっといけるんだよ。」
「じゃ、頑張ろうね。」と言い残して、生田さんはもう一方の通路へと進んでいく。私と生田さんは最初のスタンバイ場所が違うから、ここでお別れだ。
遠ざかっていく生田さんの背中には1ミリの疲れも見えなくて、事情を知っている私ですら、さっきの姿が嘘のように思えてくる。
そりゃ、誰も気づかないよね……
生田さんの姿が完全に見えなくなってから、別れ際に生田さんに言われた言葉が脳裏に浮かんだ。
"人はね、限界だと思ってからもうちょっといけるんだよ"
久「………はぁ……」
与「あれ、史緒里じゃん。」
久「あ……祐希。」
振り向くと、祐希が私のことを怪訝そうに見つめていた。
しばらく何も言えずに見つめ合っていると、祐希がふっと口元に笑みを浮かべた。
与「………なんかすごい疲れてそうだね。何かあった?」
久「あ、ううん。何もないよ。」
与「そう、ならいいんだけど笑
……じゃ、行こっか。」
久「うん。頑張ろうね。」
さっきの生田さんとは違って、のんびりと歩く祐希。
そのチグハグ具合に、さっきまでは「もう少しゆっくりと歩いてほしい」と思っていたあの早歩きが、妙に懐かしく感じられるのだった。
特に大きなハプニングが起きることもなく、ライブは終幕を迎えた。
ありがとうございました〜!!
メンバーたちがファンの方に何度も繰り返し手を振りながら、次々と舞台裏にはけていく。私も見える限りの水色×黄色のサイリウムに向けて手を振る。
ありがとう、見えてるよ!という思いを込めて。
続々と階段を降りていくとき、突然「きゃっ!」と短い悲鳴が上がった。
ドキリ、とした。
悲鳴は後ろから聞こえてきて、振り返ると何やらメンバーたちの人溜まりができていた。
「生ちゃん!!」
その真ん中では、松村さんが生田さんに必死に声をかけていた。
全身にブワッと鳥肌がたった。
状況から察するに、どうやら生田さんは階段を降りる際にバランスを崩してしまったようだ。
不幸中の幸いとでも言うのか、転倒先は硬い地面ではなく、松村さんの背中らしかった。
一期生の方も二期生の方も、三期生も四期生も、みんなが生田さんを心配する声をあげる中、私は何もできなかった。
ただその場に突っ立っていた。
これは防げた事故だ。
あの時、私がもっと生田さんを引き止めていれば。
スタッフさんに相談していれば。
一言でもメンバーに相談していれば。
山「っ、く、久保?大丈夫?」
桃「何で泣いてるの?」
久「私、っ生田さんが体調崩してるの、気づいてたのに………あの時、もっと止めておけば……っ」
心の底から湧き出る後悔に、涙がとめどなく溢れる。
急に泣き出した私に、二人は少し戸惑っているようだったが、やがて無言のままそっと抱きしめられた。
しっかりと抱きしめてくれる桃子の身体が、頭を何度も撫でてくれる美月の手が、私を温かさで包み込んでくれる。
山「……久保は、気づいただけ偉いよ。」
桃「そうだよ。桃子たち気づきもしなかったんだもん。」
二人が励まそうとしてくれるのが伝わってきて、ますます涙が溢れてしまう。
与「史緒里!生田さん、大丈夫そうだよ。」
久「ほ、ほんと?」
与「うん。ちょっといろんな仕事が重なっちゃって、無理しすぎたみたい。」
久「そっか……」
与「ちょっと人手が足りなくてさ…。史緒里も、桃子も美月も来てくれない?」
山「うん。」
桃「おっけー。」
祐希はさっきのノロノロ歩きが嘘かのように、スタスタと歩いていく。
やや遅れながらも、私たち三人もその小柄な影に着いていった。
数分ほど歩くと、生田さんが安静にしているであろう部屋が見えてきた。
与「失礼しまーす………」
祐希がコンコンとドアをノックして、恐る恐るといった様子でドアを開いていく。
秋「あ、与田ちゃん。」
中から聞こえてきたのは、真夏さんの声。
私たちもカーテンから顔を覗かせてみると、二つ並んでいるベッドの一つに横たわっている影があった。
久「……生田さん…」
先程の苦しそうな表情は消えていて、今はすやすやと穏やかな寝息を立てて眠っていた。
生田さんのそばには真夏さんと松村さんが座っていて、心なしか二人ともやつれているように見える。
きっと、生田さんが倒れてからずっと看病していたんだろうな
何もできなかった私と違って、真夏さんと松村さんは行動を起こした。いや、この二人だけでなく祐希も、桃子も美月も。
この空間にいると、自分が不甲斐なく思えてくる。
与「生田さん…大丈夫そうですか?」
秋「うん。ゆっくり休めば大丈夫だと思う………明日は、ちょっと難しいかもしれないけど。」
与「そうですか……」
松「……ごめんなんやけど、一回変わってくれへん?
まちゅたち、生ちゃんが抜ける分のミーティングにいかなあかんくて……」
秋「私たち一期の後に、多分三期の方にも連絡行くと思うんだけど、それまでの間でいいから。」
山「あ、全然大丈夫ですよ!」
桃「桃子たちが看とくので、行ってきてください。」
秋「ほんとにごめんー!ごめんね、ちょっとの間任せるね。」
松「なんかあったらすぐ呼んでなー!」
真夏さんと松村さんがカーテンの向こうに消え、二人の遠ざかっていく足音をぼんやり聞いていると、「ん……」とすぐ近くから呻き声が聞こえてきた。
視線を下ろせば、眉間にぎゅっとしわを寄せる生田さんが、ゆっくりと瞼を持ち上げているところだった。
久「い、生田さん!?」
山「ちょっ、まだ安静にしておいた方が……」
生「……あれ?久保ちゃん?与田ちゃんに桃ちゃんに、美月までいるじゃん!真夏たちは?」
山「あー、なんか用事があるとかで……」
生田さんの代わりに打ち合わせに行った、とは伝えずに言葉を濁す美月。
今この状況ではそれが最善の選択肢のような気がする。
下手に言えば、生田さんのことだ。また無茶しようとするに違いない。
生「そっか……」
桃「あっ、そうだ!」
何かを思い出したかのように桃子がパチンと手を打ち鳴らした。
桃「申し訳ないんですけど、桃子たちこれから打ち合わせがあるんですよ。
……ほらよだ、美月、行こ。」
無言でぐいぐいと二人の服を引っ張り出した桃子。
しかし、いきなり何を言い出すのだろう。私たち三期生はまだ打ち合わせの時間じゃないはずだ。
そのことを指摘しようとしたが、美月の「あー!」という叫び声に遮られ、やむを得なく言葉を飲み込んだ。
山「そ、そうだったね!早く行かなきゃ!ほら、与田!行くよ!」
まだ椅子に座っている祐希の服の袖をぐいぐい引っ張る美月。
そこでやっと彼女たちの魂胆に気がついた。恐らく気を使って、私たちを二人きりにさせようとしてくれているのだろう。
しかし祐希は超がつくほどの鈍感ガール。
せっかく二人がわかりやすい芝居をしているのにも関わらず、一向にキョトンとするばかりだ。
与「えー?二人とも何言ってるの?打ち合わせなんか……」
部屋にパン!と乾いた音が響いた。
与「いだ!!」
何かと思えば、痺れを切らした桃子が手にしていた何かの資料で与田の頭を叩いた音だった。
叩かれた与田は何が起こったかわからない、といった様子で頭を押さえている。
桃「あ、与田の頭に蚊とまってたよ。」
山「……この時期に蚊いないけどね。」
桃「じゃ、行こっか?」
ボソッとツッコミを入れた美月はともかく、桃子に"じゃ"を思いっきり強調されて、やっと理解したらしい祐希が慌てて席を立った。
山「すいません、ちょっと失礼しますね。久保、よろしく。」
カーテンに隠れて見えなくなる直前にグッと親指を立てられたのは、生田さんにはバレていなさそうだ。
部屋には完全な静寂が流れて、何となく気まずい空気になる。
その沈黙を破ったのは生田さんの、いつもより元気のない声だった。
生「久保ちゃん、ごめんね。」
久「…え?」
生「久保ちゃん、私のことすごい心配してくれてたのに、突き放すようなこと言っちゃって。」
久「…いいんですよ、私のことは。それよりも、生田さんが無事でよかったです。」
生「……ありが」
久「でも、もっと頼ってほしかったです。」
生「え?」
久「っていうか、生田さん言ってましたよね。『限界だと思ってからもうちょっといける』みたいなこと。
全然いけてないじゃないですか。そもそもあの時もう限界だったってことですよね?なのに、なんで言ってくれなかったんですか?私なんかじゃ頼りないですか?」
生「ま、待って久保ちゃん、もうちょっとゆっくり喋っ」
久「生田さんが忙しいのは知ってますし、すごい努力してるのも知ってます。私は生田さんのそんなところに憧れてるし、大好きなんです。
正直最近会えてなくて寂しいなあ、って思ってたんですけど、やっぱり生田さんの夢が一番だから。応援しようって決めてたんですよ。でも流石に体調を崩すまで追い込むのは、彼女として見過ごせません。」
生「え、久保ちゃんもしかして……怒ってる?」
久「怒ってますよ!!」
生「ひっ、」
久「相談してくれなかったのも悲しいですけど……何もできなかった自分が悔しいです。」
生「……え?」
久「生田さんが体調悪いこと、知ってたはずなのに……生田さんが倒れた時、生田さんのところに行けませんでした。こんな私なんかが、生田さんの隣にいる価値あるのかって……」
生「そんなことないよ。」
久「………」
生「今日だって久保ちゃんが声かけてくれなかったら、ライブ中に倒れてたかもしれなかった。何回もやばいって思ったんだけど、久保ちゃんのこと思い出したら頑張れたんだよ。」
久「ほんとですか…?」
生「ほんとだってば。
それに、体調悪いことに気付いてくれたのも嬉しかった。よく見てくれてるんだなって。自分のことを想ってくれる人がいるだけで、こんなにも嬉しいんだって。」
久「でも私もトイレで見つけてなかったら、気づいてたかわかりませんでしたよ。」
生「そりゃそうでしょ。ミュージカル女優として演技力は必要だからね。」
久「そんな自信満々に言ってますけど、倒れたのは変わりないですよね。」
生「……それは反省してるよ。」
久「ともかく、これからはもっと頼ってください。生田さんにはどんな時でも、久保という味方がいることを忘れないでくださいよ。」
生「うん、ありがとう。」
ふにゃっと笑う生田さん。
いつもメンバーに見せる笑顔よりは、少しだけ気の抜けたような感じで、久しぶりに"彼女として"の生田さんを見たような気がした。
お互いに忙しいから
なかなか会えることはないけれど
やっぱり生田さんは変わらないままだった
久「……そろそろ打ち合わせがあるので、行きますね。」
そう告げて席を立とうとすると、生田さんが哀しげな表情を浮かべた。
生「…行っちゃうの?」
久「────っ、す、すいません。すぐに戻るので…」
生「……早く来てよね。」
少しむすっとした顔で、そんな上目遣いで言われれば、「はい…」と返事を返すしかできない。
こんなに子供っぽい生田さんは見たことがなくて、あまりの可愛さに顔が熱くなっていく。
そんな私の様子に、生田さんが満足げににっこりと微笑んだ。
生「いってらっしゃい笑」
久「……いってきます。笑」
まるで夫婦のような甘酸っぱい会話に、ありもしない未来を想像してしまう。
こんなふうに
いつか生田さんと
一緒にゆっくり暮らせる日は来るのかな
――――――――――
おしまい。