『歌ばかりを十数年ずっと追い続けてきた。


歌は俺の全部だと思ってた。

 

 けど、実は歌は俺の一部だった。

 

 全部はもっと他のところにあった。』森友嵐士



歌声を失ったボーカリスト


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 今年3月、都内で行われたショートフィルム・フェスティバルに現れた一人の男、森友嵐士。
元『T-BOLAN』のボーカリストである。
91年のデビュー以来、なんと5年間でCDを1700万枚も売り上げた伝説のロックバンド『T-BOLAN』。
だが・・・1999年、突然の解散。
その理由は・・・人気絶頂の最中、突然、ボーカルの森友嵐士の声が出なくなったからだった。
 声を失って14年間。
歌手として復活することだけを信じ、苦しみ抜いた森友嵐士。
そんな彼の復活を信じ、支え続けた仲間たちが、森友をこのフィルム・フェスティバルに誘ったのだ。
だが実は、これはただのフィルム・フェスティバルではなかった。
これらは全て、森友嵐士ただ一人のために仕掛けられたサプライズ、つまりドッキリだったのである。
このあと、観客たちは奇跡の瞬間を目の当たりにする。


 90年代初頭、『じれったい愛』『離したくはない』など立て続けにヒット曲を飛ばしていたT-BOLAN。
だが人気絶頂の1995年・・・突如、ボーカルの森友嵐士に異変が生じた。
全国ツアーのリハーサルの最中、声がかすれ、歌声が続かなくなってしまったのだ。
原因は、精神的なストレスなどから、声帯が機能せず声や言葉が出ない「心因性発声障害」。
いつ声を取り戻せるかわからない。そして1995年、T―BOLANは活動を休止した。
 活動休止後も、声を取り戻すべくリハビリに取り組んだ森友。
だが、状態はさらに悪化していく。声を出そうとしても、息が続かず、無理をすると過呼吸に陥った。
 ヒット曲を出し続けなければならないプレッシャー。
常に感性を研ぎ澄ませて、曲を作った。
音楽界の頂点にありながら、彼は孤独だった。
そんな精神的なストレスが、森友から声を奪っていった。


 活動休止から4年後の1999年、T-BOLANは解散。森友の声については公表されなかった。
解散後、森友は東京を離れ、富士山麓へと移り住み、リハビリに取り組んだ。
 声が出なくなって10年近くが経過。
森友は一日も休むことなく孤独にリハビリを続けた。
だが、一向に回復する様子はなかった。
「絶望的な気持ちにおそわれる。成果が目に見えず、何をやっているのかわからない」


 だが雄大な大自然は、徐々に彼を癒していった。
さらに孤独だった森友に、意外な出会いがあった。
富士山麓で知り合った『T-BOLAN』時代の事を全く知らない、地元の人たちとの交流だった。
 一人きりで闘っていた森友が出会った、地元のひとたちとのふれあい。
彼らに励まされ、雄大な大自然の中で、森友は一日も休むことなくリハビリに取り組んだ。ボーカリストとして復活できる日を夢見て。
 そして、声を失って14年が経過した2009年。
なんと森友嵐士は奇跡的に歌声を取り戻したのである!!

一体なぜ、森友は声を取り戻すことができたのか?
そこには、常に彼を励まし、支え続けた仲間たちの存在があった。
そしてこの日、彼らは森友嵐士・完全復活のため、この壮大なサプライズを仕掛けたのだ。


 サプライズの仕掛け人は、森友の親友である、放送作家の小山薫堂さんと軽部政治さん。
二人がサプライズを企画したのには理由があった。
この時森友は、15年ぶりにCD発売が決定。
小山さんと軽部さんは、そのプロモーションビデオを頼まれていたのだ。
 では、そのサプライズとは、一体どういうものなのか?
まず偽のフィルム・フェスティバルを開き、森友をその客席に座らせる。
だが、会場の観客たちは全て、彼の復活を待っていたファンである。
その大勢のファンの前で、森友をステージ上げ、歌わせようというものだった。
 1995年の活動停止以来15年間、バンド編成の大がかりなライブを行っていなかった森友。
今回のサプライズは、彼を勇気づけ、自信を取り戻させたい仲間たちが、森友嵐士の完全復活を願ったものだったのである。


 森友が会場に入る1時間以上前の午後4時55分。
森友嵐士の復活を15年待ち続け、その瞬間をこの目で見ようとかけつけた、およそ200人ものファンが会場に入った。
そして復活を祝うため、当日はまだ発売されていなかった15年ぶりの新曲を練習。
歌を教えているのは、元『T-BOLAN』のギタリスト・五味孝さん。
実は、森友が声を取り戻した影には、五味さんの存在があった。
 声を失って10年たった2005年、一向に回復の兆しが見えないその頃・・・
森友はかつての盟友、五味さんと再会。五味さんからの誘いで、二人でスタジオに入りリハビリをすることになった。
そして、リハビリを初めて一年後・・・
森友は五味さんとの懸命のリハビリの結果、歌声を取り戻すことができたのである。
森友嵐士の復活・・・それはかつての盟友、五味さんにとっても大きな夢だったのだ。


 さらに会場には、ボクシング世界チャンピオン、亀田大毅さんの姿があった。
実はあの亀田兄弟も、森友嵐士と固い絆で結ばれていたのだ。
興起さんがT-BOLANのファンで、CDも全部買っていたのだ。
そして大毅さんもその影響で、T-BOLANのファンになったという。
 念願かなって森友嵐士と対面した亀田兄弟。
だが、彼らは森友がリハビリ状態だということを知らずに、カラオケに誘って歌を歌ってもらったという。
さらに興起さんは2006年、初めての世界選手権挑戦の時、リハビリ中の森友に国家斉唱を依頼。
そして興起さんは見事、チャンピオンベルトを手にすることができたのである。
 リハビリ中にも関わらず、リングで「君が代」を振り絞るように歌った森友。
このことが復活へ向けての大きな自信となった。
残念ながらこの日、興起さんは試合前だったため、来ることは出来なかったが、代わりに次男の大毅さんが会場に駆けつけた。


 午後6時35分、森友が会場に到着。
本当に小山薫堂さん主催のショートフィルム・フェスティバルだと信じきっている様子の森友。
自分が今日の主人公とも知らず・・・
森友の両脇には、仕掛け人の小山さんと軽部さんが座り、いよいよ壮大なサプライズが幕を開けた。
 なんの疑いもなく、映画の上映を待つ森友。
この後、スクリーンに驚くべき映像が映し出される!!
突然、何が起こったか解らない森友。
なぜ、自分の名前が映画のタイトルなのか?
すぐには理解できない。
 そして・・・リハビリ中の出来事を語る熱く五味さん。
さらにスクリーンに現れたのは・・・森友を支えてくれた富士山麓の仲間たちだった。
そしてスクリーンには、彼の復活を待ちわびた大勢のファンからのメッセージが現れた・・・。



 映画の上映は終わり・・・
ステージにはギターを抱えた五味さんが出現。
そして・・・会場のファンが新曲を歌う中、森友嵐士は15年ぶりにステージに戻ってきたのである。
15年ぶりにバンドの前に立った、元T―BOLAN・森友嵐士。
それは、声を失った天才ボーカリストが完全復活した、奇跡の瞬間だった。
 そこには彼を待ち続けたファンがいた。彼を支え続けた友人達がいた。
富士山麓で出会った仲間達の姿もあった。
失われた歌声・・・
14年間闘い続けた孤独な日々、だが森友は一人ではなかった。
彼の周りには、常に彼を励まし続けた仲間たちの存在があった。
そしてこの日、森友嵐士はボーカリストとして奇跡の復活を遂げたのである。


 声を失った歌手、元T―BOLAN森友嵐士さんを勇気づけるため、仲間たちが仕掛けた感動サプライズ。
その完全復活の一部始終が、14分46秒もの長さのプロモーションビデオとなり、カンヌ映画祭の短編部門にも出品。
今年9月、森友さんはセカンドシングル「祈り」を発表、ボーカリストして第二の人生を歩み始めた。



http://www.fujitv.co.jp/unb/index.html

からの転記です。