おはようございます。





自分は今までに「人生終わった!」と思った瞬間が先日の運動ニューロン疾患による脊髄小脳変性症との確定診断が3度目でした。



もちろんそれ以外にも手術を4回したりしていますが人生が終わった!とおもうほどのことではありませんでした。




過去2度の話をしたいと思います。





まずは1度目。
記憶はまったくありませんが。




自分は出生時、産声を上げる事なくこの世界に出てきました。




どんな方法でも鳴き声を上げず、父も母も諦めたそうです。




そんな中で叔母ひとりだけ諦めずに自分のお尻をずっと叩き続けたそうでその甲斐あり微かな鳴き声を上げたそうです。




これが1度目。







2度目は中学2年の時。




サッカーをしていてゴールポストに後頭部をぶつけて脳震盪を起こした。
だけどその時はそれだけで特に変わった事はなかった。





1週間ほど経った授業中に瞬きをしたら右目が真っ暗闇に!



また瞬きをすれば元に戻ると思い、ずっと瞬きをしていた。




もちろん元に戻ることもなく家に帰り、母に右目が見えなくなったことを報告すると近所にある校医の眼科に行くように言われその通りに行った。





診察をしてもらったが何もわからず。
なのに目薬を処方された。
どういうこと?とは思いながらもまだ子どもだった自分は言う通りにしていた。




しかし、いつまで経っても良くなるはずもなく、そこからいくつかの病院を梯子しました。




某国立大学病院に至っては白内障と診断し、完全に見えなくなってから手術した方が治りがいいとわけのわからないことをのうのうと言ってのけた。




すでに1年が経過していて、1年前からまったく見えていません!とは言ったものの相手にされず。




たまたま近所の小さな女の子が通っていた病院の眼科の先生がすごい人で全国から患者さんが来ていつも朝早くから並ばないと診てもらえないけど行く価値はあるよ。と女の子のお母さんに教えてもらい始発で行って診てもらった。



 
診察の結果、今では普通にある疾患だけどその当時は症例が少なかった網膜剥離であった。




母はなぜもっと早く連れて来なかったのかと先生に怒られていた。

 

時間の経過がありすぎて手術をしても元には戻りませんがなんとか光を感じれるようにはします。と先生に言われた。
 
中学3年の夏でした。



さすがにショックが強すぎてしばらく立ち直れなかった。





これが2度目。







そして3度目は今。











2度ある事は3度ある。