生まれてくる目的を設定してきた
とされる魂。その目的は生まれると
同時に忘れ去る。
そしてそれを再び、思い出して
そう生きるために私たちは生きている。
という考え方が好み(笑)
この考え方を基盤に世の中を
見渡して生きていると、魂に
まつわるいろんな説が現れる。
魂の目的は等しく成長、とか
魂の目的なんて無い、とか
魂がしたいのは体験、とか。
つまり生きていればいい、
ってことだよね。
どうにでも設定可能。
自分がどうしたいか?だけ。
それがわからないから、
魂の目的とか天命とかを
つい探すよね。
生きているだけでいいのに。
(自分も皮膚疾患があるから
具体的に苦しみがある場合は
ここではあまり考えてない。
というかそれすら込みかもしれないけれど)
非二元で言うと、わたしは探求する
モノだからなぜ生きるんだ?って
なるのは当然らしいけれど。
でも、日々の暮らしの中で
おいしいものを食べたり食べたくなかったり
お風呂で気持ち良くなったり入りたくなかったり
眠りを貪ったり寝る間を惜しんで何かしたり
けっこうやることはたくさんあるし
それを喜びとすることができる。
それを魂の目的通りに生きてるか
天命を知ることができたか、に焦点を
当てるとそれが抵抗になって
苦しくなったりすることがある。
まあ、魅かれるけどね(笑)
私が思う、とりあえずの自分を生きる
ってことは他人の意見に振り回されないで
自分で動くってこと。
もちろん影響はされるし、宇宙的な
何かとつながってる自分をというのも
含めて。