覚醒した人が崇高なわけではない
と書いたが、視野が広く高くなった人
であることは間違いと思う。
ただ残念なことに、わりと感覚的に
生きている人が多いため、その後の
違いなどを言語化してもらえない(笑)
もっとも、言語化できないことは多い
のだろうとも思う。
大事なのは、覚醒ではなく
やはりこの3次元で生きることだ。
覚醒はその生きることを強烈に
バックアップしてくれるモノなんだと思う。
前にこんなことを書いたんだけれど
これは覚醒とは違う、自分の発見。
「リリーのすべて」という映画を観た
感動を書いたのだった。
それほどにあの主役の俳優さんの
演技が微細に感情を表していた。
そこに共鳴できた結果だった。
私自身は、顕在意識上は自分を
殺して言いたいことも本心も
言えないということが無かった。
けれど、潜在意識上に隠れている
何かまだ私が認識できない私が
反応したかのように感じた。
再度言うと、これは覚醒とは違うと
思っている。自分の嘘をはがした
本当の自分との対面だ。
自分がゲイであることすら
気づけずにいた(自動的に否定しただけ
なのかもしれない、時代的に)自分への
目覚めの映画。
そう言えば、覚醒って目醒めともいうね。
覚醒が大事ではない、とは言わない。
その片鱗は体験しているが、それは
本当に喜びと感謝だから。
私の聞いた「これだと絶対わかる」と
いう覚醒はさらなるものだということ
だけはわかるのでしてみたいが(笑)
この肉体を持った喜びを知ることも
覚醒と言えるんじゃないかと思う。