最近ね。

ここ一週間かな?数日かな?それくらい最近のことです。

 

突然、視界が拓けたんですよ。

気持ちが柔らかくなって、すっきりして。

 

それで、感じたんです。

 

ああ、やっと、病気の現状を受け入れることができたんだ

 

って。

乳がんの診断を受けてから、6,7ヶ月が経って、やっと。

 

 

やっと、といっても、ずーっといわゆる『否認』をしていたわけじゃないんです。

私の場合むしろ、乳がんだ、と確定してからの立ち上がりは早かったかもしれません。

 

特に入院中、手術の翌日病室にやってきた乳腺外科の先生たちに、

 

「センチネルリンパ節生検で2/3の転移が認められてリンパ節郭清しました。」

 

と聞かされた時には既に、

 

「じゃあ抗がん剤やりましょう」

 

という決意ができていました。


「抗がん剤開始日についてはゆっくり考えましょうか(にっこり)。」

 

という執刀医のチャーミング先生の配慮にも(腫瘍内科のハッキリ先生とも同様のやりとりがありましたが)

「私は抗がん剤に関して悩む時間は要らないから、できる限り早くスタートしたいです。」

 

と言って入院中に追加の検査を予約してもらい、術後3週間後、退院してから2週間後に化学療法を開始してもらいました。

 

体に隠れている目に見えないがん細胞に、既に手術で刺激を与えている。だから、可能な限り早く抗がん剤を投与したかったのです。とにもかくにも。

 

 

やるべきことはわかっていたし、やっていた。

幸い、体力にも体調にも余裕がありました。

気持ちも前向きだったと思います。

でもずっと、こころは晴れることはなく、休まることもなかったんです。

仕事をしている間やゲームをしたりYouTube見て笑っている間は忘れていられる。

でもそれは表層だけのこと。

 

夜寝床に入っても何度も中途覚醒するし、結局2,3時間しか寝られないということも多かったのです。

夜中に目が醒めると、そのたびにおしっこが出る。

たくさん出るときもあれば、たいしたことない量だな、ということもある。

だから決しておしっこがしたいから起きたのではなくて、精神的に緊張しているから目覚めるのだろうと思います。

 

常にエンジンがかかりっぱなしの感じ。

 

 

自分の深いところに絶対に存在しているこの緊張をどうやってほぐしたらいいのか、私にはわかりませんでした。それは、私の50年近い歳月の中で、最大の緊張でした。

病院では、腫瘍内科でも放射線腫瘍科でも、診察のたびに

『今の気持ちのつらさを10段階で表してください』、というゲージの書かれたプリントを渡されるのですが、

いつも1か2に○を付けていました。

正直、どのくらいのつらさなのかは私にもわかりません。

 

「でも、ゼロではない。」

 

それは知っていました。

 

たとえ自覚がなかったとしても、「あなたガンですよ」と言われたばかりなのだから、このゲージがゼロになるということはないのです。多かれ少なかれ、陰に日向に、自分がガンだという意識が影響してくるはずです。

 

サイコオンコロジーにかかって、ホガラカ先生に眠れるお薬(レンドルミン・デパス)を処方してもらっても、

相変わらず中途覚醒は起こりました。

ひとつ、中途覚醒してもまた眠れるようになったのは大きな進歩でした。

それまでは一旦目が醒めたら脳が全速力で病気や治療法、いろいろなデータのことを考え、計算し始めて、すっかり興奮して再度眠りに付けないこともあったのです。

睡眠不足は治療の妨げになりますから、途切れ途切れであっても、一定時間眠れるのは助けになりました。

 

 

そんな毎日が繰り返されてある日突然、ぱーっと視界がひらけたんです。

やっと、リラックスすることができた……。こころとからだが落ち着きを取り戻したのを感じます。

 

目が醒めずに7時間寝る日もあります。

 

何が良かったのかな?

 

抗がん剤の影響が抜けたこと?

抗がん剤・放射線治療を実際に経験して未知ではなくなったこと?

春が来たこと?

…それとも、ただ7ヶ月という時間が経過したこと?

何が決め手なのかは、わからない。

全てなのかもしれない。わからない。

 

 

「このまま緊張が続くと治療の効果に悪影響が出てしまう」という不安から解放された今、

眠ることだけでなく、運動することや食べること、息をすること、

この一秒一秒すべてが喜びであり、癒しです。

呼吸するたびに、この体が魂の器なのだ、再びこの神聖な役割を取り戻したのだ、と感じます。

 

そう、

私は、

魂を取り戻したのです。

 

これからもちょっとしたことでまた、緊張が高まることはあるでしょう。

今もまだ、放射線治療に毎日通うという(通えるかなという)緊張はあります。

 

でも、一喜一憂は自分をいじめているだけ。

 
魂の器であるこの肉体をこころから大切に、日々刻々生きたい、と思います。
 
 
今日のお話しはこれでおしまい。
では、また。
 
近いうちに、
精神的な受容が完全に追いついていなかったのに
どうして積極的に治療を受けていたのか、
どうやって、こころの問題と治療に向き合う姿勢を別軸で両立していたのか、
書きたいと思います。
 
それは私の職業と関連していました……。
 
ご興味がある方はまたお立ち寄りくださいね。
 
 
最後に。
 
この記事には通りすがりに撮影した花々の写真を挿入しました。
丹精込めた立派な木や花壇の花も素敵ですが、
その辺のタイルの割れ目に咲いている野の花も平等に美しく、
きっとそれが春というものなのだと思います。
 
 
それは、美人にも不器量にもいっとき平等に若さという美が与えられるのに似ている、と思うのでした。