日中のパフォーマンスが大事なのは
さることながら、死ぬまで元気に
過ごして寝たきりとか死にぞこないに
ならないってことが大事だってことが浮上。
しかも長寿で。
短眠はその点において、私の理解では
不明となっていることが判明。
まあ、そもそも死ぬときのことまで
考えてない(笑)この場合ね。
そして、長寿が最善なのか
望むものなのかも不明よね。
でも、死ぬときのことを考えることで
生きる意味がわかり目的を据えて
幸せに生きることができると説くのが
仏教らしいんだよね。
死について解決してこそ、なんて
言い方をされていたのを読んだよ。
仏教をその視点から見たことがなかった。
死には恐怖が隠れているような
解釈のように感じたが、そもそも
余命宣告もされていない状態で
死を恐怖と感じることができるのか。
(たまにそういう子どももいることは
ちょっと置いておく)
それって、現代の仏教が江戸時代に
できた(明治時代?)檀家制度によって
仏教は葬式とか法事の仏事になり
かわってしまったからという説明があった。
寺の孫として生まれた私もそこは
納得できる。
もちろん、住職だった祖父は
どちらかと言うとなまぐさ坊主と
言うよりは地域に貢献するために
自ら貧乏寺を引き受けたなんていう
美談を聞いているのでなんら恥ずべきことはない。
寺は税金無いとか、高級車
乗り回してとかけっこう揶揄されるし
実際にそういう人もいるものね。
という脱線しまくりの感があっても
私の中ではすべてが繋がっている。
仏教ってそういうものだったのか
というのと同時に、まだまだ
勘違いしていたことや知らないことが
たくさんあるものね。
ちょっと前の私なら、
「ああ、やってもやっても埒開かない」
なんてガックリ来ていただろうけれど
だから人生・人間の世界はおもしろいんだよね!
と言える。
もちろん、疲れるとなんでも
どうでもよくなるけどね!(笑)
昨日は準備して寝たけれど、
夕寝のせいか結局午前2時就寝となり
6時からアラームの音楽がかかっていたが
初めてのメロディだったのもあって
そのまま寝続け、本当の起床は
次のアラームの午後7時半だった(笑)
いまだ、体力増強中の時期なので
もどかしい限りだけど、毎日
仕事で充実しているのが至福。
こんなことは出産育児以来だよ。
というわけで、いかに自分にとって
良きに進んでいける思い込みを
自らが抱えていられるかが大事なんだ
と改めて確認。
これって、世の中にこれがいいよ
あれがいいよっていう思想や方法論が
あるおかげ。
どれもおもしろそうなこと言ってるし
それ以外は全く眼中に入ってこない
ようなこともたくさん。
つまり、自分が今どんな状態かに
よっても見えるものが違ってくるというもの。
もう50年も生きてくるとさすがに
人間ってこんな感じなんだなって
思えてくる。これも思い込みだけどね。
自分が何を思い込もうか、ということを
忘れずにいろんな世の中を物色していこう!(笑)
人の成功法則は鵜呑みにするもんじゃないよ!