私が結婚をする直前に父から語られた

    祖母の恋

三男の、叔父は産まれたて直ぐに、祖母の姉に子供がいなかったので、養子に出されていた。


その叔父が

  不義の子だった。

父は私に、結婚をしたら、祖母のような事をしないように
と釘を刺した。



能登のプライベートビーチで
日の出を映した写真。

祖母は、この海岸を恋しい人に会いたくて走って逢いにいったのよね〜と感傷に浸る時があります。


祖母が、妊娠がわかった時、

恐れ慄いた祖母は
何とか
赤ちゃんが流れるようにと
高いところから飛び降りたり。
冷たい水に浸かったりしたそうです。


しかし、赤ちゃんの生命力は強くて

産まれた。


私の祖父は

俺の子供じゃない‼️

と育てる事を拒否をしたそうです。


祖母の姉には子供がいなかったので、姉のところに養子に出されました。
出産直後に連れ去られたそうです。


祖母は赤ちゃんを抱かせても貰えず、乳を与える事も許されず。
悲しみのどん底に落ちたそうです。


私が2歳の時に、私の目の前で祖父が倒れた。
2歳だったけど、その光景は目に焼き付いています。
一緒にいた従姉妹に誰かを呼んで来て!
と、叫んだのも覚えています。

祖父が帰宅をした時には、亡くなっていました。

おじいちゃん!!!おじいちゃん!!!
目を開けて!!!

祖父は永遠に眠ってしまいました。


私が小学生の、低学年の、夏休みは祖母の実家の離れに1ヶ月滞在していました。


時々、祖母が素敵な着物を着て、パナマの夏の草履を履いて、レースの日傘を差して

しゃなり  しゃなりと歩いて出かけてしまいます。

私が着物が好きなのは美しい着姿の祖母ヘの憧れもあります。


おばあちゃんがいない!どこへ行ったの⁉️
誰に聞いても、知らないと言う。

私の記憶に

美しい祖母の着物姿が刻まれています。


祖母の恋

祖母がなくなる前

私に海が見えるところまで

連れて行ってと



窓から海を眺めている祖母の姿が


悲しそうだったので

声もかけずに、祖母を支えていた。


しばらく海の彼方を眺めて


か細い声で


部屋に戻るわ

と呟いた祖母



きっと、好きな人にお別れをしていたのでしょう。


悲恋で終わった祖母の恋

生涯
愛した人は

祖父ではなかった事実。


祖母の苦しい恋を思うと

私は胸が締め付けられるような感覚があり、涙する。


美しいかった故に

器量嫁入りを強いられた祖母。

好きな人と添えない悲しみ。




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