こんばんは。

毎日思春期の娘と大喧嘩している乳がんサバイバーN子です。

ギルモアガールズみたいな母娘関係にあこがれているのに、50%ギルモア、残りは家族ゲームです。

 

さて、ブログ。


 

父の病院に呼びだされて、向かった。

 

 

父の食道がんの手術から2週間、それから縫合不全で壊死した大腸と小腸の吻合部を切除した再手術から1週間。

父の容体はいったん落ち着きつつある。

24000(一時は30000)あった白血球は16000になり、CRPもおちついてきた。

肺の写真も一時は真っ白だったが一晩でずいぶんきれいになった。

 

昨日、担当医は『肺炎はいったん悪くなってから良くなる』と言ったが、実際その時点では、いったん悪くなっているのかこれからどんどん悪くなっていくのかはわからなかった。

まあ、そんなの誰にもわからないよな。

 

それで、私のことを中4日で呼び出した理由はわかった。

 

容体が悪くなり長引くなら気管切開が必要になる。

どこに線引きがあるのかしらないが、気管切開は本人または家族の同意がないとできないらしい。

それどころか、敗血症から腎不全になれば透析が必要になる。

 

といった侵襲性の高い治療が必要になったときに私に覚悟しておいてほしいわけだ。

 

いまさら侵襲性が高いことが問題なのではない。

その病状の行きつく先が高い確率で死亡に至ることが問題であって、

ひとつひとつのプロセスに同意しておいてもらう必要がある。

 

人体は本当に不思議で、全体の奇跡的なバランスで成り立っている。

あたかも、右足が沈む前に左足を前に出せば水面を歩ける、というパラドックスのように。

 

崩れたら早い。

だって死んだ人って、さっきまで生きてた。

手品か、もしくは悪い冗談みたいなもんだ。

 

ところが、回復したので、私を呼び出した差し迫った事情は無くなった。

 

 

「何度も呼び出してすみません」

 

担当医は40歳くらいの男性だ。とても背が高い。そしていつも病院にいる。週一回他の病院で勤務する日を除いて、朝から晩まで。

 

「ここまで来るのは大変ですよね。どこにお住まいなんですか?」

 

私が病院と同じ路線の駅を告げると、

どこだかわからないという顔だ。

 

「ご存じないですか?ここよりも都心寄りの駅だから、通ったことはあるんじゃないでしょうか。……先生はお車でいらしてるんですか?」

 

と尋ねてみた。

 

「いえ、この近くに住んでいるんですが、4年になるんですが周辺のことがまったくわからなくて」

 

「病院と家の往復だけしかしてないんですか?」

 

担当医は黙って笑い、肯定の意味だろうと私は思った。

 

 

週明けに人工呼吸器を外すことを目指していたが、いったん大事をとって遅らせたい、と担当医は言っていた。

 

私は、外せそうなら、大事を取るよりも外したほうが良いのではないかと思う。

酸素を十分肺に届ければ、回復に役に立つ。

でも一方で、動かなければ筋力が削り取られていく。

 

父は、抗がん剤治療を受けるまえは、1日に2万歩も3万歩も歩いて、ウォーキングのサークルにも入っていた。

これは引退してからずっと続けている彼の趣味で、がんに関係なくやっていることだ。

抗がん剤が終わってからは、ばてやすくなったといって、1万5千歩くらいになったと言っていたが、77歳としては十分だ。

 

体力は、ある。

 

だから絶対良くなる、とは言えないけれど、

一言で生存率とか予後とか言っても、結局最後に物を言うのは本人の体力だ。

 

それを重要視しない医師は多い。

単に視野が狭いのか、

そてとも患者の体力頼みでは責任感の表れなのか、

わからない。

 

 

そのあと、帰りに一駅分歩いた。雨がやんでいた。

私の実家あたりの一駅は、私の住んでいるあたりの5駅分くらいある。いや、もっとかもしれない。

距離だけでなく、アップダウンも多い。

人はほとんど歩いていないし、植物が生い茂り、公園は丘であり森である。

雨上がりの森は息が苦しくなるほどに生い茂っており、

開放的になるというよりも、私は何者かが侵入してくるのを恐れて自分を閉ざした。

口を閉じ、肩をすぼめ、目が合った自転車の白人がにやっと笑うのをにらみつけて

 

ここでの1万5千歩は、私のところの1万5千歩とはかなり違う。

ましてや、ルームランナーのそれと違うことは言うまでもない。

のろのろしてたら真っ暗になってしまう。

焦りながら、私はときどき立ち止まって休まなければならなかった。

 

状況が許すなら、父が早めに体を動かせる方向で進めてもらえるように、担当医に話そうと思った。

 

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