長年、やりたいことがわからない
と思っていたし、そう言ってきた。
でも、やりたいことはその都度
浮上してきてやっていた。
以前もそのことは書いた。
やりたいことがわからない
ということではなく、
打ち込めることが
見つからない、が当てはまる。
やりたいことをやって
なんかしっくりこなかったり
うまくいかないと途端に
興味が失せる。
誰かの責任を負ってるわけじゃないから
心置きなくスパッと終わりにできる。
この世は、たくさんのおもしろいことで
あふれている。
やりたいことは実は後から後から
湧いて出てくる(笑)
仕掛ける人がいるからね。
そして、やりたいことがなくても
やるべきことがあるとそんなこと
関係なくなりやりたいことがない
なんてことも言わなくなる。
やらないといけないことに
気がまぎれるから。
ただし、心のどこかでは
未確認のやりたいことを
求め続けるので、どこか
空虚な感じが巣くっていく。
そこにお金がからんでくる。
ふんだんに使えるお金があれば
片っ端から目新しいものに
取り掛かれる。
でも実際には使えるお金が
限られている(と思い込んでいる)ので
そう簡単にも取り掛かれず
また欲求不満というモヤモヤ要素が
足されてしまう。
そして、多分ふんだんにお金が
あっても使うだけだと、生み出せていない
欲求不満も出てくる。
まあ、それは無い人もいるだろうけど。
私の場合は生み出したい欲求はあるので。
だから、こんな記事を書くことで
何かを生み出した気でいたいのだ。
実は、今何かを生み出すための
訓練を受けている。
極めて物質世界的な。
そこに生きる意味とか
理念などというものは
求めず受けることにしたのに
やはり意味を見出そうとしている
ことに気づく。
意味があったほうが私は
やりやすいタイプなのだろう。
いま、ほんとにやりたいのは
ピラティス。
でも、テスト勉強から逃げたくて
散らかっている部屋が気になり
片づけ始めるようなものかもしれない。
やりたいと思って始めたことが
うまくできないと、「これはホントは
やりたいことじゃなかった」とか
言い出すのも同じ。
それも今回しっかり体験した。
誰に迷惑かけるでもない。
莫大な訓練費が無駄になるだけ。
そんなことをいくつか経験したか
もしくはそれが予想されるから
手を出さなかったかどちらか。
今回は、やりたくなくなったことも
踏まえてちゃんと訓練を続けようと
決意した記事。