先週、麻賀多神社の本宮をお詣りしましたが、同じ成田市内に麻賀多神社の奥宮があるというので、お詣りに行ってきました。 

 

 成田市内ですが、住宅街からは少し外れた場所にあります。
 麻賀多神社の本宮からは歩いて20分くらいで着くそうです。

 

 社号碑には「総社 麻賀多神社」の文字がありました。

 

 参道入り口の掲示板には、「船形麻賀多神社(奥津宮)」と書かれています。
 創建は4世紀、1,600年以上も前になるんですね。
 御祭神は、「稚日霊(わくひるめ)命」で、本宮の御祭神「稚産霊(わくむすび)命」とは異なっています。

 

 参道は緑が濃く、木漏れ日がいい感じに差し込んでいます。

 

 参道脇には、紅葉の木が並んでおり、秋にはいい感じに色付くのでしょう。

 

 木々の緑と赤い垣根のコントラストが最高にいいですね。

 

 参道を少し歩くと二の鳥居があり、社殿が見えてきました。

 

 社殿も荘厳な造りで、その後ろには御神木の大杉が見えています。

 

 御神木の大杉は、本宮の大杉と比べるとやや小ぶりですが、これでも数百年は経過しているのでしょう。

 

 参道を戻ると、林の中に小高い丘があり、入り口には「伊都許利命(いつこりのみこと)」の墳墓を示す立て看板があります。

 

 この古墳は、「印波国造」の「伊都許利命(いつこりのみこと)」の墳墓と伝えられているとのことです。

 「国造」とは、古代大和政権における地方首長であり、伊都許利命は、神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の子孫で、応神天皇の命を受けて、この地方を平定され、産業の指導などにあたったそうです。

 古墳は、結構な大きさがあり、側面には横穴式の石室もあります。

 

 麻賀多神社の起源は、その昔、日本武尊東征の折、この付近の大木に鏡をかけ、根元に七つの玉を埋めて、伊勢神宮に祈願されました。伊都許利命は、五穀豊穣を願って、その鏡を御神体としてここに稚日霊命(わくひるめのみこと)をを祀り、その後ご霊示によって七つの玉を掘り出して稚産霊命(わくむすびのみこと)も御祭神として迎えたとのことです。

 

 古墳の上には、「印波国造」の「伊都許利命(いつこりのみこと)」の墳墓を示す、立派な石碑がありました。

 

 社務所でとても立派な御朱印をいただきました。

 麻賀多神社ではなく、「麻賀多大神宮」、そして印は、「奥津宮」となっています。

 

 5月限定の御朱印もいただきました。社名のピンク色が艶やかで、春らしくて素敵です。

 御朱印は、基本的に毎月1日と15日で、もう一日対応していただける日がありますが、毎月決まっていないので事前の確認が必要です。