ブログタイトルを入力

ブログタイトルを入力

タイトルの下に表示される短い説明文を入力

某Twitter(”X”に改称)で、1月1日の地震の災害医療チームのロジの重要性が話題になっていました。

2011年8月に私がロジで行った時のことを某mixi(笑)に書いたものがあったので、こちらに出しておこうかと思ってコピーしました。写真とかはありません。あと、「ロジが重要」って感じではないのですが、ロジがどんなことをしているかは何となくわかるかと思います。

 

その時のタイトル「ナイスミディ~女3人支援の旅~」…では、どうぞ。

 

・・・などというチャラけたタイトルをつけてしまいましたが。
 4泊5日で、宮城県石巻市に支援活動に行ってきました。

<きっかけ>
 そもそものきっかけは、6月6日のNEWS ZERO。
「震災から3ヶ月」ということで、翔くんが被災地(宮城県東松島市)に行った時の映像。

「え?地震(というか、津波)の1週間後とかじゃないの?」

そう思ってしまうような、一面の瓦礫野原。
スーパーは薄暗いけれど物はちゃんとあり、ガソリンも普通に入れることができ、私たちの生活はすっかり「地震から3ヶ月」になっていた。
なのに、テレビの中の、黒っぽい平地。被災直後と何も変わらない。

その翌日、ウチの組織で陸前高田市での義捐金申請受付業務従事者の募集がありました。2週間くらいだったでしょうか。
現地での受付、その他の業務ということで、この「その他」には、瓦礫撤去のお手伝いなんかも当然含まれているんだろうな、と思いました。

でも、行きたい。
一応夫に「応募していいか」とメールしたら「問題ないよ」とあっさり承諾されました。
職場を通しての応募なので、校長の承諾も得て。

でもね、「来なくていい」って言われたんです。
「応募者多数につき」ということだったので、無理して人数の無い所属のしかも家庭責任のあるか弱い(笑)女性職員が来なくても…ということで。

それならそれでいいことなので、その話はそれで終わりました。

それから何週間か経って、募集元の担当から電話がありました。
「実は、へらさんのところの直属の部でも、現地に行ってくれる人を探している。その担当から『ウチの部で誰か手ぇ上げた人はいないか』と聞かれている。教えていいか」

ウチの学校の直属の上ってのは医療とか福祉担当なのですが、その部署では震災直後から保健師を派遣している、その保健師と組んでくれる事務担当が必要とのこと。
「あ、かまいませんよ」と返事をしておきました。

その後、行ける日程の確認のメールがきて、一応3つくらい「この期間なら行けます」と返信したところ、かなり前のめり気味で部の担当から電話。
5ナンバー最大サイズの車両を運転しなくてはならないということで、私としては自信が無い旨を伝えたのですが「いや大丈夫。大丈夫ですから。アクセル踏めば動くのは同じですから。ナビもついてます」…ああ、ガチで人材に困ってんだな…と思い、正式に承諾しました。
ちなみに一応夫にも確認したのですが、やはり「問題ないよ」…私に「家庭的責任」なんてあったのでしょうか。

8月2日に説明会兼事前の顔合わせがあり、あとの2人とさくっと赤外線で連絡先を交換し。
8月7日の朝、仙台に向かいました。

8月7日
初日は、前の班から引継をして、泊るだけです。
前の班は午前中は業務を行い、市役所に引継をして、仙台に向かいます。
引継の時間は午後4時。場所は「だいたいいつもここだから」という店を聞いていたのですが、説明会の後で調べたら「7月末をもって閉店」…波乱含みです。
まあ、引継場所はどうにでもなるとして、午後4時の引継のために何故朝から向かったか。
せっかくですもん。昼食に牛タンをいただいて、その後で七夕を見ました。
もう、すごい人で人で人で人で…。
駅周辺は七夕の飾り付けが延々とあるだけで、これは、愚息なんか連れてきた日には
「ねえ、これってこれがずっとぶら下がってるだけ?」
と、開始3分で「もう帰る」が出たかもしれませんが、一応1時間ほど歩いてみました。
「応援してます」関係がさすがに多かった。

がっつり歩き疲れて、どこでもいいから座りたい…。
ということで、いつもの引継場所以外の、「ここも使ったことがある」喫茶店へ。
コーヒー1杯1,050円。・・・銀座かよ!
4mもの高い天井、宝石のように並ぶ1000客のカップ。だそうですが、
「これ、地震のとき大丈夫だったんかなあ・・・」
優雅なのかもしれませんが、実は私の実家は一時期ティーカップ道楽だったことがあり。
コーヒーが"家で使ってた"ジノリのイタリアンフルーツで出てきても、1,050円も出す気にはなれないわけで。
引継に書いとけよ、「高級店」ってさあ。

午後3時を過ぎ、2名の保健師から「到着しました。七夕見物してきます」のメールがあり。
4時前には引継場所を指定され、向かいました。
1時間くらい引継があり…事務の引継は大したことないのですが、保健師の引継は時間がかかるので。
その後、車両の引継で駐車場へ。
でかーーーーーー。
これはやっぱり「男旅」でしょうよ。私、運転席に座るのに「よじ登り」なんですけど。
椅子をギリまで上げて、サイドブレーキが無いけど?は?左足許?
こうして
1.慣れないでかい車
2.他人が乗っている
3.知らない街の駅ビル地下から出る
4.ナビがボロい
5.音楽が無い
嫌いな条件を多数取り揃えて、宿泊場所に向かったのでした(そして案の定逆方向に出たわけです)

「被災地を自分の目で見て、帰ってから周囲の人に広める」というのも大切な業務です。
また、保健師はケース(対象者)の気持ちに寄りそうためにも、ある程度の知識が無いといけません。
でも、石巻まで行く時間は無いので、一番近い「仙台市岡田」周辺に行きました。
車を止めたのは「夢メッセみやぎ」ですが、そこに至るまでの道の方がはるかに津波の跡が残っているのですが、運転手なので撮影できず。
何も無いのは片付いたから何も無いのであって、震災直後、そこには壊れた住宅や流された車、当然その中や外に死体が「普通に」転がっていたのです。
途中に「がんばって営業再開」とか書かれたラブホがあって。
3月11日の午後、利用していた人もいたでしょうし、何とか逃げたとして、それは大変な思いをされたと思います。でも「どこにいた」とは言えないだろうし…。
「普通に」家は全壊か、1階部分が抜け。
「普通に」大破した車が積み重なり。
「普通に」瓦礫が山になっている。
仙台の海辺は、そんなことになっていました。

地図すら出なくなったカーナビの代わりに、保健師さんがiPhoneでナビをしてくれました。
iPhone最高。買っちゃうかも(笑)
午後8時、ホテルについて、引継書には「フランス料理店」とあったのですが、どう見てもイタリア料理店で遅い夕食をとりました。

本格稼働は、明日からです。

8月8日~10日
1日のスケジュールは以下のとおり
6:30 ホテル発
8:30 全体ミーティングの後、エリア別に分かれて活動計画、確認等
9:00 市役所発
9:20 活動場所着、準備
9:30 活動開始
11:30 午前中の活動終了、記録整理
12:00 昼食
13:00 午後の活動開始
15:30 活動終了、記録整理
16:00 市役所エリア担当に報告、引継、翌日の打合せ、本庁に報告
17:00 帰路(この後近隣被災地見学)
19:40 ホテル着
その後3人で夕食をとり、各自部屋で業務日誌をつけ…寝るのはいつも12時過ぎ。
寝ていても毎晩余震があるし、眠れていない。そして目覚ましより早く起きる。

宿泊先のホテルから石巻市役所までは60kmくらいで殆ど「いわゆる高速」なんだけど、その「高速」が全く高速じゃなくて、2時間近くかかります。
特に帰りは、支援活動車が一般レーンに集中するので出口渋滞がひどく、2~30分かかることも。
そんなんでいつも帰ると8時近く。正直夕食なんて食べなくていいんだけどそうもいかず。「遅い夕食」が続くのが一番辛かった気がします。

日中の活動は何をするかというと、保健師さんは仮設住宅(以下、「仮設」といいます)を訪問して、健康調査を行います。基本的に私は保健師さんを現地に送り迎えさえすれば後は何をしてもいいのですが、車に資料を取りにもどったり、仮設でトイレを借りるわけにはいかず、徒歩圏内にトイレは無いので近隣のコンビニまで送ったり…というわけで、基本「そこで待機」。新しい仮設を回ることになった時には事前に場当たりをしておいたり、コンビニや医療機関の場所チェック(そしてたいがい仮設から歩けるところには無く、被災者の人は本当に大変)。訪問先で使う様式の準備をしたり、ガソリンがすぐ無くなるので入れたり、メッシュベスト(支援ユニフォーム)のクリーニングを出したり。
普段の業務では必ず「見積・請求による後払い」なのですが、こういう時には現金払いが認められていてちょっと新鮮な気持ちになったり。
あと、雑用で行った先の人がみなさん「遠くから来てくれてありがとう」とか、正直私は支援らしい支援なんて何もしていないのですが「何かしようって来てくれるだけで励みになる」とか、仙台から通っていると聞いて「遠くて大変だからうちに泊れ」とか。ガソリンスタンドのお兄さんも「ご支援ありがとうございます。気を付けてどうぞ」って。
普段の仕事で「ありがとう」なんて言われたこと無いからね。沁みるものがありました。ちなみに保健師も「ありがとう」と言われない業種らしく(「うるさい」「大きなお世話だ」ばかり)、やはり「うれしい」と言っていました。

しかし、訪問先の被災者の方々は、精神的にフォローが必要な人が多く。
自分も持病があるのに要介護者がいたり、震災後に引きこもりになってしまった子もいて、市役所担当者への引き継ぎは、長い時は1時間以上になりました。

石巻市内は、海から遠い場所は復旧していますが、ときどき無秩序に潮の香りがしたり…私は「海沿いの町」の出身ですが、自宅は海から600mほど離れていて、どこから風が吹こうが自宅周辺で潮の香りなんかしたことありません。でも、海からも川からも離れた市街地の真ん中で海のにおいがする。
そして、駅の周辺は信号が復旧していなくて警察官による手信号。その警察官もよく見ればベストに「愛知県警」「福岡県警」。自分の前を走っているパトカーの後ろに「埼玉県警」すれ違う車には「支援活動車両」の表示。
…そんな中、決して物見遊山などではないですが、被災箇所の「見学」なんてそうそう行けるわけもなく。「邪魔にならないのも仕事のうち」…と、1人では殆どどこにも行きませんでした。

被災地見学
3日目までは業務終了後、4日目は日中に時間をとって、被災地を見にいきました。
(写真は省略されています)
1.仙台市岡田地区
「夢メッセみやぎ」
なぎ倒されたポール。当然メッセはガラスが割れ、閉館状態。
途中の道の方がひどいのですが、運転しているので撮影できず。

2.日和山公園
公園そのものは被災していないけれど、被害の大きい石巻漁港周辺を見ることができます。
写真で見るとよくわからないですが、ぐしゃぐしゃです。
神社があって、「釣り人守り」とか「肌守り」とか。サトシックにとって非常にアレな場所だったのですが、人がいなかったので何も買わず。
お参りだけして帰ってきました。

3.サンファンパーク
保健師さんに教えてもらったが、まあ、どういう場所なのかは
http://www.santjuan.or.jp/before/index.html
↑ここを見てもらって。(2024.1.10現在リンク切れ)
デートコースにぴったりのすごく素敵な場所でした。
夕暮れの海がとてもきれい。
震災後は閉館しています。
写真、業務用のデジカメから取ってくるの忘れた。

4.石巻漁港周辺
渡波地区など、かなりひどかったのですが、車を止められないので撮影できず。
石巻漁港付近で海岸方面に進み、被害を受けた工場で撮影。
爆撃?って感じです。
潮と重油と魚の悪臭で、吐きそうでした。
壊れた建物の向こうに見える夕暮れの海が静かできれいでした。

5.女川町
※女川から通っていらっしゃる石巻市の職員の方が
「絶対に夜に行くのは危険。灯りがひとつも無くて真っ暗だし、道路の境目がわからない。是非見てほしいけれど、必ず昼間にして」
というので、10日の午前中に行ってきました。

入江になっていて被害の少ない地帯を抜けると、いきなり廃墟になります。

フォト
横転した鉄筋コンクリートの建物

フォト
行き来する作業車

「女川 津波」で検索すれば、動画が出ます。
戸川純の「さよならを教えて」って歌で

たとえ大惨事がおきて
濁流が走り
街中が、廃墟と化しても

ってあって。
すごい「非現実」な歌詞だったのに、現実。
本当に「濁流が走り、街中が廃墟と化し」た。

正直、この写真は見ても意味が無いと思います。
確かに私は「被災後3ヶ月経って全く復旧していない」状態を見て、「現地に行かなくては」と思いました。
実際に見て、写真を撮って、それを見ると…何か違うのです。
大きさだと思います。
このサイズで見ても、ゲームみたいだし、パソコンで見ても「テレビ」です。
想像してみてください。
1辺が5m以上あるコンクリートの建物が、基礎から「横転」して目の前に転がっているのを。
西部劇か?というほどの砂埃をあげて作業車が走って行くのを。
そこは、かつて「街」だったのです。
終戦直後って、こんな感じだったのかな…。

「漁村」というのはだいたいどこも似ています。
港があって、それに続く「これが?」というほど細い国道、周辺の小さな家、加工工場、港を中心にする商店、駅、役所。
私が育った街や、千葉で言えば南房総が、灰茶色の平地になっている。
でも「平地」になっているのは誰かが必死で片づけたからで、そこで山積みになっている瓦礫が一面に広がり、引き裂かれた家屋に、道端に、「普通に」死体が転がっていたのです。
被災前の女川の写真を見ました。
小さな、のどかな、美しい町でした。

昼食のために市街地に行くと、必ず喪服の人がいます。
お葬式の看板も毎日見ます。
震災で亡くなった方の葬儀が、まだ行われているのです。
「お盆前に何とか」と思っても、無理なんだそうです。

石巻市役所の乳幼児健診担当の人が言っていました。
「健診に来なかった世帯には電話をしているのですが、電話がつながらなくて、住所のある場所に行ったら家も何もなかった。『ここにいたはずの赤ちゃんと、若いお母さんはどうなっちゃったんだろう』って話しながら帰ってきたんですが」
声を詰まらせることも、涙ぐむこともなく、淡々と行われた報告。

壊れた建物の上に重なる大破した乗用車も、家の窓から見える死体も、何もかもが「普通」になってしまった街。

どこに行っても見る

「がんばろう東北」
「がんばろう仙台」
「がんばろう石巻」
「がんばろう女川」

がんばろう がんばろう がんばろう・・・。

被災された方が自発的に言うなら別にいいんだけど。

「『がんばれ』では他人事です。一緒にという意味をこめて『がんばろう』にしましょう」

そんな、マニュアルどおりの言いかえに、何の意味があるんだろう。
この『がんばろう』、『がんばれ』とどこが違うの?
『がんばろう』って貼ってる人は、何をがんばってくれてるの?
そんなに言われても、がんばれないよ。

被災された方が、そう思ってなければいいのですが。

「隣にできる」と発表されたら絶対に住民から反対運動が出るであろう産廃置き場。
その何十倍もの瓦礫の山の隣に平然と建設される仮設住宅。そしてそこに住む人々。
家に帰るときに、必ず目に入る「津波の爪痕」。
健康調査で行くたびに、「ここに住むのはきつい」と思いましたが、そこに住めるのは、抽選に当たった「運のいい」人たち。

何もかも、判断基準がわからなくなります。

だいたい、帰りが日没頃で。
三陸道から見える高く広い空に、茜色の雲がとても美しくて。
本当に、いいところだな、と思いました。
言葉も出ないほどの壊滅的な街と、静かな美しい空と海。
怖かったです。

<その他、どうでもいい話>

タイトルにした「ナイスミディパス」。JRが30代以上の女性グループ旅行を狙って発売した割引切符ですが、今は販売していません。
保健師さん2人は、2人とも肩下程度の髪を後ろでひとつにまとめ、メガネをかけていました。
ちなみに私も暑いので肩下程度の髪を後ろでひとつにまとめていました。
3年前の手術が無かったら、私もメガネです。
「それは規則か何かですか?」と思われたかもしれません。

借上げ公用車についていたナビは全くもって機能せず。
常に300mくらい違う位置を示し、発進しても動かず。方向もめちゃくちゃ。
3回に2回は「ディスクを読み込めませんでした」と真っ暗。「道路が出ずコンビニしか表示されない」ことも多数。
やっとのことで目的地を入力、経路検索すると「検索できませんでした」
「ちょっと複雑な指示をすると理解できず何もしない」…出来の悪い後輩を見るような思いで、黙って「頼りになる嘱託さん(=紙の地図)」に業務をお願いするのでした。

「でかい車」の運転は、当然ながら自動車専用道を走る間は何も怖くないのですが、込み合った狭い駐車スペースやら、石巻市役所の立体駐車場では本当に怖くて。
最後に宮城県庁の駐車場に止めたときは、心からホッとしました。
今日、久しぶりに自分の車を運転したのですが、左折時に不必要に前に出たり、空中でシフトレバーを探したり、左足が動いてしまったり。
たった5日間ですが、すぐ慣れるもんです。

現地の心の支えとしてウォークマンを持って行ったのですが、電源を入れたのは往復の新幹線の車内だけです、
スピーカーも付けていたらまた違ったのかもしれませんが。
とにかく「早く寝ないと明日の体力が持たない」…それしか考えられませんでした。

<この先は家庭のこととかなので略>

道徳の教材「手品師」
これについて書こうと思って調べたら結構言い尽くされている感はあったのだけれど、でも書く。
どんな話なのか、とりあえず記事にリンク張る。

https://president.jp/articles/-/26356
<引用元>PRESIDENT Online 2018.10.10
寺脇 研 氏(映画評論家、京都造形芸術大学教授)

この記事もいつ消えるかわからないので、使いたいところの要旨を書くと
----
あるところに、技術はあるがあまり売れない手品師がいた。
収入は少なく、食うや食わずといったところ。

「大きな劇場で、はなやかに手品をやりたいなあ。」
という夢はあるが、現時点で現実的ではない。でも、日々練習は怠らなかった。

ある日、手品師が町を歩いている時に、悲しそうな「小さな男の子」(以下「少年」という)に出会い、声をかける。
少年は悲しそうに、父が死に、母が働き始めて帰ってこないという。
同情した手品師は彼にその場で様々な手品を見せる。
少年は元気になり、明日も来てくれるかと尋ねる。
もちろん来ると答える手品師。
本当だね?きっとだね?と言う少年。
きっと来ると答える手品師。
「どうせ、ひまな体、あしたも来てやろう。」
手品師は、そう思っていた。

しかしその夜、手品師の友人から電話があった。
いい話があるからすぐにこっち(少し遠い都会)に来いという。
理由を聞けば「大劇場に出られるチャンスだ」とのこと。
何でも、評判のマジックショーの出演者が急病で主催者は代役を探している。そこで友人は、この手品師を推薦したというのだ。

明日は、少年との約束がある、と思い明後日ではだめかというと、ダメだという。明日の舞台の代役を探しているのだから。

葛藤する手品師。
結局彼は、友人の申し出を断る。
友人の説得にも「明日は大事な約束がある」と言う。

そんなに大事な約束なら、と引き下がる友人。

翌日、手品師は少年に素晴らしい手品を見せていた。
-----

で、「道徳 手品師」で検索するとこの教材を用いた授業の「教材研究」的なやつが出てくる。
割とどれも「自分の損得ではなく少年との約束を守った手品師は立派だ」「こう生きるべき」「約束を破って大劇場に出ていたらきっと後ろめたい思いが残る」「正直に誠実に生きることが大切」って意見が出たってなってる。
…まぁ、小学校の授業だもんね。「色々な意見があって当然」って言いながらも「少年との約束を守った手品師が正しい」ってまとめになるのさ。

はあああああ?って思うのは、私が大人だから。

じゃあまず、私がこの手品師のダメだと思うところを言うさ。いいよね、どうせ誰も読まないもん。

1.何故この「手品師」はあまり売れていないのか。

そっからですよ。「うではいい」…のは、誰の評価?客の評価だとしたら、相応の客の前で披露して「すごーい!」とはなる。しかし大きい舞台のお声はかからない。何で?
…「華が無い」んだろうね。
「見せ方」って大事だし、マジックはホント、トークとか大事。黙ってやってすごいのはあるけど、割とトーク大事。しかしあんまり色々言うと「うるせえさっさとやれ」ってなる。そこらへんの加減が、まあ、下手なんだろ。だから「うではいい」のかもしれないが、客は喜んで帰らない。「また見たい」「あの人が出るなら」ってならない。ってことじゃないの?
手品の練習も大事だけど、他の手品師の舞台とか見て、何か学ぶ必要あるんじゃないのかな。

2.何故「大劇場出演のチャンス」を断るのか。

そりゃ「少年と約束したから」ってのが一番大きいけど、それを言い訳にしてないか。
だって「大劇場で華やかに手品をしたい」って思ってたんだよね。夢だったんだよね。それが向こうからやってきたんだよ?オーディション受けたわけでもないのに。もう一度言うけど夢だったんだよね。友人はそれを知ってた。少なくともこの友人には「大劇場に出てみたい」って言ってる。いつからの、どの程度の友人かは知らないけれど、少なくとも「今日見かけた少年」よりはつきあいは長く深いだろう。しかも「どうせひまな体」だから「明日も来る」だったんじゃないの?ヒマじゃなくなったじゃん。なのに断る。何でさ。

大劇場でやる自信無かったんじゃないの?

違うかな。大劇場出演は「代役」。少なくとも最初から自分を目当てに来ている客じゃない。アウェイだ。「えー?〇〇さんだと思ってたのにー」って客が大半だろう。例えばさ、望海風斗さんのコンサートがあったとして、望海さんが出られなくなった。代役で研1の首席の、超歌の上手い生徒に「あなた、望海さんの代役やってくれない?あなたならできるわ」…いやいやいや、これで「やります」って生徒いたら見てみたいわ。「文化祭で主演したでしょ?」そういう問題じゃねえよ。

ってことじゃないの?
大劇場出たことない。売れっ子マジシャンを観に来た客を、自分が満足させられるのか。「素晴らしかった。ファンになった」って言ってくれる人がどれほどいるのか。いないかもしれない。ブーイングの嵐かもしれない。怖い。でもあの少年は自分の手品で喜んでくれた。あの子なら絶対拍手をくれる。

…ックァーー!チキン野郎!この手品師のこういうところが「あまり売れない」原因じゃないの?芸が小せぇんだよ。
作品がつまらないから華月劇場じゃなくて小学校の学芸会に出ると言った姫川亜弓(美内すずえ「ガラスの仮面」20巻より)とは、違うと思う。

「大劇場に出るのが夢」っていいながら、結局その程度だったってこと。言ってるだけってやつ。実際に大劇場に出る努力はしているのか。何となくそう言っておけば格好つくからじゃないのか。
この授業に関するまとめで「代役じゃなくて自分の力で出たかった」って意見あって、それは「おお」って思ったけど、代役だってチャンスだよ。月城さんだっておだちんだって、エリザの代役でだいぶ株上げたよ。世の中には「え?むしろ代役の方が…ゲホゲホ」って舞台もあるんだよ(注:エリザがそうだとは言ってません!)。それは「自分の実力で勝ち取ったものではない」とでも?「代役で声がかかる」ことも実力のうち ではないのか。

3.少年との約束さえ守ればいいのか

友人の期待を裏切るのはいいのか。今までの付き合いから推薦してくれたこの有難い友人の顔をつぶすことにためらいはないのか(「君の友情には申し訳ない」と言っているが)。この友人は「わかったよ。また会おう」って言ってくれたけど「そうか、じゃあもう君には何も頼まない」ってことだってあるんだよ。だってこの手品師は「大劇場に出るのが夢だ」って言いながらあっさりそれを蹴るんだもん。「何だその程度か」ってこの友人は失望していても不思議じゃない。もちろんこの友人が「子どもとの約束なんてどうでもいいだろ」って言ってたら、それは人としてだめだと思うけれど、書いてないからな。
書いてないといえば

4.両立する方法は考えないのか

何かこれは、教員の考えかもしれないけど「両方を救うことはできない」らしく、極端なんだよ。同じ理由でトロッコ問題も大ッ嫌い。っても散々考えた末にどうしてもだめとは書いてないじゃん。よく言われるけど「会った場所に置手紙をする」「近所の人に言づける」とか、やりようあるでしょ。少年が、喜びはしないと思うけど、傷つくのを最小にする方法を何故考えない。そこを考えている描写がいっこも無いから、この手品師に全然感情移入出来ない。「最善の方法」を考えることを放棄しているから。それで「誠実な生き方」とか言わないでほしい。何故友人にこの少年のことを言わない。バカなのか?

お前、頭悪いから売れないんだよ!
(あーあ、言っちゃった。)

「これこれこういう理由でこの少年に手品を見せたい。でも君の申し出にもこたえたい。どうにかならないかな」

この一文があって、友人が「それは無理だ」って言ったなら、考えた末に断ったってのも、随分説得力が上がると思うんだけど。

あと、授業まとめの中に「大劇場には他の人が出るかもしれないけど、少年にはこの手品師しかいないから」ってあったけど、それも、書いてはないよね。少なくともこの友人が「あてがあります」って言って、ピンポイントで話が来たんだよね。劇場がマジシャン名簿のAaron=Abbotから順番に電話してって断られ続けてRichardとかSteaveとかまで来てこの手品師なら、そりゃ誰でもいい感はあるけど、違うでしょ。この少年には本当にこの手品師しかいないの?

5.少年が来なかったらこの手品師はどうする?
 

少年との約束を守るためにチャンスをフイにして翌日、少年と会った場所に来た。しかし少年は来ない。

ってこと、無いとは言えない。
この話では、少年はちゃんと来て、手品を楽しんでくれて、美談になってる。でも、来なかったら?
だって「小さな男の子」だもん。来ない理由はいくらでもある。
おそらく指導要領の中にあるんだろう。授業の終盤、自分を顧みた小学生たちは言っている。「先約を破ったことがある」と。
「忘れてしまった」「その前の用事が長引いて行かれなくなった」「親に頼まれごとをして行けなくなった」…だって子どもだもん。弱者なんだもん。手品を見て元気を取り戻した少年が家に帰る。母親が遅くに帰ってくる。「いつも寂しい思いをさせてごめんね。明日はやっと休みが取れたから、1日一緒にいられるよ。あんたが行きたがってた〇〇に行こうね」…これに「いや、明日は手品師のおじさんと約束したから行かない」って、この子が言うと思う?「明日は××町のおばさんのところに行かなければならない」とか、子どもが断れない用事はいくらでもあるよ。それに、「忘れちゃう」ことだってあるよ。
その時にこの手品師が

「来ないってことは、きっとあの子は手品を見に来なくてもいいくらい元気になったんだ。きっといいことがあったんだ。良かった」

って思ったなら、それはそれで「あなたはそうやって生きればいい」って思う。素晴らしい人だ。
けど、…そこまで人間出来ているだろうか。
少年は来ず、時は過ぎ、どうやらあの時代役で出た新人マジシャンは絶妙なトークとミスのリカバリで大喝采。今や劇場にレギュラー出演しているらしい。なのに俺は…「ああー、あの時大劇場に出ていれば」とか思いながら無料のパンの耳をもらって出てきたらあの時の少年を見かけた。駆け寄って声をかける。
「どうしてあの日、来なかったんだい?おじさん待ってたんだよ。大きい劇場から声がかかったのに、君のために断ったのに」

うぅ~わぁ~、だっせえ!自分で書いててだっせぇ!再び

「お前そんなだから売れないんだよ」

少年だって思うだろう。
「いや、そこまでしてほしかった訳じゃないんだけど」
「僕のことを思ってくれたのは嬉しいけど、自分の夢も大事にしてほしい」

更に言うと
「おじさんが勇気が無いのに、僕を言い訳に使わないでよ」

いや、わかんないけどね。何せ書いてないからね。ほら、「自分で考えさせる」ことが大事だから。
でも「大きい舞台を断って僕のために来てくれたんだね。うれしい」って思えないのは、私が「大人」だからなのかな…。

でもね、この「そこまでしてほしかった訳じゃない」ってのは、あると思うんだよね。

1回キャンセルして、大劇場に出て、有名になって、次の時に新規客が5人来るほうが、多分「少年」も嬉しいんじゃないかなーーーーーーー

って、思うわけさ。そういうファンもいるわけさ。

以上です。
書きたいことは書いたので、これで終わります。

何か、あちこちからブロックされそうな予感。

ということでタイトルでだいたいどういうオチかわかるような感じですが、私、自分の顔が嫌いです。

自分の顔が嫌いなので写真も嫌いです。

「何でそんなに写真嫌いなんですか?」って言われて「ブスだからじゃないの?」と、フォローのしようもない返事をして相手を困らせたりもしますが事実だから仕方がない。

何でしょうね。小さい頃から家族(特に父親)からもブス呼ばわりだったし、そんなん鏡を見れば自覚することだし。高校時代にはボキャ貧の男子からもブス呼ばわりだったし、そのくせ数年後の同窓会でなれなれしく話しかけてんじゃねえよってとこだし、一応それなりに恋愛経験が無いでもなく、ブスだなんて思ったこと無いとも言われたりもするんですが、幼少期の刷り込みは消えないし、低い自己評価が上がるはずもない。最初に砂糖を入れすぎた肉じゃがはどんなに後から醤油を入れても甘いんです。

そんなわけで、筆者は自分の顔が嫌いだし、写真も嫌いです。

このブログだってわざわざ「Sorry,No Image」の画像を作ってまでアイコン的なものは出さないわけだし。絵で済むところは絵にしてます。ネットってそういうもんでしょ?

 

駄菓子菓子(古)

 

「顔出し必須」というところに参加することになったんですよ。

いや、「どうしても嫌な人は言ってください」って言われたんで、「どうしてもいやです」って言ったですよ。

でも、出せって言うんですよ。ひどくないですか?これ。歯医者で「痛かったら手をあげてくださいねー」って言われて上げたら「もうちょっと我慢してくださいねー」って言われるようなもんでしょ。

理屈はわかるんですよ。匿名性を排除したいと。限られた場所だからこその、きちんと本人を知りたいと。

んでもさ。そこは限られた場所かも知らんけど、私がそこにいることも知られないかもだけど、自分のアカウントに登録した顔はさ、全世界に発信されちゃうわけでしょ?やだよそんなの。だいたいアナタ私と面識あるじゃん。顔知ってるじゃん。

「だからイヤです」

「それでも、(正しい理屈)・・・なのでお願いします」

 

ふと頭の中に歌が流れてきます。真彩希帆さんの声です。

「わた~し~の~ まことの~愛を~受け止~め~て~♪」

もちろん、私に「自分の顔写真を登録しろ」と言っている人は愛が云々なんてことは言っていません。しかしそんなことは関係なく「顔を出せ」と言う場面で浮かぶのはこの曲なのです。

「あな~た~の~まことの~姿~見つめ~たいの~」

仕方がないので、画像加工アプリを2個も通して、「上手なスケッチ」状態にしたものでお伺いを立てました。いやこれ普通に私でしょ。私だってわかるでしょ。いいよねこれで。

 

「加工の~奥に 秘めら~れた まことの姿を見~せ~て~」

 

「これが限界です!」

「いや、(正しい理屈)なのでお願いします」

 

しばらく様子を見てみます。

あきらめて、OK出してくんないかな・・・。

 

決~し~て~ 恐れなーいで 真実から
私の~愛に 振り向いて
今素顔を見せて
さーーあーー! さーーあーーーー!

(じゃーーーん!)

 

ソプラノとフルオケの三拍子が強い!

白いドレスのクリスティーヌが顔はめパネルのようにその人の顔になって、両手を大きく広げて実に悪夢な感じで迫ってきます。

圧が強い!

私、今ならあの、仮面外すエリックの演技完璧に出来るよ。

仕方なく加工を取ります。あぁ~、もうこれ絶対私じゃん(アイコンというのは本来そういうものです)やだー!やだー!絶対やだーーー!

もう申請取り下げようかしら・・・・

 

「あ、これでOKです」

 

クリスティーヌは逃げもせず、あっという間に招待をくれました。

 

今、これを数日かけてアハ体験のように、もとのスケッチ画像に戻せないか画策中です。

 

とりあえずこれからBADDY観ます(ファントムじゃないんかい)

最近、「現場」が増えているんです。

きっかけは宝塚です。

とある公演で生徒取次席に座っていたとき「あー、あの方はいわゆるその筋の人だな」と思っていたらお隣に座り。よく見れば贔屓が「師」と仰ぐ方で「げっ」となり。

Twitterをフォローしたら返され(恐れ多いわ!)、それならばとその方が出るフェスに行き、その方が主催の公演に行き、…そこでですね、かなり色々な方を知ったのです。

その中には「パフォーマー」という方が少なからずいて。

で、出演される公演に行ったりしたのですが、チケットの予約といっても振り込みとかでなく代金は現地払いとか(そんなん、ドタキャンし放題じゃん、いいの?それ、大丈夫?と、今も思っている)、・・・そこで、ついにきたのですよ。

 

「投げ銭制」

 

や、「え?銭形平次?寛永通宝?」でしたよ。でもまあ、あれですよね。あの、薄い本とかネットで買うときの、クリエイターへの「ブースト」ってやつですよね。でも、パフォーマンスのそれは、「基本料金」がある場合もあるけれど、本体価格がなくて、それこそあれ、「お代は見てのお帰り」ってやつ。

 

その頃から「投げ銭」って言い方だったのかは知らないけれど、日本の景気が良かった頃、新宿の歩行者天国でフラメンコ踊ってる方がいて、それがあまりに素晴らしくて、その時、札の入ってない財布から、なけなしの500円玉を入れたことがある。その日の夕食は抜いた。

しかしそれから幾星霜。私は「あー、この本持ってたわー」と、さっき700円で買った漫画を50円で売ることになってもそんなに困らない程度になった。

 

そこでである。

あの時の500円は、私の精一杯だった。最高の賛辞としての500円だった。しかし今、多分路上でやってるやつをチラ見しても、「ふーん」と思えば500円は入れるだろう。基本、野口だと思っている(風強かったら飛ばないかなとか、そもそもスタチューとかやってる方は、飛んだとか置き引きとかの対応をどうされるんだろうとか、すごく気にはなってるが)。

じゃあ、それ以上の時は?個人的にやんややんやの大喝采の時は?

・・・相場感ってものがあるじゃないですか。基本が野口だったら、もう一声いきたいわけですよ。特に「あの人がやるなら」って行った場合。でもさ、基本が野口で、急に樋口はちょっと、頭おかしい感じになると思うんですよ。1文字違いなのに。

「普通に2千円とか入れときゃいいじゃん」って思うかもしれないけど、そこは「1枚」がスマートってもんじゃないですか?で、思うですよ。

 

「二千円札って、最高じゃね?」

 

1枚だし、2千円だし。素晴らしいじゃん。もしかして二千円札って投げ銭用に作った?<違います

しかし二千円札は沖縄を除く日本では非常にレアキャラである。以前コンビニで五百円札を出したおばあちゃんが「ニセサツ?ニセサツ??」と外国人留学生と思しき店員さんを困らせてしまっていたこともあるが、恐らくそれと同じ感じになる。せっかく入れてもコンビニで使えなかったり、銀行の窓口に行かないとならなくなったり、面倒くさいかもしれない。「何だよ二千円札って」とか思われるかも。それに用意する方としても事前に銀行の窓口で、もしかすると手数料を払って用意しなくてはならない(そして何度も「本当に二千円札でよろしいですか?」とか聞かれる)。それも・・・どうなんだと。

 

というわけで、「投げ銭 相場」とかで検索しても一向に答えの出ないこの問題。私が「投げ銭制」の現場に行く日は刻刻と近づいている・・・(困)

数日前、朝刊の折り込みに「パソコン譲渡会」のチラシが入っていた。

何でも、官公庁や大企業で3~5年使用されたものをクリーニング等々してWin10やワープロ・表計算・プレゼンソフトを入れたものが、5万円程度までで出されるらしい。

今、私が家のリビングで使っているのは、8年前の時点で「まだ全然使えるから」という12インチくらいのS⚪NYのVAI○君。部屋(という名の布団敷ける倉庫)にはもっと大きい新しいノートがある(が、あまり使っていない)。使い勝手はいいのだがいかにせよ古くなった。挙動不審にもなってきたし、そこそこの中古が安く手に入るなら、と、会場である市内のコミュニティセンター的な場所に向かった。

現金決済だけというので、現金を、とりあえず6万円おろしておいた。

駐車場確保のために早めに行ったけど、開始まで30分くらいあるからな、と思っていたけれどびっくり。すでに人が並んでいる。軒並み50~70代の男性で、ご夫婦もいる。女性もいる。あわてて最後尾に並ぶ。

開始10分前頃に中からブルーの作業服の男性が出てきて「今、最終チェックをしている」「前から資料を回しているので1部取るように」「開場後に5分程度の説明を行うのでよく聞いて欲しい」と言って、また中に引っ込んで行った。

開始時間になり、中に入ると、おそらく安い順に奥から並んでいて、奥に詰めるように言われたけれど、私が止まれたのはちょうど私が狙っていたあたり(小さい・そこそこ動きのいい)の機種だった。

説明の内容は、企業等のリース落ちなので取説は無い、無線LANは内蔵にしろ外付けにしろすべて対応している。堅牢でバックライトは目に優しい仕様となっている。気に入ったものを取り、同意書を書いたら会計という流れになる、とのこと。

その説明の後半あたりから、じわじわと私の周囲の人が、私が狙っている機種の方に近づいて行った。

 

「では、どうぞご覧ください」

 

一斉に人がパソコンが置いてある壁際に向かった。

私は何とか狙っていたものを取り、書類を書いて会計の列に並んだ。

スタッフが1名しかおらず、質問に答えたり説明したりしている間にどんどん会計列が長くなる。これだけのイベントをたった1人で捌くって無謀じゃないか?と思ったし、実際、会計列の人も言っていた。

15分くらいたって、私は12インチの小型ノートを税込6万円で購入していた。そりゃもう満足だった。

 

賢者タイムは恐ろしいほど早くやってきた。

 

確かに、今使っているVAI○君よりはずっと新しい。しかし、裏の、すっかり擦り切れた銀色のシールに表示された文字は2011.06。6年落ちである。発売当初は20万円以上した機種ではある。動作も何の問題も無い。バッテリーの持ちもいい。仕事も不自由なく出来る状態。だが、6万円。

 

・・・いや、タブレットにキーボード付けて買おうよ。

 

主催者(JEMTC)を検索すると、詐欺とか色々出てくる。

詐欺ではないと思う。必要なことは全部先に言ってる。

しかし、ぼったくりではあると思う。ぼったくりというのは、本人がぼったくられたことに気づかなければ起こらないことで、例えば、水割り2杯に乾きもの3品で3万円取られても「銀座だからかなー」と思ってしまえばそれまで。

クリーニングやら新しいソフト入れるとかやるのにどれだけの費用がかかるかはわからない。けど、これに6万出すなら・・・と思うのである。

そもそも私は「パソコンが安く手に入る」とだけ思って、この主催者についてよく調べなかったし、場所柄、商工会議所が何か関係しているとすら思っていた。ちょっとネット検索すれば「これにこの金額は高いと思う」という意見であふれている。

更に、「他の人も狙っている」ことで、焦ったのも大きい。デモ機の裏とかも何も見なかった。これはアレだ。イベント商法とかで一発でやられるやつだ。

 

結論を言うと、書類に書いてあった返品窓口に連絡をして、さっき返送した。まだ譲渡会やってるからそのまま返して来たい気持ちは山々だけれども、多分業務妨害になるし、スタッフ1人だし、私がウイルスとか仕込まないとも限らないのできっと受け付けてはもらえない。そう言えばこの書類だって、重要な2枚目なんかほとんど読まずに書いちゃったもんな。。

 

というわけで、私は貴重な休日の半分と、送料850円を使って「自分は思っているよりずっとしっかりしていない人間である」ということを確認した。

 

やれやれ。


最後に。

検索したら「中国人に丸め込まれてジャンク品同様のPCを買わされる」とかあったけど、スタッフは日本人だったし、丸め込んでる余裕も無かった。返品窓口の女性も普通の日本語だった。

私が浅慮だっただけで、詐欺ではないと思う。まあ、ちゃんと返金されたら、の話だが。