精神世界は、目に見えないことの概念なので
他のたくさんの人たちと共有しにくい。
もちろん、「シェアリング」という手法も
あるんだけど、機会はごろごろ転がっている
というものではない。
なので、自分のよりよい変化・進歩のためには
自学・自習が欠かせない。
上級者は、呼吸をするように、食事をするように
進歩できるんだろうけど。
そして普通級(?笑)の人も自然とこうなっている
時もあると思う。
で、結局本を活用するってことが手っ取り早い。
前にドラマの話を書いた。
http://ameblo.jp/nokolfin/entry-10578874645.html
ここで紹介されていた
「NEED~本当のあなたをさがす旅」スーザン・バトソン著
をさっそく図書館で借りて読んでみた。
スピリチュアルというよりは、心理学なんだけど
精神世界には変わりない。
この本は紹介されていたというよりは
エンディングロールで参考にした本として
流れていたのだけれど、けっこうポイントだった。
見逃していたらそれでおしまい。
ドラマのHPにも載っていなかった。
ドラマでも本でも、問題は5歳のときの「NEED」が
満たされなったことから「パブリック・ペルソナ」と言う
よろいを身に着けて生きるようになったことで起きる
と説明している。
私は5歳のときの「NEED」欲求は思い出せない。
でも、カラダに出た不快な症状に聞くという
物質的にはあり得ない努力をしたり、歌のワークで
声を出すことをした後でわかったことがある。
私には「守られたい」というNEEDがあった!!
これは女性性にも通じるではないか!
今まで自分の女性性を否定しているつもりは
毛頭なかった。
けれど、症状は左にばかり出ることが多く
それは女性性の気づきへのサインだった。
守ってほしかったのに守ってもらえなかった。
これは具体的に二つ、思い当たるのだ。
ひとつは小4のときの母へ。
ひとつは下の子を妊娠していたときの夫へ。
恋愛ではこの「NEED」を満たしてくれる人を
求める、というのがある専門家の説だが
私にも当てはまる。
夫はとても私を大事にしてくれて守ってくれた。
でも!!
私にはその満たされなかったNEEDを
あきらめるために「自分で何でもやる・誰にも
頼らない」というパブリックペルソナを
しっかりと身に着けていたのだ。
それゆえに、いつまでも守られているような
私ではいられず、自らブロックをしていたのだ。
無意識にそういう態度を取っていたということだ。
だからこそ、守られなくなった。
これは、非常に納得できる。
にもかかわらずそのパブリックペルソナは
まだ脱ぐことはできていない。
何せ長年身に着けてきたためにもはや
よろいと言うよりは肉になっているかもしれないから。
この「NEED」が分からなくて、人は
本来の望みを知ることは可能なんだろうか。
私は、この「NEED」がわからなかったから
やりたいことが思い浮かばずにいたのかもしれない。
ただ思い浮かばなった原因には、自分では
複合的な感じがしているので、まだ未解明。
この「守られたかった」思いがあることを知って
じゃあ、次はどうすればいいんだろう。
多分パブリックペルソナを脱ぎ捨てることが
ポイントになるんだろう。
でも、やっとここまできたな。
表面的には何も問題のなかったところから
ほじくり出すように取り組んできた甲斐があった。
状況は幸せなのに、そこに満足できなかった私は
「足ることを知る」でいられなかったかもしれないが
魂からの違和感をちゃんと感じていたんだとも言える。
早い段階でわかっていた私の中の
「無価値感」につながることのひとつが
わかったという、ある意味大発見だった。