誰かに頭に来たときや、嫌だと思うことをされたとき、
自分の怒りの気持ちは否定しないこと。
でも、その人を「嫌な人」と決めつけないことが
やっぱり大事なようだ。
知り合いの知り合いというつながりで
知ったある人のブログ。
人の痛みからその人が何に気づくべきかが
分かる人だそうだ。
不仲の夫婦の妻が癌になった。その人は
妻が夫の立場や状況をわからずにストレスを
抱え続けたためで、思いやりを強調していた。
結局いろいろあって、妻の癌が消えたそうだ。
金スマで有名になった木村藤子さん(だっけ?)や
江原さんや美輪さんが言うスピリチュアルの中には
なんだか説教がましいところがあると、私は感じる。
昔からある人の気持ちを無視した道徳か!ってね。
この人の話にも似たようなものが見え隠れしたが
不思議とやっぱりそうだよね、と思えた。
多分本当の道徳は説教くさくないし
それは生きている人間の思いやりから生まれたものだと思う。
説教くさいと感じる私に、何か気づくべき点が
あるんだろうとも思う。
頭ではいくらでも同意できる。
でも心が「けっ、よく言うよ!」って時がある。
自分が大事にされていない(=大事にしていない)
時なんじゃないかと思う。
自分を大事にするってことは、
実際本当にはどうすることなんだろう。
これもそれぞれのアンテナでサーチするしかないんだろうな。
私を癒すべきことがまだまだある。
でも、それを夫が喚起してくれているんだってことは
わかってる。でも感情が、反応が夫を悪者にする。
確かにいろんなことを夫のせいにして生きてきた。
それは本当に悪かったと思うし、そのおかげで
生きてこられたのでありがたいと思う。
やっぱり、夫を悪く思うことを避けようと思う。
ここはがんばりどころだ。
でも私の気持ちは損なってはいけない。
無視しないように。
人を決めつけると、そのような人としての
態度で目の前に現れる。
子供を育てるときにも、これに注意した。
でも大きくなってきて、だいぶ私の保護を
必要としなくなっていたので忘れかけていた。
みんな、一生懸命生きていて良い人なんだ。