神様探し | ヒーリングサロンALan'a

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Le'aさんのスピリチュアル珍道中

またの名を一生かけてするビジョンクエスト

一人お遊びヒーリングサロンです

何もないところを探索しつづけたり、先に進むのを怖がったり、道に迷ったり。

初見のリアクションは、初見の時にしか取れないのだ。

今からもう数年前のこと。

ACIMと出会うよりもずっとずっと前です。


それは精神的崩壊を迎えそうなほどピンチに陥っていたときでした。

そんなとき、病院の待合室で。
ひそかに隣にたたずむ黄金色の光をみました。

頭がアッパーだったので単なる妄想かもしれませんが、不思議なことに混んでいる待合室で、その黄金色の光の場所には誰も座らないのです。

まるですでに誰かが座っているかのよう。

その後いろいろあって精神が落ち着いた状態になっても、私にはその光景が忘れられませんでした。

何か温かい光がそばにいるーー

そのことがあったから乗り越えられたのです。


そして私はこの経験で知ったのですが、

「善い」スピリットほど喋りません。
黄金色の光は「あなたを見守ってるよ」なんて一言も言いませんでした。
ただそこにいただけです。



そこから私の「黄金色の光の正体探し」がはじまりました。

普通ならそこで「ガーディアンエンジェルが〜」とか、「ご先祖様が〜」とか、「守護霊/指導霊が〜」とか言うのでしょうが(あるいは聖霊とかJとか)、私にはその光が見覚えがないものだったのです。

伝承を紐解けば狐だって金色の光を出すでしょうがなんかそれとも違います。

その頃立て続けに雷というキーワードがあったので、雷関係のものかと探しました。

そしてそれはヴァジュラなのではと仮説を立て、帝釈天に会いに東寺まで行ってきました。

帝釈天だろうか?

よく分かりません。

東寺にいる仏様全部見て回りましたがいずれもピンときません。

首をひねりながら帝釈天のキーホルダーを買って帰りました。





それから時が経ちます。


ACIMを知り、そこからインドに(再び)興味を持ちます。

ルドラクシャと合わせてインド占星術について調べていたときです。

そこで引っかかるものがありました。

黄金の光と言えば太陽の光です。

……スーリヤだったのでは?

小さな声が心の中でしました。

…もっと言うと、ヴィシュヌ神だったのでは?



ヴィシュヌ神とあの光は何か繋がりを感じます。

持っている円形の武器は金色の光です。

似ているというかなんかしっくり来ると言うか…

今私が唱えているマントラはヴィシュヌが中心です。

これもいろいろ縁があったからです。


ACIM的な世界観だと黄金の光の持ち主探しは馬鹿馬鹿しい話ですが、私には重要でした。

そこにいてくれた光は私にもっとも縁のある存在のはずです。

そしてそれまで私が信じていたものとは違うという感覚がありました。

「何か知らないもの」です。

ヒンドゥー教を勉強していくと、神様は内側にいて、すべてひとつだと言います。

言い換えればそこにいたのは自分の中の霊性の部分とも言えるかもしれません。

なぜ黄金の光の正体が重要だったか。

それは私には信じるものが必要だったからです。

自分の感覚は本当にアテになりません。

言葉上の話ではありません。これは障害としての話です。

今は普通ですが、あの頃(薬の副作用とストレスによりおかしくなったとき)は世界はぐにゃぐにゃ、自分もあってないようなものでした。

そんななかで信じられたのはあの光だけでした。

あの光だけがなぜか私の変わりやすさと対極にある気がしたのです。

これも私が目で認識したものですからアテにならないのには変わりませんが、私はそうは思いませんでした。


あの頃たくさんのスピリット?と話しました。そのどのスピリットとも異質な存在だったのです。


なんか護ってくれる不思議な存在。

ハイアーセルフとか潜在意識とかスピリット的な何かはいてもおかしくないかな、と思っていた私ですが神様は信じていません。


信仰とアイデンティティは密接に結びついています。

つまり、これはアイデンティティの問題だったのです。

あれが狐の光だって構わないのです。

私はあれを聖なるものと認識し、それを何と繋げるか。繋げたものが私にとって神聖で護ってくれるものになります。




……と、このことを書いたのは2019/8/22

ほかにも記事がありますが、ここから意識が一度カトリックに戻り、カトリックについての自分のなかの座りの悪さを整理します。

この話は別に書こうと思います。


さて、それからなんでか再びインドにもどります。インドの吸引力すごいです。


インドの難しい言葉にも慣れてきて、占星術でスーリヤが鍵を握っていることを知ります。
(月と木星が太陽に焼かれてる状態)


そしてラグナ(アセン)が双子座なので水星がルーラー。
水星はヴィシュヌ。

簡単な出し方だと私のかかわりの深い神様はヤマですが、ほかのやり方で出すとスーリヤになります。

そしてスーリヤはヴィシュヌ ともシヴァとも言われていて、これがかなり頭を悩ませました。

神様は究極的にはすべてがおなじなんだからそんなことで悩むのもおかしな話ですが、本当に悩みました。

そこで調べて行ったところ、ふとルドラに興味を持ちます。
ルドラは黄金に輝き、ヴァジュラも持つそうです。なんとっ、条件が合います。

黄金の光で、雷!

私の大好きな文明ヒッタイトの最高神テシュプと同じ嵐の神。

なんて素敵なんでしょう。

さて、ルドラはシヴァと同一視されています。

ではさあ、シヴァに安心して心を委ねましょう。

私は私を明け渡す存在を明確にイメージしたかったのです。

どのマントラを唱えればいいか分かっていたかったのです。

これで安心して心を投げ出せます。


グルを持つのが近道ですが、それはいったん置いておきましょう。

なぜなら人に褒められるためならなんだってしてしまうのが私です。
どれだけ自分を曲げられることでしょう。

そしてこの部分は曲げていい部分ではありません。

さて、順調にジャパ瞑想とヨーガと、はじまったかに思われました。


ここで男性性に傾きすぎるのを感じ、ドゥルガーの手を取ることも覚えました。


頑なな態度が少し変化してきました。


そしてここに来て、なぜか去年の夏に探し回っていたヴィシュヌ(クリシュナ)の情報が入りはじめます。

探していたときには見つからず、探すのをやめると入ってくるのって何なんでしょうね?

いたずら?


ともかく……


私の中で、やっぱりあの金色ってクリシュナ(ヴィシュヌ)じゃないのかな?

となります。


エネルギーがシヴァとヴィシュヌでは全然違うのですよね。

シヴァも優しいときは優しいですが、浄化は押し寄せる水の如く激しいです。

ヴィシュヌはなんだか甘いです(味覚や香り的な意味で)。花とか蜜とか、そういうイメージ。


そしてなによりも、ヴィシュヌ (クリシュナ)にはたくさんの人の平和への祈り、大切な人の健康を願う祈り、そんなものが集まっているように感じました。


今、私は過去の精算をせねば前に進めない状況です。

大きな変化と成長が必要です。

だからシヴァはとっても大切。




だけどもやはり、あの光はクリシュナなんじゃ…ないかなあ…? なんて。



なーんてやって、クリシュナの音楽をかけた途端。



さあっ、と。


天気雨が通り過ぎました。

ほんの一瞬で、びっくりしました。


雨は神様の祝福。


私は少し嬉しくなりました。




私の神様探しはまだまだつづきます。

内なる神性を見つけるのがゴールとしても…まだまだつづくのです。