世界から言っても
どうやら思考が現実化する
ということは
ほぼ明らかなんですってね。
そんな世界のことは
わからないけれど
人生は創造できる、
ということには
大いに興味をもって
生きてきています。
私の場合は、
振り返ってみると
だいたい思い通りに
なってきたなあ
とは思います。
だけど、「だいたい」なのは
なぜなのか。
胸を張って
私は人生を創ってきた!
と断言できないのが
自分の人生に
責任を持てていない
ってことなんだろうな。
でも
責任をもつって
言葉がこのことを
表すのに
最適なんだろうか。
去年から、このことを
断続的に思い出しては
検証してみています。
私はある分野については
自分が思い込んでいることを
自信を持って言えて
現実もそうなっています。
じゃあ、これからもそうか
と言われたり
他の分野では?
と言われると
はっきりとは
断言できないのです。
違った時に、やっぱりね
と言われるのを避けるために。
これって違ったことが
起きるのを予想して
いるのと同じですよね!(苦笑)
これが、自分の頭の中だけで
繰り返されているのです。
繰り返しているつもりもなく、ね。
誰にも言わないんだから
自分の望み通りにいく!
と断言していいんですよね。
まあ、ここで言ってるけど(笑)