映画 『ビル・カニンガム&ニューヨーク』 | 計画をねりねり・・・・・・。

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思いつくままにオッサンが、Negicco、WHY@DOLL(ほわどる)を筆頭とする音楽、そして映画や読書のことなどをゴチャゴチャと。

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 2010年・アメリカ/First Thought Films
 配給:スターサンズ=ドマ
 原題:Bill Cunningham, New York
 監督:リチャード・プレス
 脚本:リチャード・プレス
 製作:フィリップ・ゲフター
 撮影:トニー・セニコラ、リチャード・プレス
 上映時間:84分

自分は、ファッションには関心がない、
まあ、カミサンにあてがわれたものをただ着ているというわけではなく、
一応は自分で選んで買っているわけだけれども、
いいなあ~、着てみたいなあ~、
と思える衣服のほとんどは、値札を見た瞬間に諦めざるを得ない、
というか、
財布の紐を緩めるのを躊躇してしまい、結局は購入しない。
そんなことを繰り返すのは自分の財力をその都度突きつけられるだけだから、
それを回避するためにいわゆるブランド物の売り場には足を踏み入れない。
もっぱら、
“ユニクロ”か、アウトレットショップで購入している。
まあ、
持てる財力を何に向けるのかは、その人が何に価値を見出しているかによるので、
Negiccoのまったく同じニューシングルを7枚購入することには、
まったく惑いがない(苦笑)。
そんな自分が、
なんとなく見てみたくなった映画。

  ニューヨークタイムズ紙において、
  人気ファッションコラムと社交コラムを長年担当している名物フォトグラファー、
  ビル・カニンガムのドキュメンタリー映画。
  ビル・カニンガムは1929年生まれ、今年で84歳になる。
  そのカニンガムの日常を2年がかりで追い続けた映画。


さて見終わって、
自分も少しは衣服に関心を持ってみようかと思い直すに至った。
そのわけは、
ビルの発する言葉の数々に、ココロをうたれたからだ。

 「誰でもセンスは、ある。勇気がないだけだ。」

 「美を追い求める者は、必ず美を見い出す。」

 「最高のファッションショーは、常にストリートにある」

 「ストリートが語りかけてくるのを待つんだ。語りかけてくるまで、街へ出て自分の目で見る
 街に身を置き、語りかけてくるのを待つ。近道などあるもんか」

 「誠実に働くだけ。それがニューヨークではほぼ不可能だ。正直でいることは、風車に挑むドンキホーテだ」

 「ファッションに否定的な声もある。『混乱を極め問題を抱えた社会で、ファッションが何の役に立つ? 事態は深刻だ』と。だが要するに、ファッションは鎧なんだ、日々を生き抜くための。手放せば文明を捨てたも同然だ、僕はそう思う」

ビルのこれらの言葉に説得力を持つのは、
映画の冒頭に登場するアメリカ版 『ヴォーグ』誌 の編集長で、
映画 『プラダを着た悪魔』 に登場する鬼編集長のモデルとなった人物といわれる
アナ・ウィンター(Anna Wintour)にこうも言わしめているから。

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  「誰もがビルに写真を撮られるために服を着ているのよ」
  「彼に無視されたら“死”を意味しているわ」
  「時には、容赦なく黙殺」
  「point of view(観点)がブレないの」


ファッションは単なるトレンドでなく、
あまたある衣服のなかから自分の感性に基づいて選択したもので自分の身体を包みこみ、
それによって自己を表現しているわけになるので、
さらには広義なアートのひとつの表現方法でもあるから、
そう考えると、
ファッションを軽視することは自分とアートをないがしろにしていることになるわけで。
ビルの言葉を借りるならば、
文明を軽視し、鎧とはとてもいえないただの脆弱な布切れを身に纏って日々を生き抜こうという無謀な行為をしているわけで。
そうそう考えると、おそろしいかぎり。
そうはいっても、
まれに原宿、青山界隈を歩いていると、
オシャレな格好で肩を切って闊歩している方々とすれ違うだけでいささかかなりの萎縮を感じてしまう自分にとって、
どこまで実行できるのかははなはだ心許ない。