会社帰り、ジムに行く。
懸垂8レップ、ディップス1レップの懸垂セットを8セット。
マシーンカーフレイズ加重200kgを10レップ、4セット。
レッグプレス加重175kgを4レップ、加重185kgを4レップ。
本日の仕事は、ポリ塗装したGP大屋根の「磨き」の続き、ポリ塗装したGPの複雑な形をした譜面板の「磨き」。
弊社は個人事業主や楽器店などから下請けで仕事を頂くことがある。在庫を修理したものを方々に買って頂くこともある。下請けで修理を頂く場合、けっこう大変なものが送られてきたりする。自分でやるには大変だから外注に出すのだと思う。弊社もまた塗装の修理を外注に出すこともある。
大変だから外注に出すのではあるけれど、外注先との取引を継続的に保つために出していることもある気がする。たいてい、入れ換えで1台持って行ったりするのだ。長年、塗装の外注は2社と取引していたが、1社は廃業されたので今は1社との取引だけだ。
日本でピアノが跳ぶように売れていた時代がある。製造元は効率化をすすめに進め、世界でも類をみない数のピアノを製造していた。小規模ではあったが、ヤマハやカワイだけでなくその他にも製造会社があり、やはり沢山ピアノを製造していた。
ピアノ製造が下火になると中古ピアノというものが業界内で活気をおびてきた。その修理などを支えた人材は、跳ぶよう売れていた時代に製造元でやっていた人々だったりする。塗装会社の人も元々は製造元でやってきてから会社を興した、というような人は多いと思う。
私がこの業界に入った頃、そのような人々は元気な高齢者になっていた。求人をかければそのような人々がまたやって来たりした。そんな元気な高齢者たちも今や、若くても70代である。最近アルバイトで来てくれることになった方はいくつくらいなのか、ちょっと詳細は知らないが、70代中頃くらいかもしれない。そのような方々が今後入社することはたぶん無くて、今いる人たちが辞めたらもう出会うことはないだろう。一つの時代が終わるのだ。
ピアノが跳ぶよう売れていた時期を良い時代だったと言う話はよく聞いた。それが過ぎた後に潰れた会社は沢山あったみたいだが、その後に来た中古活況の時期も良い時代だったのではないかと私は思っている。言ってみれば、「遺産で遊べた」時代なのだ。手のかからない修理だけでも十分使えるようになる買取品も多かったと思う。ちょっと探せば眠っているピアノはいくらでも出てきた。この分野で大きくなった会社も沢山あると思う。私が一番初めに勤めた適当な会社でさえ、経営者だけだが、簡単に多額の資産を手に入れていた。人材も薄給で使い捨てることができた時代だ。自分が一緒に働いた同僚で今現在もこの業界で仕事をしてる人は1割いないかもしれない。
遺産も食い散らかされた荒れ地に生き残った私に何が思い描けるだろうか。たいてい未来は過去から写し出される。しかし現実の未来は全く別にあり、そんな悪夢を振り払いながら現在を踏みしめて向かっていく。希望というトモシ火をたよりに。
希望と言うと、それを持つのは若者の特権のように扱われがちだが、自分はそうは思わない。希望を持つ分だけ絶望も深くなるからと、諦めることにより心の平穏を手に入れるという悟りベースの考えを推奨されていたりすることもあるが、そこには平穏を手に入れるという「希望」がありはしないだろうか。希望は形を様々に変えながら、心を支えていると思う。気がつかなくても、支えているのだと思う。だから、希望に対して鈍感であってはいけないと思う。歳を重ねている人ほど希望に対して繊細である必要があるのではないかと自身の境遇に照らし、思った。