こんばんは〜

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今日は登校日で給食作ってきました。
明日からはまた掃除に戻ります。
2学期の準備です。
さて、あちこちの闘病のブログを読んでいて、手術の記事で、自分の時のこと思い出しました。
私は46の時に子宮筋腫で全摘しました。
子宮内膜に出来るタイプの筋腫で出血量が多く取ってしまった方が良いとの判断でした。
私は何故だか自分の人生でお産以外で入院する事は無いと思い込んでいたところがあり、ましてや身体にメスが入るなんて一生無いと思ってました。
なので手術と言われた時は、えーっ!私手術するんだ〜と驚きを隠せませんでした。
しかし筋腫のせいで月経は多くて困ってたので、全摘には全く抵抗はありませんでした。
それこそアラジンのジーニーみたいに、自由だ〜〜と叫びたいくらいの開放感があったのです。
この手術の時も、中々針が入らずあちこち試して最終的に手の甲からルートを取ったので痛かったです。
この時は気管挿入しない全身麻酔で受けました。
麻酔薬が注射で入ってきた時、ビリビリと上がってくるのを感じたと同時に落ちました。
次に終わりましたよ〜と言われて覚醒
でも寝ぼけていた様な、夢の中の様な感じでした。
朝一番のオペで、回復室に長く寝かされていたのがとても辛くて、子宮の無くなったお腹では、腸がグニュグニュと動くのが気持ち悪く、痛い訳では無いのだけど痛いと口に出てしまう。
とにかくあの腸のねじれる様な動きには参りました。
取った子宮は旦那と私の母が見たそうです。
次々出来そうな小さいポリープがあったそです。
この時は手術の後が大変でした。
硬膜下麻酔をして、そのまま管が繋がりゴムボールの様な物が先に付いてました。
術後痛まないように徐々に痛み止めなのか分かりませんが入るようになってました。
(なんて名前か分かりませんが)
24時間の点滴
3時間位掛けてゆっくり落ちる小さなパッの点滴
導尿の管
そういえばこの時もドレーンは無かったような。
寝返りも打てず、このまま手術の日から丸3日。
この時ほど身体が辛かった事はなく、とにかく私は寝たきりにはなれないと思った位です。
段々と管が無くなり、点滴も無くなり、この時も開放感で自由になれたのが嬉しかったです。
私は下からの手術だったので、お腹に傷は無く、内臓の傷はあまり痛みが分からないのかはたまた無いのか楽でした。
動けない時に出た食事が大きめお茶碗に目一杯のお粥、殆ど食べられず、暫く白粥は見たく無いと思いましたね。
2週間の予定が主治医に話して10日で退院させて貰いました。
それから8年してまた手術をするなんて、この時にはもう2度と無いなぁと思ってましたからね。
2度目の手術の乳がんの時は、直ぐに動けたのでこの時より楽だと思いました。
この時に全摘していたお陰で、タモキシフェンの影響で子宮体がんリスクがありますが、それが子宮無いですから心配無いのが、あの時サッパリ取って良かった〜と思いました。
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