こんばんは。
今日の夜空、そちらはいかがですか?
さて。。
今回はnokiaの子宮頚癌のこと書きますね。
現在、癌治療真っ最中の方には心地よくないことを書いています。
nokia個人の感情のままに書いていることですので、いやな気分にさせてしまうかもしれません。
今の気分が不安定になってらっしゃる方はこの先読まずにこのページを閉じてくださいm(_ _)m
2001年9月に子宮頚癌1b期(だったと思う。。。)で子宮広汎全摘術を受けました。
35歳のとき。
アメリカで飛行機がビルに突っ込んだちょうどあの頃です。
ふだんあまりテレビを見ないnokiaですが、あのときばかりはテレビの前から動けませんでした。
子宮広汎全摘を受けたのは、その10日くらい前のこと。
あの頃、もう少し生きたいって思ってたから手術を受けたんですね。
実際、今も生きてるんやけど。
あのときね、主治医には、卵巣とリンパ節は残してほしいってお願いしてたんです。
確実に転移が見られる、というのならそれは仕方がないけど。
でもね、術後の説明を聞いてがっくりきました。
卵巣は転移のかけらもないのに左側摘出、
リンパ節も転移が見られないのにガシガシ取られてました。
あの頃はそれが普通だったんでしょうかね?
郭清されたリンパ節には転移はみられませんでした。
そして、術後に追加治療として放射線治療をすすめられました。
退院前の病状説明に付き添ってくれた姉と父と主治医の三人で放射線治療の開始時期を勝手に相談を始めたときにはキレましたね(^_^;)
冗談じゃない!
なんのために卵巣残してほしいってお願いしたと思ってるんや。
なんのためにリンパ節置いといてほしいって思ってたか。。。
私の気持なんて誰も慮ってくれないんですよね。
放射線治療で卵巣機能が低下したら起きること。
放射線治療でリンパ管に影響が出たら起きること。
主治医はそれをわかってながらもなお、追加治療をさせようとするんです。
自分の患者の生存率をあげるためだけに。
研究成果の数字をあげるためだけに(主治医は腫瘍の専門医でした)。
5年生存率は80%と聞いてたと思います。
20%のうち、癌で亡くなる方は10%くらいだとも。
あとの10%の方は、他の病気や不慮の事故で亡くなられてるんです。
そのときnokia、35歳。
卵巣機能を低下させて更年期の症状を迎えるには少し早いと思いませんか?
せっかく右側の卵巣が残ってて、ちゃんと機能してくれてるんです。
子どもはいないし、彼氏とも別れたあとだったから「誰かのために生きる」必要がなかったんです。
追加治療の放射線治療は拒みました。
自分のためだけに。
より長く生きることより、自然なままで生きることを選びました。
あれから、排尿障害が残り、リンパ浮腫を発症し、鬱状態が長く続いたけど生きてます。
主治医のこと、こんなふうに書くのは間違っていると思います。
でも、リンパ浮腫を発症したのに、そのことに向き合おうとしないその姿勢に対して良い感情を持てなくて。
このブログを読んでくださっている方の中には、現在、癌治療真っ最中という方もいらっしゃると思います。
いやな気分にさせてしまったのなら申し訳ありません。
病気になって、そのあとをどう生きていくのか、人それぞれにいろいろな道があってもいいと思うんです。
最後までおつきあいありがとうございました。
明日天気になーぁれ! (=^ ^=)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「nokiaのひとりごと」記事一覧はこちら ←click!
術後の経過をまとめました ←click!
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
リンパ浮腫情報サイト
「わがままリンフィ」
読書ブログ
nokiaのハンドメイド販売中
「minneの noki-hands 」
「creemaのnoki-hands」
Instaglam
読んでいただいてありがとうございました。ブログ村に参加しています。
応援のポチっといただけるとうれしいです。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
|
| ||||
|
|