着物を整理をしていたら


長女と

仲違いをした夏の記述がある手帳が出て来た。


時の流れと共に

記憶が薄れていた。



長女が亡くなった事で

仲違いをした事は

振り出しに戻るような。


長女が亡くなった今、それを考える必要が無い

などと考えて


記憶の外に。


それが

一冊の手帳の出現で。


記憶の中に無かった事が浮かび上がった。



そうか、、、

こんな事があって


長女と私が仲違いをしたのか。



それは


孫娘が関係していた。



当時

小学1年生。


全くいう事を聞かない。

母の法事の時も走り回って

困らせた。


(これは記憶にあった)


手帳には

『注意をしたら

顔に唾を吐かれた。

3日連続で。』


長女に

注意をして

と言っても

無視をされた。



孫娘に

「バァバはね パパが1ヶ月働いて貰って来るお金よりも

ジィジから貰うお小遣いの方が多いのよ!」


教えていて


子供に教える必要なある?


などと描かれていた。




ちょうど、

宇多田ヒカルさんの記事が目に入った


凄く納得が出来る。

共感が出来る。


失った

喪失感は大きいけれども


それに囚われるのは。



そう思う。


長女と仲違いをした

年月は

もう戻らない。


長女が亡くなる寸前に

仲違いは解決したじゃない。


さよならも

ありがとうも

伝えたじゃない。



囚われるのは

やめよう。



その為に


手帳が出て来たのだと思う。



流れる涙は何だろう。


涙が浄化してくれるのか。




全ては


通り過ぎた事。