伝説のミノス王の名前を取ってミノス文明(クレタ文明)と呼ぶ。
クレタ島には、ミノス王のクノッソス宮殿があった。
紀元前8000年頃に最終氷河期が終わると、機構の温暖化にともない海水面は
上昇し、ギリシャ地域では、大陸部とエーゲ海の島々が徐々に離れ離れに
なっていった。
狩猟生活を送っていたギリシャの人々は前6000年になると村落を形成し農耕、
牧畜を始める。
紀元前3200年頃、ギリシャは青銅器時代に入った。
エーゲ海文明が花開いた。
エーゲ海文明を支配していたのが、クレタ島のミノス文明でした。
ミノス人は、外交的で冒険好き前2000年代からエーゲ海全域を航海した。
銅、金、銀、象牙、ファイアンス、貴石などの原材料を求めて、東地中海の
あらゆる海に到達し、商業拠点や植民市を建設した。
カマレス式土器は、ミノス文明の中で最も色彩豊かで装飾的、洗練された器型
だろうと言われています。
名前の由来は、プシロリティス山南麗のカマレス洞窟から発見されたことです。
カマレス式土器は、贅沢品、権威の象徴で、ギリシャ本土、レバント海岸、そして
エジプトのナイル川沿いやその他、様々な場所から見つかっています。
海洋のオブジェ ー 風・波・軌跡
渦文とロータスの組合わせから
印象的な絵柄モチーフの「カマレス様式陶器 Kamares Style」
これはクレタ島全域に流行をもたらしました。
「カマレス様式陶器」の背景は、クレタ島には銅や金などの金属鉱山が無かったので、
地元の材料を利用した陶器や石製容器の生産が盛んになったことです。
ギリシャ本土では、すでにまばゆいばかりの黄金製品が・・・・・
カマレス式嘴形(くちばしがた)注口水差し
Kamares ware beak-spouted jug
紀元前1750~前1700年頃(中期ミノス文明ⅡB型)
粘土
クレタ島、フェストス宮殿出土のご紹介です。
卵型の胴部に低い頸部と垂直方向の把手(とって)がついている。
地色は黒色で白色、オレンジ色、赤色の複雑な幾何学的デザインから
なるカマレス式装飾で構成されている。
器面の大部分を覆っている主要モチーフは一つに組み合わせられ、
白い帯で頸部と底部につながっている。
カマレス様式の大型の装飾陶器は、主に宮殿の「公式晩餐会」でワイン
を入れました。
4つのJ字型の連続渦巻文が縦方向に描かれ、オレンジ色の平行線が引かれた
楕円形のモチーフがそれと交互に配されている。。
本作はデザインの点、モチーフの構成の点でも、この土器の創造性を象徴して、
まさにブランディ化している。
J字型の連続渦巻文とそれを斜めにつなぐモチーフの組み合わせは、ねじれの効果
と呼べるような、器面をねじれながら上昇していく動きを生み出している。
日本側とギリシャ側では、この土器の写真の写し方が違います。
これは日本側のそれです。
ギリシャ側は、全体を十分に写しています。
カマレス式嘴形(くちばしがた)注口水差し
Kamares ware beak-spouted jug
紀元前1750~前1700年頃(中期ミノス文明ⅡB型)
クレタ島、フェストス宮殿出土
粘土
高さ 27,5㎝,最大径17,5㎝
イラクリオン考古学博物館
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