みなさん、こんにちはー爆  笑

 

 

今日はやっばいのを回収したので忘備録キラキラ

 

先日、水江卓也さんの2DAYSセミナーに参加してきました^^

 

めちゃくちゃエネルギーの高い場で、2日間のワークがたくさんあるセミナーなんですが、

みんなが『人生を変える!』って意気込みで参加していて。。。。

 

 

で、2日目の最終日の最終ワークで

 

『自分の幼少期からの一番強い欠落感が、自分の価値(使命)に変わるワーク』

 

というワークがありまして・・・・・

 

 

これで色んな方が過去感じてきた欠落感と対峙して、価値に変わった瞬間、

自分の価値が明確になって爆泣きする方々が周りで勃発したワークなんですが…びっくり

 

 

実は私自身、このワークで

『はて・・・?欠落感って、私にありましたっけ??』ってなったんですよ笑い泣き

 

 

 

みなさんご存知、私は過去に相当いろんな悲劇がたくさんあったので

選びきれないか感情閉じてるのかな?って思ってもみたんですが・・・・・

 

やっぱりどう考えてみても違って

 

『欠落感』が記憶から無くなってて分からなかったんです😂

 

 

で、5人1組でチームを組んで行ってた『Soul  Oais』のギルメンたちの

『欠落感から価値に変える』をみながら、、、、

 

 

『私・・・・・よ〜わからんぞw』って言ってて、

ギルメン子たちも色々質問してくれたりしてたんだけど

それでもわからずにw w w

 

欠落感が『ない』って感覚なのは分かるんだけど『ある』をみたらあるし

 

 

当時もないって感覚もあったような気もするけど、どこかで絶対あるって確信もある

『死』とリアルに隣り合わせでいながら『生きる』自信がめちゃくちゃあるw

 

ある人に『愛を知らないんですね』って言われた事もあったけど

愛が何か形のあるものじゃない感覚は体感としては知ってる。知らないではなく知ってる。

 

でもそれを言った人にとっては、その形はその人にとっての愛じゃないから『知らないもの』で

その人から見たら愛がない人になる。

それもその人にとっては真実だけど私にとっては真実じゃない。

 

つまりどこの視点かによって、あるにもないにもなるから

『はて?欠落感とは・??』ってなったんですw 

 

 

だから、その最終のワークはとりあえずそのうちわかるだろうからRASだけ立てて

持ち帰ろうと思って帰ったんですが・・・・・

 

 

一日明けた本日!!!!

 

毎朝続けてる、仲間とのLINE通話で、

 

人の心に寄り添うことが天性の才能の持ち主である、縁結び家の中賀巧(たくみん)と話していて

 

 

言われた一言で気づいてしまった・・・・・w w w

 

 

 

『さきちゃん、わからなくてもいいんじゃない??』

 

 

の一言に、、、『え?本当やん。なんで私の価値はこれって決めないとダメなんだっけ?』

 

って思ったら、めちゃくちゃ楽になって、、、、

 

 

結果、そこからたくみんと話していて(公開コンサルみたいになったんだけど)

 

 

結果、卓也さんのセミナーのワークの回収した答え『私の価値(使命)は』

 

 

 

 

 

『何者でもないのが私』

 

 

 

 

だってこと飛び出すハート

 

 

陰と陽、男と女、出来るし出来ない、静と動、あっても無くてもいい

こだわるしこだわらない、愛があって愛がない

ゆっくりのんびりが好きで、スピードがあって忙しいのが好き

悲しくて切なくて孤独な感覚に美しさを感じながら愛や仲間や調和が綺麗だなって思う

冷徹であって温かい、

 

つまりどちらもあるしどちらもない、中庸

全てを赦せるし水に流せてしまう、執着がない、だから嫉妬がない

 

それを自分を大事にしてないって人間の視点では思うのだろうけど

「人とは、愛とは、こういうもの」って視点自体がもはや制限で

 

自分でやってもいいしやらなくてもいい

自分が主役でもいいし脇役でもいい

 

全部に『いいよ、それで』ってなるw 

 

その目の前の人の見てる世界がその人の真実でいい

だから私のことを冷たい愛のない人と見る人もいれば

暖かくて愛のある人って見る人もいる。そしてそれがめちゃくちゃ面白い❤️

私であって私じゃない。究極のカメレオン。私はいないし私はいる、いてもいいしいなくてもいい

 

だから、その自由さが『愛』の形の一つでもある

 

だから一番嫌なのは『決めつけられること』

あなたはこうだから、普通はこう、これが人としての道理って型にはめられる感じが大嫌い

だから人にも絶対にしない

その人のしたいことが全てで真実で愛

 

 

自由に自分自身も、自由に人も、その人の愛で満たしたらいい

与えてもいいし、貰ってもいい

 

 

そもそも人とは誰が決めて、なんでそれに従わないといけないの?って

純粋な疑問を小学生の時先生に聞いたけど、そ〜いえばめっちゃ嫌な顔されたの思い出したw

 

こうあるべきが環境のせいでぶっ壊れてると思ってたけど持って生まれてないだけかも笑い泣き

それも面白いw

 

家族の形、恋人の在り方、役割、考え方、国、宗教などなど

全てにおいて『ど〜でもいい』

 

でもこれは適当とか興味がないってことじゃなくて

視点の抽象度がめっちゃ高いとこにあるってだけ。そして、それにもいい悪いもない

 

あ〜〜〜。でも、私に近い人ほど寂しくなるかもねw

 

だって自由意志を尊重する私にとってはその人の意志を尊重するのが愛だけど

いつも一緒とか一番大事とかってなるとなんで?ってなる

 

『あなたは恋人が一番かもだけど私は違うよ?』ってなる

「一番」って言うのがよくわからないから。

 

でもその人にとってはそれが真実だから尊重するし共感もできる

 

だから根拠なく決めつけてくる人が不思議だった

だってこの世界は何も決まってないのに、決まってるって自信持って言うんだもん

 

その矛盾が気持ち悪くて納得するまで勉強したら謎解きセッションが生まれた口笛

 

『さきさんはこう言う人』って言われるたびに「そうだけどそうじゃない」と思う

 

そして『私』を固められると死にたくなる

死んだほうがマシだとさえ思う

生きてる意味がわからなくなる

 

 

This is me=ALL

 

だから私は『誰でもない』のが『私』

 

それが私の『Sophiaさん(女性性の名前)』なのだと納得。

 

私の人格はきっと、見る人によって自在に変わる

それが私

そして、それがすごく心地がいい

だから『取扱説明書』は私にはいらない

だって、意味がない

変わっていくし、それが私とも限らないし、私でもあるから

 

だから誰かの人生を演じたいと思う

その人の感情を、その人から感じるものを『あなたのままでいいよ』って表現したい

『今のあなたと人生が美しいよ』ってたくさんの人に魅せたい

それを伝えるのが使命

 

共感ができるからその人の人生を感情をリアルに味わえる

だからみんなが私で、みんなが愛おしい

 

人生無駄もないし無駄でもいいw

 

さあこれからの私は命(時間)の使い道が楽しみ^^

 

みんなのおかげで私は感動と共に楽しく生きれてます❤️

 

そしてさらに楽しくいきますw←

 

長い忘備録、読んでくれてありがとうチュー笑

 

ではでは、またね〜〜〜カエル