以前は「ぺた 」というものが「いいね 」の役を担っていた気がするがアメブロはだいぶ様変わりしたようだ。ブログ上の広告も収益化する人にしかなかったと思うが、今は違うらしい。有料サービスで広告を消すことができるそうだ。


記事へのアクセス0で「いいね 」が1。ブログを始め最初の投稿をした時の事。「いいね 」してくれた人が気になったのでどんなものを投稿してるか見てみた。記事は1本のみで別サイトへの誘導。映画の感想だった。しっかり読んだ訳ではないが、パッと見で「生成AI」 のそれと分かる。小学校の優等生が書く作文のように何かに迎合しようとするポジティブ感。それを恥じらいなく理路整然と、丁寧に映画の内容の「起承転結 」まで書いてあった。おそらく記事へのアクセス数で収益が出るものをやっているのだろう。他人への「いいね 」も自動でやっていれば不労所得といったところだろうか。こちらはそれにより時間を奪われたのだが。


最近、共生バンクグループの子会社の「みんなで大家さん」の投資案件で利払い滞りがニュースになっていた。高利回りの不動産投資。記憶違いかもしれないがYouTubeの米投資情報チャンネルの「レバナンス……」で以前お薦め広告してたのを思い出す。不動産投資なんて自分には縁遠いものなので、どんな人がしているのだろうと思う。逆に、投資する側はその投資した不動産をどんな人が借りたり買ったりするのか想像するのだろうか。高利回りであればその分借りたり買ったりする人がそれを負担するわけだが。


同じように思うのは以前ニュースになっていたスルガ銀行の「シェアハウス」の投資案件のオーナー群による訴訟問題。そもそも何を思って投資するのだろうか。オーナーたちは借りる側の人のことなんて1ミリも想像してないのではと。たぶん「同じ人間」であるとは思ってはおらず数字のような抽象的な存在にしか思ってなかったのではないかと思う。投資案件に限らずマーケティングなるものやその他の経済活動、経済活動というと身のまわりの事象ほとんどになってくるのだが、他者が自身と「同じ人間 」であるという思いやりが希薄になっている気がする。


世の中で1番大事なものはお金。知識や技術、能力のある者がお金を稼げたり集められたりする。お金がある人は尊ばれ、無い者はさげすまされる。そんな社会風潮はあると思う。そうなってしまう理由は、そもそも身のまわりのほとんどの物やサービスがお金を集める行いになっているからではないだろうか。そんな物事に囲まれてれば価値観がお金に繋がっていくものが育まれるのは自然なことではあると思う。他者への思いやりは希薄になりお金が最も大切になる価値観が社会の成熟した姿なのかもしれない。


それが良いことなのか悪いことなのかはここでは留保したい。自分が大切だと思うのは、そのような価値観は絶対的なものではないという観点である。自身の価値観はそれまで生きてきた中で見聞きし感じたものから出来ていることを思えば、その価値観は絶対的なものではないことは分かるだろう。自身を「振り返り」どんな物事に触れ合ってきたのか、その物事の成り立ちに想像をめぐらせてみれば分かるのである。