改新の詔の基本的な内容とその限界について説明せよ。

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重要な付加説明

郡評論争

郡評論争とは、大化改新ごろの地方行政を示す文字として、「郡」が用いられたか、それとも「評」であったか、という点を軸に展開された論争をいう。

 

藤原京跡から発見された大量の木簡によって、「郡」は大宝律令(701年制定)にもとづく単位で、それ以前は「評」の用語が使用されていたことが判明し、この論争には決着がつけられることになった。

 

したがって、『日本書紀』(720年完成)記載の改新の詔(646年発令)に「郡」の文字が使用されているのは、この詔が『日本書紀』編纂の段階で大宝律令による修飾をうけたことを示している。

参考:教科書の研究(藤原京)

 

解答例はの先にあります。

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解答例

改新の詔では公地公民制・班田収授法など中央集権国家建設の基本方針が明示されたが、諸豪族の実権を奪う改革の遂行は困難で、詔に記された方針は直ちには実現しなかった。

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