昨日は
長女が亡くなって
8回目の命日だった。
毎日、毎日、長女を想わない日は無い。
何かにつれ
長女を想い出す。
想い出す長女は
時に怒っていたり
笑っていたり
長女の年齢も様々。
長女と次女は
1年と3ヶ月しか違わない
年子だ。
長女を出産後
私はマタニティブルーになっていて
マタニティブルーになった瞬間を覚えている。
産院を退院する前に
赤ちゃんの沐浴指導があり。
服を脱いだ赤ちゃん(長女)が凄く小さく見えて
『こんなに小さいの⁈怖い😱』
そう思った。
小さくて直ぐに壊れそう。
こんなに小さいのに私、育てられるの?
長女は決して小さく産まれた訳でも無くて
3360g
退院をして
実家に帰り。
退院後 1週間は
助産師さん(産婆さん)が来てくれて
沐浴をさせてくれたり
体重を測ったりしてくれた。
母乳は全く出ず💦💦💦
ミルク🍼を呑ませていた。
赤ちゃんを産めば母乳は出ると
思っていた私。
長女はミルク🍼を飲ませると
噴水のように吐いた。
「キャー!赤ちゃんが吐いた!!」
2階の部屋で
叫ぶ私。
一階の応接間にいた両親が走ってかけつける。
何とも
いやはや
未熟な母。
未熟な母の自分を責めた。
『私はお母さんなのに』
夜になり
寝ましょう。
と
布団に入ると
ギャン泣きをする
長女。
私は疲れと寝不足と
『私はお母さんなのに』
自分が何も出来なくて
判らなくて
自分を責める。
夕方、父と母が赤ちゃんをお風呂に入れる。
夕方が近づくと
段々と不安になる。
私は赤ちゃんに服を着せるだけなのに
赤ちゃんが怖い。
壊れそうで怖い。
私はお母さんなのに
赤ちゃんが怖いとは
誰にも言えずに。。。
あの産院の沐浴シーンを思い出す。
長女の名前もなかなか決まらなかった。
夫や夫の実家が提案をしてくる名前は
父が拒否をする。
父が提案する名前は夫が拒否をする。
両家の板挟みになった気分💦💦
赤ちゃんの名前は決まるの?
結局、両親が信頼をしている人に
字画を見てもらい
候補が2つあった。
ひとつは
一代(かずよ)だった。
結局、二つめの名前に決まった。
可愛い名前だった。
出生届ギリギリだった。
初めての赤ちゃん。
不安でいっぱいだった。
その後、3人の子供の母になったが
長女が1番大変だった。
次女を妊娠して
やっと
マタニティブルーから脱出をした。
ドクターに
「妊娠をしています。」
と
言われた瞬間に
目の前が明るくなった。
この時に
『私はマタニティブルーだったんだ!!』
と
気がついた。