師匠は野田俊作先生です。
政治思想なんかも
先生のお説に「へえ、ほう!」
となってしまいますが
けっこう冷静に
習ってますので
ご心配なく。
(誰も心配してないか笑)
いや、だってさ
宗教組織じゃなくても
誰かを崇拝して言いなりって
組織の図式でしょ。
前置きが長いと
思いますが
タイトルが「所属する」
なので前置きでも
なかったりします。
宗教組織も
所属するところ
だからです。
自分の身近な
共同体に所属する
ことができないと
他のどこかに
所属することが
必要になりますから。
そのタイミングで
宗教に入る人は
多いんではないでしょうか。
信仰は賛成なので
否定はしませんが
そこで新たな人間関係の
悩みが発生したり
してないのかなと
勝手に思ったりはします。
アドラーの言う
共同体の話は
少〜しだけここに
書きました。
共同体の一員として
他者に貢献することを
幸せとするなら
(ここまでのアドラー用語は
一般的な言葉通りで
わかると思います。
普段は使わないだけで)
その共同体に所属して
いるのが前提です。
会社、学校、町内会など
の他に友達のコミュニティ
やマニアックな集まり
今やネットのおかげで
いろんな共同体があります。
どこかに所属する
ことができなくても
他の共同体がありそう。
昔は家族の中に
居場所がなくて
所属に失敗しても
隣近所に上がりこめた
から普通に生きる
ことができたらしい。
でも今は家族以外の
日常のコミュニティが
無いから、家族への
所属に失敗すると
自分の部屋に
ひきこもるしか
なくなるんだという
説もあります。
ひきこもることは
アドラーの目的論から
考えると、家族の注目を
集めたいからという
本人の目的があると
いう論理と辻褄が
合いますね。
いや、だけどね。
私が言いたいのは
夫婦も共同体だと
すると、私はこれの
所属には
失敗したんだなって
ことです(苦笑)
あとはね。
一人が好きって言うのも
所属に失敗して
共同体に所属することを
やめただけなんじゃ
ないかなって思いまして。
やっぱり仲間がいた
ほうがいいもの。
だから、仲間と成長を
しながら冒険する物語が
好かれるんだし
仲がいいお笑いコンビや
5人が仲よさそうな嵐が
人気なんじゃないかと
思います。
みんな仲間が欲しいんだな
とテレビを見ながら
思ったのはアドラー心理学を
学ぶずいぶん前からです。
幸せが他者貢献に
あるという意識はなくても
(正確に言うと他者貢献に
こだわらずに幸せを実現
させるのがよいと思っていた)
仲間はいたほうが
幸せだとは思っていたのです。
多分まずは
一人と繋がれれば
所属することに
成功したと人は
思えるんじゃないかなと
私は思いました。
それが親ね。
だから、親は子どもを
一人の人間として見ながら
接することが大事
なんですね。
仲間として。