干し物片付けなきゃ

洗濯なんてしていないのに・・・


 私はどっちに帰ったらいい

帰るところは一つしかないのに・・・


 晩ご飯のよういしなきゃ

まだ2時半で、さっきお昼食べたばかりなのに・・・


 朝、コーヒーを飲む。

「味がない」と砂糖を多めに入れる。

牛乳を入れて「熱くない」といいお湯を入れる。

「薄くなった」とコーヒーの粉を入れる。

お湯を入れてくれと言って入れると「そんなに入れると飲めない」

と言う。

たまにりんごジュースをまぜる。


「そんなしたら美味しくないよ」と言うと「お前さんが飲む訳じゃない、私が飲むんだから」

ごもっとも・・・

だから、それ以上会話にならない。

それ以上言うと

「うるさいわね!!」とかかってくるかもしれない。

傘で叩かれそうになったことがある。というか叩かれたこともある。


電動ポットのコードを自分で抜いて、私は抜いてないと怒る。


 たくあんが3皿出る。

味噌汁を凍らせる。豆腐も凍らせる。

たい焼きが仏壇にあがってる(これはいいのか・・・)

家の鍵を作っても作っても無くす。そして作ってもらってないと怒る。

テレビのリモコンが押入れに入っている。



 我が家の日常。



母が口に出して言う言葉

「私は長女で、母が体が弱くて私が兄弟の母替わりで学校も行かせてもらえず。あなた達はいいわね」

「私はもう疲れたの。そのへんで倒れていたらよろしく頼むね」


とにかくしていようがしていまいが「洗濯」「食事」とくに【ご飯】への執着がすごいです。

食べきっていなくても、いつも決まった分量炊く。

それが昔、長女として、母変わりとして、6人兄弟の中で食べれらなかったトラウマなのか、

私も3人兄弟。母の中ではまだ育ち盛りの子供がいる5人家族と思ってるのか。


 いつもと違うことが起きると怒り出します。

父がいない。父がいつもより遅く帰ってくる。

米がない。変な時間にご飯を食べる。


 足が痛い痛いと言いながらも全部一人でやろうとします。

気持ちのあるうち、また物理的に無理だと判断した場合以外は、なるべくしてもらいます。

それが症状を遅らせることになるかもしれませんし。


 


 こんばんは雨のこし屋たかはしですニコニコ

と、書いているのも日常。


話すと少し楽になる。

書くと心が落ち着く。

わかってくれるひとがいると安心する。


今と昔を行ったり来たり。

高橋だったり、旧姓だったり。


仲間で「絶対に死にたくないビックリマーク」て私に話をしてくれた。理由は特にないようだけど、とにかく死ぬのは嫌なんだそうです。

でも、それは無理な話。

仮にそうなったら多分不幸に感じるときが来るはず。

周りがどんどん死んでいるのに自分だけが生きている。年も取らずに。

アメリカの宝くじで10億円とか当たるようなものかも。

大金を手に入れた瞬間が不幸の始まりとか。


「身の丈」


死なない、死なせたくない人間になる。

10億円を持ってもしっかりマネジメントできる人間になる。

そうなった時に初めて想いがかなったり、手に入れられるのかも。

死なないってことはないでしょうけど・・・


 今の日常が私の「身の丈」

母のことを真正面から向き合えるようになるにはまだまだ小さいです。

息子として、家族として、人として。まだまだ父のように、肝の座ったひとにはなれません。


宙ぶらりんの綱渡り。

いろいろ書いてあるけど、現実と理想って必ずあるから。

でもできる限り顔晴ります。頑張りすぎないように。

とりあえず、思ったことは口に出します。

明日、何があっても後悔しないように。

震災で被災された方、なくなった方は悲しさもそうですが、悔しさや後悔の気持ちが大きいと聞きます。


「あの時、一緒に逃げていたら」とか「もっと、沢山話をしておけばよかった」とか

「ありがとうっていっておけばよかった」とか「仲直りしておけばよかったとか」


なるべくそうならないように日常を過ごしていきたいです。

そういう意味で、

「明日、何があっても後悔しないように」

休みも仕事もあまり別けたくないのは、そう言った想いもあるかも知れません。