哀しみじゃなくて寂しさだった | 宇宙意識で體と魂メンテナンス@湘南辻堂 旧今ここを生きる 自分を知る

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とにかく何が望みなのかを自分に聞いて宇宙意識で現実を創る!
自己最高の人生を送るための探求。自分を知って信じると何が起きても大丈夫になる。行き当たりばったりが楽しくなる!
意識が人生を創造していることを検証する日記。現実世界と精神世界を同時に生きる。

哀しみの話
書いた。


リアルな気持ちは
寂しさだった。


前の家に置いてきた
ものの中で
捨て難いものを
取りに行ったり
捨てるためにまとめたり
するのに、まだ
行ったり来たりしている。



それを持って帰るとき
寂しさが襲ってきた。



かなしいんじゃなかった。



なんだホントは離婚
したくないんじゃないか、
なんてことではなく、
いやそういうことなんだ
と思ったが、よーく
探ってみると
息子との別れが原因だった。


この春社会人になった
息子は、親の離婚予定も
あってか会社に近いところに
一人で暮らすつもりでいた。


そもそも私も子どもの
世話をせっせとするほうでは
ないんだが、それでも
家事は請け負っていた。


別居して、すでに彼の
ご飯を作っていない。
洗濯もしていない。


彼は洗濯は自分でするし
手がかからない子だけれど
それだけに、カップラーメン系でも
食べなくても平気なので
やはり心配なのだ。


たまにそれはいいけれど
毎日となるとさすがに
心配だ。


今、毎日やることが
多くてだらだらできない。


だから、記録もできない。


今、これまでの人生で一番
下向きな気持ちが多い。


それだとアドラー的には 
かまってほしくて(目的)
鬱になってしまいそうなのを
感じ、なんとか回避しないと
とも思っている。


その中で一番多いのが
寂しさなのだ。


でも寂しさを感じた後は
楽しいことって
なんだろうと問いを
投げかけて脳を
働かせている。


あまり楽しさは
感じない。


娘がいてくれてよかった。
ほとんど顔を合わせないが
LINEでやりとりできるし
朝晩は一緒だ。


いずれ巣立っていくが
それまでは一緒にいたい。


本当は離婚したくなかった。
でも、もう子どもたちの
父親とは意思の疎通は
できない。
これが同時に真実の
私の気持ちなのだから
しかたない。
頭で考えている分が
本当に強いんだな、私は。


私は実は頭で考えたことが
気持ちそのものなのだと
思う。


実は秒刻みに気持ちが
変遷しているだけなのかも
しれないけれど。


今日(昨日)は父の命日
だった。まだあの亡くなった
日の朝を覚えている。


その寂しさも重なったかも。


ここのところ、好きな
友人たちとも会っていないし。


あっちの引越しが
終わって、前の家が
空っぽになったら
どう変わるかな。

息子に、俺の実家は
無くなるんだな
と言われたことも
心にひっかかっている。


私の家があんたの実家よ
と言うとうなづいたのを
今思い出して、少し
落ち着いた(笑)