夫が
「おまえのおばあちゃんの話はよく聞くけれどもお祖父さんはどんな人だ?」

お祖父ちゃんのことも話しているつもりだが

「お祖父ちゃんは私が2歳の時に私の目の前で倒れて、亡くなったの」

お祖父ちゃんが目の前で倒れたのが2歳の時だとは思えないくらいに

記憶が鮮明だ。

2歳上の従姉妹と私を連れて
銭湯に行こうと
靴を履いている時に
下駄箱の前で
お祖父ちゃんが倒れた!!

2歳上の従姉妹に
「キミちゃん、誰か呼んで来て!!」
と叫んだ。

大人達がゾロゾロ来て
お祖父ちゃんは車に乗せられて
何処に行った。

お祖父ちゃんが帰って来た時は
玄関からお祖父ちゃんが帰って来たけれども亡くなって帰って来た。

2歳の私。

大好きなお祖父ちゃんが亡くなったのは衝撃だった。

お祖父ちゃんは
富山県の石川県寄りの町で
それなりの会社を経営をしている家の次男として産まれた。

大人になり
独立をする時に
『千両箱を二箱』
貰ったと聞いていた。

『千両箱』???

私にピンと来ない物だったが

夫のお祖母様に
この話をした時に

「千両箱って今の金額にしたら1億円よ!!」
言われて
驚いた‼️

お祖父ちゃんが独立をする頃には
『機織り機』を製造する会社だった。
駅からお祖父ちゃんの実家までは自分の土地だったと聞いている。

ある時
叔父が
近所に出来た小さな『博物館』に
その頃の
機織り機があって
驚いた!!
と話していた。
私もいつか見たいと思いつつ、その小さな博物館は現存しているかは不明。

お祖父ちゃんのお兄さんが
よく家に来ていて
父に会社経営について教えてくれていた。
台帳を見たり
様々なアドバイスを父にしているのを見ていた。

その伯父さん、私からは大伯父さんになる方も
受勲をして受勲のパーティーを開いた。
私の高校生の時だった。
事務員さんが父の送迎をしていて
私も一緒に行った。

私は『受勲』に憧れていて
私もいつか『受勲』で皇居に行きたいと思っていたが
残念ながら、夫は受勲をされる事は無いだろう。

お祖父ちゃんのルーツ。

現在も会社は存続をしていて
大きな工場をいくつか持っている。

私のお祖父ちゃんは
実家から独立したあと
珠洲市に大きな家を建てて
そちらに住んだが

父が産まれる頃には
京都へ引っ越して
お祖父ちゃんは
『太秦映画村』に勤めて
祖母は
『呉服屋』さんを始めた。
どうして祖母が京都で呉服屋さんを始めたのか、、
多分、祖父の実家が機織り機を製造をしていた関係で
呉服屋さんを始めたのでは⁉️
思う。
お祖父ちゃんの実家からの援助があったのでは?
推察出来る。

祖父は放浪癖があり
フラッといなくなり
2、3ヶ月後に
フラッと帰宅をしたりしていたそうだ。

戦争で
父達は奥能登に疎開をした。

戦争が終わり
海運会社の社長の勧めで
富山県へ移住。

能登半島から
『ひきや』で船で家を運んで来たそうだ。

その
『ひきや』で奥能登から運んで来た
家の玄関で
お祖父ちゃんは倒れた。

お祖父ちゃんの人生は
お祖父ちゃんはどう思っていたのかしら。

自由人だったのかしら?
早い死だったと思います。

夫が私のお祖父ちゃんの事を聞いて来たのは
初めてかもしれません。

いつか
私の子供達や孫達にも
『ルーツ』を話したいと思います。