野間神社例大祭の歴史
現在の例大祭が形づくられたのは、江戸時代の中頃(1751年~1763年)、能勢頼次氏より数えて7代目頼恭(よりゆき)氏の頃と伝えられています。
琵琶湖の北東長浜の山車(だし)を参考に、野間神社に合うだんじり(地車)を各地区に一基ずつ計6基造営させました。
地黄区
野間中区
野間稲地区
野間出野区
野間大原区
野間西山区
地車に囃子方と子供を乗せ、地車を舞台にして子供が浄瑠璃芝居を演じられるようにしました。(現在は浄瑠璃芝居のかわりに、芸能人などを呼んでの奉納演芸となっています。)
獅子舞は、能勢頼次氏が徳川家の旗本となり再び能勢の地に帰還したときに、領民が歓喜してこれを迎え、氏神に武運と豊穣とを感謝して奉納したと伝えられています。
遡れば、安徳天皇が壇ノ浦を脱し山陰地方より能勢の天王を経由、田尻村から出野村へとご潜幸された時にその道案内をしたのが猪であったという伝承もあります。(現在も地名として「いのことうげ」(猪子・位の高・猪の高峠)として残っています。)
五百年以上も引き継がれている出野の獅子舞には、そんな歴史が隠されているのです。
尚、松だんじり(地車)は現在は、旬村地区と木野地区の子供たちが中心に曳きますが、もともとは出野村の方々が、獅子が出る山に見立てた山車として曳いておられました。
三つもの奉納は大変だ、ということで地元である地黄地区の方々が松地車を曳かれるようになったということです。
(川上悦司編、「野間神社のお祭り」より抜粋)
野間神社⛩
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駐車場有