メモ2
藤原家について
飛鳥時代に起こる大化の改新(646年)は、
中大兄皇子と中臣鎌足が起こした
天皇家へのクーデターである。
この頃より、中臣改め藤原鎌足となった藤原家は、
何百年もの間、天皇家と血筋を結び、
また要職を独占することにより、日本の黒幕となってゆく。
藤原家は、天皇家と血筋を結ぶことで栄えた。
一方 天皇家は、家臣との間にできた子どもを
「清原」「源」「平」[橘」「在原」などの姓を与えて
家臣に降下することで、
天皇家の財産の分割矮小化を防ぎ
天皇家の血筋を要職に囲む戦略をとった。
藤原道長
平安中期に活躍した藤原道長(966~1028年)は、
藤原家の中でも特に野心に溢れ、のし上がった人物である。
藤原家が家臣ポジションで天皇の中枢で栄える一方、
天皇家の血筋を引く子孫の末端の多くは
天皇家の要職、代を重ねる事に地方の要職、下級貴族となり、
断絶もしていくケースも多かった。
(一方で、中枢では出世が見込めない貴族が自ら地方へ就任し、荘園を多く買い取り(墾田永年私財法)、自営集団として立ち上がり、武家となったケースも多い。)
道長は、
藤原血族の一人である紫式部(973~1031年)の文才をスカウトし、
源氏物語を書かせた。
(※当時の紙の価格は1枚で1万円前後。
紫式部の身分では、パトロンがいなければ、予算的に書き上げられない。
大量の紙を消費する事、それを写し書かせる事も、莫大な財力を要する。)
このように、飛鳥から平安時代は、藤原家が絶対の権力を握る時代であった。
謎の3作品
しかし、
その時代に作られたはずの、
竹取物語、伊勢物語、源氏物語の3つの物語は、
謎に包まれた作品である。
3作は全部、ややアンチ藤原家の立ち位置である
・竹取物語→蓬莱の玉の枝を偽造する、藤原不比等(659~720年)の描写
・伊勢物語→未遂で終わるが、藤原高子(842~910)と駆け落ちする
(高子は天皇の后候補、
時の権力者、藤原経基(836~891)の妹)
・源氏物語→・天皇家から家臣に降下した源氏が托卵をし、その子孫が天皇になる
・敵対する勢力の娘が源氏に骨抜きとなる
(1008年頃には執筆)
日本は、平安時代初期に起こった薬子の変(810年)の主犯とされる、
藤原仲成の処刑(同年)以来、
350年間、死刑を執行する事が禁止されていた。
理由は、死者はどのような身分であろうと、
死後に超越的な力が宿るので、
祟りでリベンジをされないようにする、
日本の宗教観だとされる。
この時代に、このような作品が作られた理由は、
庶民や中流・下級貴族、降下皇族へのガス抜き、
または死者への鎮魂の為という説がある。
・竹取物語→今で説明をすると、庶民の老夫婦が不思議な子どもを拾った後、
国会議員と同等の財力とポジションが棚ボタで手に入る。
その子どもは、最高権力者である天皇を振ったあと、
泣く泣く月に帰るラストで終わる
・伊勢物語→天皇家を守る神宮の巫女(処女)と禁断の関係に落ちる
天皇家に嫁ぐ予定の藤原氏の娘と駆け落ちする(未遂)
左遷
「権力より歌人として」という生き方を貫き、隠れファンを多く獲得
普通に老衰で亡くなる
・源氏物語→家臣に降下した皇族の美男子 光源氏の話。
大筋では
・天皇である父の再婚相手へ托卵。
・友人の元妻を夜這い。囲う。
・血筋の良い幼女を引き取り、のちに強姦、妻として囲う。
・祖父の愛人を 愛の練習相手として囲う。
・兄の婚約者(ライバルの血筋)と禁断の恋愛。
・托卵した子どもは 天皇となる。
光源氏は、托卵をした子どもからの計らいにより、
天皇に次ぐ位のポジションになる。
地位・名誉・財、女性、すべてを手に入れた男版シンデレラであるが、
・妻の一人が友人の息子に寝取られ、出産。
血のつながらぬ子どもを育てる事となる
・托卵の天皇は、子どもを作らなかった。
・ライバルの血族が産んだ皇子が、次の代の天皇となる
という、きわめて微妙な因果応報で終わる。
この3作品は、主人公に花を持たせつつ、
幸でも不幸でもない微妙なラストに落ち着かせてある。
因みに源氏物語は、
のちに数々の戦国武将の愛読書というブランドとなっていった。