とても素晴らしいので
全文と映像をご紹介させていただきます。

『 マイケル・ジャクソン「オックスフォード大学での講演」』

(文字数制限の都合で一部省略してます)

神の恵みによって、幸運にも、わたしは人生の早い時期にアーティストとして、プロとしてのたくさんの夢をかなえることができました。

しかし皆さん、このような実績だけで、自分自身を語ることはできません。

5歳の少年は観客の前で『ロッキン・ロビン』や『ベンのテーマ』を元気に歌っていましたが、実際、笑顔の裏側にある少年の本当の心を表してはいなかったのです。

今夜わたしは、ポップの聖像(この意味はともかく)としてでなく、同世代、つまりもう子どもではない世代の聖像として、ここに立っています。

私たちはみな、幼児期の産物です。子ども時代は、人格形成に大きく影響します。

でも、わたしにはすばらしい子ども時代はありませんでした。

両親や周りの大人からの愛情を一身に浴び、最大の心配事といえば月曜日の朝のスペリングテストしかないような、夢中になって遊べるはずの貴重な時期を過ごさずに来てしまいました。

ジャクソン・ファイブをご存じの方は、わたしが若干5歳という年齢でデビューしたことをご存じでしょう。

それ以来、歌い、踊り続けています。

ステージに立っている時や音楽を作り出している時は確かに大きな喜びで満たされていましたが、小さいころのわたしはそれよりも何よりも普通の少年でいたかったのです。

木の上に家を作ったり、水風船をぶつけっこしたり、友だちとかくれんぼしたりしたかったのです。

でも、これはわたしの運命で、周りで遊んでいる子どもたちの笑い声をうらやむことしかできませんでした。

……

みなさんの同情を買うために、この話をしたのではありません。

わたしが言いたいのは、子どもらしくない幼児期を過ごしているのは、ハリウッドの子役たちだけではないということです。

今日、それは世界共通の不幸であり、世界的規模の悲劇です。

現代では、子ども時代が悲惨な状況になってきているのです。

喜びを感じたことのない、権利を与えられない、自由を許されない、子どもらしさを知らないたくさんの子どもたちが生み出されているのです。

今日、子どもたちは早く大人になることを求められます。子ども時代と言われるこの期間がつらい段階であるかのように我慢し、できるだけ速やかに通過することを求められます。

この点に関しては、わたしも専門家と名乗れるくらいの経験があります。わたしたちは、親子関係の断絶を目の当たりに見てきた世代です。心理学者は、無償の愛を与えられない子どもたちがどうなるのかを扱った多数の本を出しています。

無償の愛を注がれず、放っておかれるために、実に多くの子どもたちが、自らの力だけで成長していかなくてはならないのです。

かつて世代間を結びつけた強力なのりがはがれるように、愛を与えられない子どもたちは、両親、祖父母、ほかの家族たちから距離を取りつつ成長しています。

こうして、新しい世代――O世代と呼びましょうか――が生み出されました。O世代はX世代から、バトンを受け取りました。O世代は富も成功も、きれいな服も、かっこいい車もすべて手に入りますが、心はやるせなさで満ちた世代です。

彼らの胸の空洞、心の底に広がる荒野、中心にぽっかりあいた空間も、かつては鼓動や愛で満たされていたはずです。

そして、苦しんでいるのは子どもだけではありません。大人も同じです。子どもの体をした小さな大人を育てようと努力すればするほど、大人の中の子どもらしさも失われていきます。大人の生活にも、子ども的な部分を必要とする場合がたくさんあるのです。

みなさん、愛は家族にとって、最も貴重な財産であり、豊かな遺産であり、黄金の贈り物です。

世代から世代へと受け継がれていく宝です。

昔の人たちには、今わたしたちが手にしているような豊かさはなかったかもしれません。家には電気も通らず、セントラルヒーティングのない小さな家にたくさんの子どもたちがひしめきあって暮らしていたことでしょう。

しかし、家は暗くも寒くもありませんでした。愛の輝きで部屋をともし、温かい心で部屋を暖めました。富や地位という欲に毒されていない大人たちは、生活の中で子どもたちのことを最優先に考えたのです。

……

どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです。

髪の色が赤か茶色かを知る以前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならないのです。

12年ほど前、『バッド』ツアーをはじめようとしたころ、一人の少年が両親とともに、カリフォルニアの自宅を訪ねてきました。

その少年はガンのため、死期が近づいていました。わたしの音楽、そしてわたしのことがどんなに好きかを語ってくれました。

少年が長くは生きられず、今すぐにでも天国に召される可能性があることを、彼の両親から聞き、わたしは彼に言いました。

「ねえ、3 カ月後、君の住んでいるカンザスでコンサートをするよ。見に来てほしい。さあ、ビデオで着たこのジャケットを君にあげよう」。

少年は目を輝かせて言いました。「ぼくにくれるの」。

わたしは答えました。「そうだよ。でも、ツアーの時、着てくるって約束して」。わたしは少年を持ちこたえさせようとしていたのです。

「ツアーの時、君がこのジャケットを着て、この手袋をはめている姿を見たいんだ」。

そうわたしは言い、ラインストーンの手袋を少年にあげました。
――以来、ラインストーンの手袋は二度と人にあげていません。

少年は今天国にいます。

おそらく、ずっと天国に近いところにいたのでしょう。

わたしがカンザスに行った時には、すでに亡くなっていました。あの手袋とジャケットを身に付けて、葬られたそうです。

少年はちょうど10歳でした。少年が持ちこたえようとベストを尽くしたことは間違いありません。

彼が亡くなった時、両親からだけでなく、血のつながりのないわたしからも、自分が愛されたことを実感していたことだけは確かです。

わたしは彼のことが大好きでした。愛情をいっぱいに受けたことで「自分がこの世にたった一人で現れ、たった一人で去っていったのではない……」と思っていることでしょう。

愛されている実感をもってこの世に生を受け、愛されている実感をもってこの世から去るなら、生きている間に起こるすべてを乗り越えられるのです。

たとえ教授に中傷されたとしても、そう感じないでしょう。

上司にしいたげられようとも、へこたれないでしょう。会社の同僚に打ち負かされたとしても、成功の喜びを感じられるでしょう。

愛情を受けて育ってきた人を、心から傷つけることはできません。

自分が愛される価値のある人間だという実感をもっているからです。

それ以外の感情はただの包み紙のようなものです。

しかし、愛された記憶がなければ、心を満たすものを求め、世界中を探し回るようになります。

どんなにお金を稼ごうとも、どんなに有名になろうとも、まだ虚しさを感じることでしょう。

本当に探し求めているのは、無償の愛、つまりは無条件に受け入れられることです。

生まれた時に、享受できなかったものなのです。

想像してみてください。

ここにアメリカの典型的な1日の特徴を示すデータがあります。――6人の未成年が自殺をし、12人が銃の犠牲になっています――いいですか、これは1日当たりの数字で、年間の数ではありません。

399人の子どもたちが薬物中毒で逮捕され、1,352人の赤ちゃんが10代の母親から産まれています。

これは歴史的に見ても非常に豊かな先進国で起きていることです。

実際アメリカでは、ほかの先進国と比較にならないほどの暴力行為が多発しています。アメリカの若者が、心の傷や怒りを表現する方法なのです。

しかし、イギリスの若者の間に、同じ痛みや苦しみがないわけではありません。

調査によると、イギリスでは、1時間に3人の未成年者が、自虐行為――自ら体を傷つけたり、自らやけどをしたり、薬物を過剰に服用したり――をしているそうです。

こうして彼らは、愛されない心の痛みや苦しみを乗り越えようとしているのです。イギリスでは、1年に一度しか、家族そろって夕食をとれない家庭が20%もあるそうです。1年にたったの一度ですよ!

……

この心の痛み、怒り、暴力行為の原因は探るまでもありません。

子どもたちは明らかに、愛してほしいと訴え、関心をもたれないことに体を震わせ、注目してほしいと叫び声をあげているのです。

アメリカの様々な児童保護機関によると、毎年何百万人もの子どもたちが、放っておかれるという形の虐待の犠牲になっているそうです。

放っておかれるという形の虐待。あらゆる電化製品を完璧に備えた裕福な名声のある家庭の中で起こっています。両親が帰宅する。

でも、本当にうちに帰ってきたのではない。頭の中はまだ仕事場にある。じゃあ、子どもたちは?与えられた感情のかけらで間に合わせているだけ。

そして絶え間なく流れるテレビ、コンピュータ・ゲーム、ビデオから得るものは少ない。

なぜわたしが自分の時間や財産の多くを「ヒール・ザ・キッズ」の活動をはじめるために費やすことにしたのか、おわかりでしょう。

わたしは統計の示す悲しい数字に、魂をもぎ取られ、精神を揺さぶられたのです。

私たちの活動の目標は単純です。――親子の絆を取り戻し、関係を修復し、地球の将来を担うすべての子どもたちの進む道を明るく照らすことなのです。

わたしは、今日初めて公に講演をしています。

みなさんに温かく受け入れられ、さらに話をしたいという気持ちになりました。

人にはそれぞれ事情があり、その意味で、統計データが独特の意味をもつこともあります。子育てはダンスのようだと言われます。

親が足を一歩踏み出すと、子どもも足を踏み出す。

ですから、親が子どもたちのために再び愛を捧げるだけでは、まだ半分しか意味がないのです。

子どもの側にも親を再び受け入れるよう準備しなくてはならないのです。

……

今日、多くの子どもたちは愛に飢えた子犬のようです。

そのような子どもたちは親のことを考えようとしません。そのままにしておくと、独立心おう盛な子どもに育ちます。

親元から離れ、去っていきます。ひどい場合は、親に恨みや怒りを抱き、その結果、親は自分のまいた種で、自らの首を絞めることになるでしょう。

このような過ちは今日ここにいるだれにもおかして欲しくありません。

ですから、自分が愛されていないと感じても親を許すよう、世界中の子どもたちに呼びかけているのです。

今日ここにいる人からはじめましょう。許してあげてください。

もう一度愛する方法を親たちに教えてあげてください。

わたしにはのんびりとした子ども時代がなかったと聞いて、驚く人はいないでしょう。父とわたしとの間の重圧や緊張は、よく取り上げられます。父は厳しい人で、小さいころから私たち兄弟がすばらしいアーティストになるよう強要しました。

父は愛情を示すのが苦手で、まともに愛していると言われたことは一度もありませんし、褒められたこともありません。

ステージで成功をおさめても、まあまあだとしか言ってくれませんでした。そしてまあまあのステージなら、父は何も言いませんでした。

父は何も増して、わたしたちが仕事上成功することを望んでいるように思われました。

その点における父の力はずば抜けたものでした。父にはマネージメントの才能があり、そのおかげで、わたしたち兄弟はプロとして成功しました。芸能人として訓練され、わたしは父の指導のもと、敷かれたレールから足を踏み外すことはできませんでした。

でもわたしが本当に欲しかったのは、「お父さん」です。

自分を愛してくれる父親がほしかったんです。

父は愛情を示してくれたことがありませんでした。目をまっすぐ見つめ好きだと言ってくれたことも、いっしょにゲームをしてくれたこともありませんでした。

肩車をしてくれたことも、まくら投げをして遊んだことも、水風船をぶつけあったこともありません。

でも、4歳のころ、小さなカーニバルで、父が私を抱き上げ、ポニーに乗せてくれたという記憶があります。

それはちょっとしたしぐさで、おそらく5分後には、父は忘れてしまったことでしょう。しかし、その瞬間、わたしの心の特別な場所に、父への思いが焼き付けられました。

子どもとはそんなもので、ちょっとした出来事がとても大きな意味をもつのです。わたしにとっても、あの一瞬がすべてとなりました。

たった一回の経験でしたが、父に対して、そしてこの世の中に対していい思いを抱いたのです。

自分自身が父親となり、ある日わたしは、我が子プリンスとパリスが大きくなった時、自分がどう思われたいと考えているのか、自問しました。

もちろん、自分の行くところにはいつも子どもたちを連れて行きたいし、何よりも子どもたちを優先していることを、わかってほしいと思います。

しかし、あの子たちの人生に困難がつきまとっているのも事実です。パパラッチに追いかけられるので、公園や映画館にいつも一緒に行けるわけではありません。あの子たちが大きくなって、わたしを恨んだら?
わたしの選んだ道があの子たちにどんな影響を与えるのでしょう?

どうして僕たちには普通の子ども時代がなかったの、と聞くでしょうか。その時、子どもたちがいい方向に解釈してくれるといいと思います。

「あの特殊な状況の中で、父さんはできるだけのことをしてくれた。父さんは完璧ではなかったけど、温かで、まあまあで、ぼくたちを愛する努力をしてくれた」

とあの子たちが心の中でつぶやいてくれるといいなと思うのです。

あの子たちが、あきらめざるを得なかったこと、わたしのおかした過ち、子育てを通じてこれからおかすだろう過ちを批判するのでなく、いい面、つまりわたしがあの子たちのために喜んで犠牲を払ったことに、目を向けてくれればいいと思います。

わたしたちはみな人の子で、綿密な計画を立て、努力をしても、常に過ちをおかしてしまうものなのです。それが人間なのです。

このことを考える時、つまり、どんなにわたしがあの子たちに厳しく評価されたくない、いたらない面を見逃してほしいかを考える時、わたしは父のことを思わずにいられません。

子どものころ、愛されたという実感はないけれど、父がわたしを愛してくれていたに違いないと認めざるを得ないのです。

父はわたしを愛し、わたしにはそれがわかっていた。愛情を示してくれたことは、ほとんどなかったけれど。

子どものころ、わたしは甘いものに目がありませんでした。 ―兄弟みんなそうでした。シロップに覆われたドーナツが大好物で、父はそのことを知っていました。

数週間に一度、朝1階に下りて行くと、紙袋に詰め込まれたドーナツがキッチンカウンターに置いてあったんです ―メモも説明もなく― ドーナツだけが置いてありました。

まるでサンタクロースみたいでした。 夜中まで起きていて、ドーナツが置かれるところをみようと思うこともありました。

でも、サンタクロースと同じように、二度とドーナツが置かれなくなることを恐れ、その魔法を大切にしようと思いました。

父はだれかに見られないように、夜中にこっそり置かなければなりませんでした。 父は自分の中の人間的な感情におびえ、それを理解できず、どうしていいかわからなかったのです。

しかし、ドーナツの件ではわかっていたようです。心の防波堤の扉を開けたままにすると、わたしの心に様々な記憶が走馬灯のようによみがえってきます。

ちょっとしたことで完全ではありませんが、その記憶は 

“父ができることをしてくれた”

ということです。

そこで今日これからは、父がしてくれなかったことに目を向けるのでなく、父がしてくれたこと、父の努力に目を向けようと思います。

そして、父を非難するのをやめようと思います。わたしは父が南部の貧しい家庭で育ったという事実に思いをはせるようになりました。

父は世界大恐慌の年に、この世に生を受けました。

わたしの祖父は家族を養うのに精いっぱいで、ほとんど愛情をしめすこともなく、子どもたちを厳しく育てました。

アメリカ南部で貧しい黒人が大人になっていくということが、みなさんにはどういうことか想像もつかないでしょう。

……

父が自分の感情をさらけだせなかったのも、無理もないことでした。

心をかたくなにし、壁でふさいだとしても何の不思議もありませんでした。そして何よりも、自分が経験した屈辱的人生や貧困を子どもたちに味わわせないように、子どもたちが芸能人として成功するように強要したのも、当然のことでした。

父の厳しさはひとつの愛情の表れだった。

完璧ではないけれど確かに愛だと、わたしは感じはじめるようになったのです。

父はわたしを愛しているから、強引に背を押したのです。

自分の血を分けた子どもたちが低く見られるのは嫌だったのです。

時とともに、苦痛は、感謝の気持ちへ変わっていきました。

怒りを感じていたところも、許せるようになってきました。

復しゅうしたいと思っていたところも、折り合いをつけられるようになりました。はじめに感じていた怒りは寛容さへとゆっくり変わっていきました。

10 年前になりますが、わたしは「ヒール・ザ・ワールド」(Heal the World)というチャリティー活動をはじめました。

わたしは心で感じたことを、その名に託しました。よく知らなかったのですが、のちにシュムリーから、HealとWorldという単語は旧約聖書の預言の基盤となっていることを聞きました。

みなさん、わたしがこの世界を、今日でさえ戦争と大虐殺に翻ろうされている世界を、本当にいやせると信じているとお思いですか?

わたしが子どもたちを本当に癒せると考えているとお思いですか?

コロンバインハイスクールで起きたように、銃を持って学校へ行き、クラスメートを撃ち殺してしまうような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?

1993年に2歳で殺害されたジェイミ・バルジャーの悲劇のように、自らを守れない幼児を殴って死に至らしめるような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?

―わたしはもちろん、そう思っています。そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。すべては許すことからはじまるのです。

世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです。

子どもたちをいやすためには、まず子どもたちの心の中をいやさなくてはなりません。どの子どもたちも同じです。

わたしは、このままでは完璧な大人にも、無償の愛を与えられる親にもなり得ないことがわかり、子ども時代のつらい記憶の扉を閉めました。

みなさんにも、そうしてほしいのです。モーゼの十戒、第五の戒律(あなたの父と母を敬え)にふさわしい生き方をしましょう。

親を非難するのではなく、尊敬しましょう。

物事をいい方向に考えましょう。

だから、私は父を許し、父を非難するのをやめようと思うのです。

父を許したい。「お父さん」をほしいから。

結局わたしには彼しかいないのです。わたしは過去の重荷を肩から降ろし、父との新しい関係を踏み出したいのです。

過去のつらい記憶に邪魔されず、未来を築きたいのです。

憎しみに満ちた世界でも、望みをもたなければなりません。

怒りに満ちた世界でも、慰めの心をもたなくてはなりません。

絶望に満ちた世界でも、夢を忘れてはなりません。

不信感に満ちた世界でも、信じなくてはなりません。

親から傷つけられたと感じていらっしゃるみなさん、失望感を捨ててください。

親にあざむかれたとお思いのみなさん、これ以上自分自身をあざむくのはやめましょう。

親が邪魔だと思っているみなさん、代わりに手を差し出してください。ご両親に無償の愛を与えてください。

これは、みなさんに望むことであり、自分自身に言い聞かせていることでもあります。

そうすれば、親たちはわたしたち子どもから愛し方を学ぶことでしょう。

そうすれば、荒れ果てた寂しい世の中に、愛が取り戻されるでしょう。



みなさん、わたしたちがこのような世界をつくっているのです。

わたしたちがその世界に住む子どもたちなのです。

インド建国の父マハトマ・ガンジーが言いました。

「弱者は人を許すことができない。許すことは強さの裏返しである」

さあ、強くなりましょう。そして、壊れた関係を修復するために、立ち上がりましょう。

子ども時代に受けた傷が人生にどんな影響を与えようとも、乗り越えなければなりません。

ジェシー・ジャクソンの言葉にあるよう、互いに許し合い、互いに助け合い、そして前へ進みましょう。

許し合うことだけでは、涙に暮れる世の中は終わらないかもしれません。

しかし、多くの子どもたちが親との関係を修復することが、少なくとも新たな出発点となるのです。

結果として、わたしたちみんな、もっと幸せになるでしょう。

みなさん、信仰、喜び、興奮をもって、わたしの話を締めくくりたいと思います。

今日から、新しい歌が聞こえてきますように。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。

子どもたちのもつ力に驚き、愛の美しさに浸り、ともに、心のシンフォニーを創りだそう。

世界をいやし、痛みを取り去ろう。

そして、ともにみんなで美しいメロディーを奏でられますように。

神の恵みがありますように。“I love you”。


マイケル・ジャクソン


「Childhood 」


「Heal The World 」


この記事は
mixiで読ませていただいた記事をご紹介させていただきました。
mixiに入られている方はこのタイトルで検索してみてください。
ほかにも素晴らしい日記がたくさんあります。